PROFILE


FOUR MEN AND A DOG
フォー・メン・アンド・ア・ドッグ

90年アーカディを脱退したカハル・ヘイデンと、ミック・デイリーを中心に結成、ベルファーストのフェスティバルでデビュー。バンド名の由来は、ミック・デイリーのニックネーム「ブラック・ドック」に由来している。

1991年に発表したファーストアルバム「Barking Mad」が、アイルランドのバンドとしては始めて名門英国フォーク・ルーツ誌のアルバム・オブ・ジ・イヤーを獲得するなど、バンドは早くから高い評価を得る。

93年に2枚目のアルバム「Shifting Gravel」を制作。ここでバンジョーがジェリー・オコナーに交代。それにシンガー/ソングライターのケヴィン・ドハティが加わり、バンドのサウンドはアメリカのカントリー/ブルーグラスの影響がくっきりと見られる音作りへと変化していくことになる。

そして、それは3枚目のアルバム「Doctor A's Secret Remedies」で決定的になる。アメリカのウッドストックにある、ザ・バンドのリヴォン・ヘルム・スタジオにて制作されたこのアルバムは、アイリッシュ/ロック/ラテン/カントリー/R&Bが見事に融合された力強い作品だ。それはアイリッシュ・ミュージックにドラムやベースをいれる、といった単純な事ではなく、それぞれのエッセンスを絶妙にブレンドすることに成功した、他に類をみない見事な作品と言えるであろう。そしてこの路線は、同じくアメリカでレコーディングされた「Long Roads」(95年)で頂点を極めることになるが、バンドは多くの事情で残念ながら97年に解散してしまう。

でも現在でも、とても仲良しのメンバーは、時々リユニオン・ギグを行っているようだ。
また新作をレコーディング中。いよいよ本格的に活動再開?!


KEVIN DOHERTY
ケヴィン・ドハティ(ヴォーカル、ギター)

ドニゴール州Carndonaghで生まれ、Buncranaで育つ。アルタンのキーラン・トゥーリッシュとは、なんと4才から18才くらいまで同じ学校に通っていたそう。兄弟は二人の姉妹と一人の兄弟。両親は二人とも歌うのが好きだったというが、家に伝統音楽は存在しなかったとのこと。8歳くらいまでトゥーリッシュと一緒にティン・ホイッスルを演奏していた。最初に買ったアルバムはブルース・スプリングスティーンの「リバー」だと記憶している。10代半ばでギターを手にすると、すぐに自分の曲を書きはじめ、地元でロックバンドやトラッドバンドに参加しながら、メキメキと頭角をあらわす。22才の時に引っ越してきて以来、ダブリン在住。

93年よりフォー・メン・アンド・ア・ドッグに参加。後期のフォー・メンの米国志向は、あきらかにアメリカの音楽にティーンエイジャー時代からどっぷりつかっていたケヴィンによるところが大きい。

ケヴィンは、ソングライターとしても非常に成功しており、96年にはメアリー・ブラックが彼の作品「ドニゴール・ブリーズ(原題は「JOH」)」をレコーディングしている。

ソロ活動も盛んで、バンド解散後、98年に「Strange Weather」をリーヴォン・ヘルム・スタジオにて制作。2002年には「Sweet Water」を今度はアイルランドでレコーディングしている。

最近では、ポール・ブレイディのコンサートにゲスト出演したり、ジェリー・オコナーとデュオでツアーをしたり、やはり何かと忙しい。背が高くて、物静かで、スィート・マスクのケヴィンは、バンドいちのモテモテ男。でも残念ながら2002年春にはパパに! 6月に生まれた赤ちゃんは男の子で、Jamesと名付けたそう。おめでとう、ケヴィン!



CATHAL HAYDEN
カハル・ヘイデン(フィドル、バンジョー)

タイローン州、ポメロイ出身。三人の兄弟と四人の姉妹。でも演奏するのは、弟一人とカハルのみ。幼くして父親からテナー・バンジョーを習いはじめ、ジュニアレベルにおいてチャンピオンシップを総なめ。16才で今度はフィドルを持つと、練習をはじめて1年目にして早くもオール・アイルランドのチャンピオンになってしまうという天才ぶりを発揮する。

子供のころは、年寄りにまじって演奏しながら、いろいろなチューンを覚えていったらしい。学校では、伝統音楽をやっていたのはカハルだけだったので、相当ヘンな子供だったそう。同世代の子供と演奏する目的もあって、あちこちのコンテスト荒らしをしていたようだ。この競争好きは現在のカハルのフィドルスタイルにも見て取ることができる。本人いわく、「競争というより、その場のセッションとか、雰囲気を楽しみにいったんだよ」と言いながら「結局、自分が勝っちゃうんだよねー」と高笑い。

そんなわけでめちゃくちゃ速くて力強い「オレ様」フィドル度は、デ・ダナンのフランキー・ゲーヴィンにも通じるものがある(?!)。 一方で、スローなチューンや、ケヴィンの歌をバックアップするときの官能的な音色は一度聞いたら忘れられないくらいに美しい。

18才くらいになるとCCEのアイルランド代表として1ケ月、アメリカをツアーしたりして、何千人という観客の前で演奏するようになった。82年に「Handed Down」というソロ・アルバムをアーティ・マックギンのプロデュースによりナリグ・ケイシー、ジョニー・‘リンゴ’・マクダーナとともに制作するが、この作品は現在は入手困難状態。80年代後半のカハルは、ジョニー・リンゴに誘われ、もっぱらアーカディのメンバーとしてツアーしていたようだが、アーカディが最初のアルバムを制作する前に脱退。

そして90年に、同じくアーカディにいたミック・デイリーとともにフォー・メン・アンド・ア・ドッグを結成。親分肌のカハルは、個性的なメンバーをまとめながら、バンドを引っ張ってきた。

バンド解散後は、マーティン・オコナーをはじめ多くのプレイヤーとの共演や、ベルファーストの劇場の仕事などで多忙を極めている。セカンド・ソロ・アルバムは99年に発表になり、こちらは「カハル・ヘイデン」(THE MUSIC PLANT/RUCD032)というセルフタイトルで、シェイマス・ベグリーら豪華ゲストにより録音された。


GINO LUPARI
ジーノ・ルパリ(ヴォーカル、ボーラン)

アイルランドや英国のフォーク・サーキットで、もっとも有名なエンタティナーといえば、この人。多くのフェスティバルやイベント、テレビやラジオの司会業にひっぱりだこ。もちろん嵐のようなボーランと、伸びやかな歌声も忘れてはいけない。

北アイルランド、デリー州でイタリア系の両親のもとに生まれた。7人の兄弟と2人の姉妹の一番上。(本人いわく、典型的イタリア系カソリック・ファミリーだったのだそう)。お爺ちゃんがイタリア人で、ポテトよりはパスタという生活を送ってきた。伝統音楽を演奏する人は、家族にはまったくいない。

17才くらいのときに、たまたまフルート/ティンホイッスル奏者の友だちとパブにでかけ、セッションというものを初体験。これは、最高に楽しいぜ、女の子もいるぜ、と思い、伝統音楽のセッションシーンに出入りするようになる。ボーランをみて、これなら自分でもできそうだ、と演奏しはじめた。カハルとはその頃からの幼馴染み。子供のころのヒーローはフランク・シナトラだったそう。

ジーノは、フォー・メン創設時からのメンバーで、ファーストアルバムから、ラップをアイリッシュ・トラッドに乗せて歌いまくるというビックリするようなトラックを披露する。フォー・メンのライブが楽しいのは、間違いなくジーノの存在によるところが大きい。130kg以上あるであろう体格を揺らしながらステージ狭しと動きまわり、その強烈なボーラン演奏は「ボーランの神様」と呼ばれたほどだ。歌も、ものすごくうまくて、CDで聞くよりもずっと力強く感動的。ぐっと聴く者のハートをわしづかみにする。そして、もちろんお得意のラップもたっぷり聞かせる。

明るく楽しく周りの人への気づかいを忘れないジーノは、みんなの人気者で、いつも楽しいジョークでお腹がねじれるほど笑わせてくれる。現在は、オーストラリアに在住、滅多にアイルランドに帰ってこないジーノだが、シネイド・オコナーのセッションに参加したり、リズ・ドハティのバンドや、各テレビの出演など、多忙な毎日を送っている。



GERRY O'CONNOR
ジェリー・オコナー(バンジョー、フィドル、ヴォーカル)

スコットランドの名プロデューサー/アコーディオン奏者のフィル・カニンガムによれば「BBCの長い歴史上で放送された最も速いアイリッシュミュージックは、俺とジェリー・オコナーのデュオ」だったそうで「始まったとたんに曲が終わっていた」とのこと。

真偽のほどは別として、ティッペラリー州ポートロー出身のジェリーは、父親もおじさん達もフィドラーという、とても音楽的な環境で育ち、楽器をちゃんと持つことも不可能なくらい幼い頃からフィドルを習いはじめる。その後、バンジョーに楽器を持ち帰ることになる。現在でもフィドルは大好きで意外に思われるかもしれないが、ステージでは1/3くらいはフィドルを演奏している。本人も認めているように、家庭環境はものすごく「伝統音楽どっぷり」だったそうで、お父さんは地元の人気ケイリーバンドの花形演奏者だった。ポートローには、Larkins Barという(ジェリーいわく)ものすごく有名なバーがあって、ここで定期的に演奏していた。アメリカ人が取材にきて「ナショナルジオグラフィックにも載ったんだよ」と自慢のバーである。

ジェリーの通った学校は、すごくスポーツがさかんな学校で、ジェリーもスポーツ少年だったそう。フットボール、アスレチック、それからハーリングなどなど。学校では、アイルランド音楽を演奏することはダサいとされていたので、ジェリーは自分がコンテストに申し込むまで自分のクラスメイトの一人もバンジョー演奏するということを知らなかったのだそう。そのクラスメイトは、なんとそのコンテストで、ジェリーをバンジョーで負かしたらしい!?

78年にカレッジに入るためダブリンに出て来たジェリーは、多くのバンドに参加するようになる。ワイルド・ギース、アーカディといったバンドとツアー後、92年に初のソロアルバム「Time to Time」を発表。93年よりフォー・メンに参加。ジェリーの参加で、バンド全体の演奏が格段にスピードアップする結果となる。

99年にはセカンドアルバム「ミリアド」(RUCD025/THE MUSIC PLANT)を発表。豊富でユニークなアイディアに溢れる演奏スタイルは、アイリッシュばかりではなく、世界的にもバンジョーの演奏に大きな革新をもたらした。また、おそらくアイルランドで一番楽器の教則本、教則ビデオ等に出演が多いアーティストでもある。

素顔のジェリーは、ナチュラルな優しさと思いやりにあふれ、かつカッコ良さも同居するキャラクターで、アイリッシュ・ミュージック・シーンで最も人気の高いプレイヤーのひとり。いつも誰かに誘われては、あっちのレコーディング、こっちのプロジェクトと忙しい。どうやら現在はクリス・レアのレコーディングを手伝っている様子。


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