BILL JONES INTERVIEW
ビル・ジョーンズ・インタビュー

1.トラディショナル・フォーク・ミュージックとの出会い

Q(白石))あなたは、最初クラシック音楽を勉強していて、その後トラディショナル・フォーク・ミュージックの魅力にとりつかれたのだと思いますが、月並みな質問ですけれどイングリッシュ・トラディショナル・フォーク・ミュージックのどんな所に惹かれたのでしょうか?   

B(ビル))私は若い頃からフルートやホイッスルでトラディショナル・ミュージックを演奏していたのよ。確かにトラディショナル・ソングについては歌っていませんでしたけれどね。つまり私はナンシー(・カー)がバイオリンを始めたのと同じくらいの歳から、フルートやティンホイッスルでトラディショナル・ミュージックと、それからクラシック音楽を演奏してきたのです。私の父はフィドルを演奏していましたから父からトラッド・チューンを習うのは容易でした。でも父は歌は歌いませんでしたし、私は子供の頃にはトラディショナル・ソングに出会う事はなかったのです。大学の民族音楽学のコースで英国とヨーロッパのフォーク・ミュージックについて勉強するまではね。

 私が全く知らなかったトラディショナル・ソングを知る事になった大学の講義は素晴らしかったわ。私は22歳で受講するまでは、マディ・プライアやジューン・テイバーやサンドラ・カー、マーティン・カーシー、イワン・マッコール...といった人々がしてきた事を全く知らずにいて、一挙に全てを知ることになったのよ。私はバラッドについての講義とか、アイリッシュ・ミュージックについての講義とか、1960年代のフォーク・ミュージック・リヴァイヴァルについての講義... なんかを6ケ月のコースで受講しました。

Q)なるほど、それではあなたが大学のコースで最初にそうしたフォーク界の偉大な歌手達を知った時、どのような点に魅せられたのでしょうか?

B)正直に言うと、歌手達をそれほど好きだと思った訳ではないの。私が本当に好きになったのはトラディショナル・ソングそのものでした。その物語の語り口とかいったものです。つまりトラディショナル・ソングの歌われ方よりも歌自体により魅せられたのです。もちろん時にはシンガーを気に入った事もあるけれど。

 私が余り熱心になれなかった歌い方は1960年代に行われるようになったものだと思います。私はトラディショナル・ソングはジューン・テイバーやマディ・プライアの好きな聴衆だけではなく、良い音楽や良い歌の好きなもっと広い聴衆にアピールする事が出来ると思います。

〔注:本件については、ビルはいささか言いすぎたと思ったのかもしれない。インタビューの後の雑談中に、ビルは「でも私は、アン・ブリッグスとかフランキー・アームストロングなどは大好きですよ」とこちらが尋ねていないのに自分から語ってくれたのだった。〕

Q)先程も言われていましたけれど、あなたはトラディショナル・ソングのスタイルがお好きなのですね。

B)そう、歌のテーマについてもね。

Q)それで、あなたはある種のファンタジー物語を好んでいる様に思うのですが。

B)そう。私は本で物語を読む事も好きなんです。素晴らしい物語には音楽の要素があると思います。私はトラディショナル・ソングだけではなく、例えばサンディ・デニーなども好きですよ。フェアポート・コンベンションは好きじゃないけれど(笑)。何故なら私には彼らの音楽は古いと感じられるからです。あなたも私の様に1990年代の後半から音楽を聞きはじめたのならばそう思うでしょうね。
 
 

2.ピアノとフォーク・ミュージック

Q)よく分かりました。それでは楽器の話題に移りましょう。今日のあなたのメインの楽器はピアノだと思いますが、ピアノはトラディショナル・バラッドを伴奏する楽器としてはユニークなものですね。

B)そう。少しずつ世代交代しているけれど、今だにイングランドには古風なフォーク・ファンもいて「ウヘー、ピアノはトラディショナルな楽器じゃない」なんて言われるのです。実に馬鹿げた意見だわ。伝統的にもフォーク・ミュージシャンは使用可能な楽器を(拘りなく)使ってきたのに。ギターだってもともとはトラディショナルな楽器じゃなかったのだし...ピアノはフォーク・ミュージックにはとても良い楽器だと私は思います。特にスローな曲にはね。

Q)なるほど。あなたにとってはピアノでトラッドを伴奏する事は簡単なのでしょうけれど、そういうフォーク・ミュージシャンは他に余りいないと思います。

B)うーん。ピアノを使うフォーク・ミュージシャンは確かにイングランドでは余り多くはいませんね。でも若い人達はもっとピアノを使う様になってきたと思います。例えばケイト・ラスビーはいつくかの曲でキーボードを使っているし、カーラ・ディロンもピアノを使っているわね。同じくカパー・ケリーみたいなバンドとか、メアリー・ブラックなども...この様に通常はギターの伴奏でも時にはピアノやキーボードを使うアーティスト達はいるし、今後、鍵盤楽器はもっとポピュラーになっていくとおもうわ。

Q)そうですね。でも重要な点はあなたが単にピアノを弾いているという事ではなくて、まるであなたとピアノがデュオで歌っている様にすら聞こえることなんです。確かに今日キーボードを使うフォーク・ミュージシャン自体は少なくはありませんが、あなたはピアノを使って他の誰とも違うソフィスティケートされたアレンジをトラディショナル・ソングに対して行っている。

B)有り難う(笑)。時にはそうやっているのかも。曲によってはソフィスティケートされたり進歩したスタイリッシュなものになっていると言えるかもしれません。でも私にとっては歌は最も重要なものですから、私は歌のストーリーを伝えたいのです。決して伴奏で声を覆ってしまいたくないわ。だから時にはピアノの伴奏はとてもシンプルに、まるで子供のピアノみたいにね...

Q)子供のピアノですって。とんでもない! そのあなたのピアノのユニークなアレンジはあなた自身が創造したものということはよく分かっていますけれど、それでも時にはクラシックの作曲家の仕事を参考にしたりはしないのでしょうか?例えばオートラリアの作曲家のパーシー・グレンジャーとか..?
〔注:パーシー・グレンジャー(1882-1961) はオーストラリア生まれの作曲家/ピアニストで、英国や米国で活動した。様々な音楽を残したが、中でも英国民謡のピアノやオーケストラ曲へのアレンジは広く知られている。〕

B)そのパーシー・グレンジャーとかボーン・ウィリアムスとか、ベンジャミン・ブリテンもフォーク・ソングをアレンジした事は知っているわ。でも答えはノーよ。私はそれらから距離を置くように努めてきたので聞いた事はないわ。

 私は同年輩の殆どのフォーク・シンガー達も聞いていないしCDも持っていないの。つまり他の人達のアイデアを安直に使用するのが嫌だから(笑)。だからカーラとかイライザ・カーシーのCDは聞いていないの。ケイト・ラスビーについては最近聞きはじめたわ。つい数カ月前にね。それまでは彼女のCDは全く聞いていませんでした。

 同様にパーシー・グレンジャーの音楽についても聞いていなかったのです。それと彼は多くのフォーク・ソングに自分のコピーライトを主張して、自分にロイヤリティが入らないと演奏をさせなかった。これはフォーク・ミュージックにとって犯罪的な行為だと思います。だから私は彼から離れていたいわ。例えば私は"A BRISK YOUNG SAILOR"を生きている歌手から学んだのだけれど、これはグレンジャーのコピーライトになっている曲なの。トラディショナル・ソングなのにね。私はグレンジャーのは聞いた事がないわ。

〔注:"A BRISK YOUNG SAILOR"はビルのデビュー・アルバム『ターン・トゥー・ミー』に収録されているが、ビルはリンダ・アダムス(フェルサイドレコードの主宰者であるポール・アダムスの夫人)の歌で覚えたのだという。〕

Q)そう言えば、あの偉大なトラディショナル・ソングの収集家のピーター・ケネディも..

B)ああ、彼の偉大な本は持っているわ!

〔注:ケネディの代表的著作である1975年の大著『FOLK SONGS OF BRITAIN AND IRELAND 』のことだろう。〕

Q)しかし彼もコピーライトについては余り良い事をしなかったという話を聞いた事があります。

〔注:これは著者が数年前に東京で会ったロビン・モートン(テンプル・レコードを主宰しているスコットランドのベテラン・ミュージシャン/プロデューサー)から直接聞いた話なのだが、かつてケネディは彼の大著に収録されているトラディショナル・ソングを歌ったシンガーを見つけるとその歌手に電話を掛けて「僕の本の歌だぞ」とコピーライトを主張したという。〕

B)そう難しい問題ね。例えば誰かがトラディショナル・ミュージックに意味のあるアレンジを行ってコピーライトを主張したとすると、他の人はトラディショナル・ミュージックは常にミュージシャンからミュージシャンへ伝えられてきたものだから、一人がコピーライトを主張するのはおかしいと言うでしょう...。
 
 

3.アコーディオン、キャレン・トゥィード、ノーサンバーランドの音楽...

Q)それでは、もうひとつの貴方の重要な楽器のアコーディオンについてですが、あなたはキャレン・トゥィード(『パンチポーラン』をプロデュースしたイングランドを代表するボタン・アコーディオン奏者)を尊敬している事は知っています。実際彼女の音楽についてどう思っていますか?

B)本当にファンタスティックよ!私は彼女の様にアコーディオンを演奏出来た事はないわ。私は彼女を二つの点で尊敬しているの。ひとつは偉大なアコーディオン奏者だからで、彼女はアコーディオンをウンパ、ウンパという私の嫌いな古くさいベース奏法から開放したのよ。彼女はアコーディオンを現代の楽器として革新した最初のひとりなのです。

 そして彼女はまたトラディショナルや全ての音楽の偉大なアレンジャーでもあるわ。彼女はそれぞれのチューンや歌をどう演奏するかについて卓越したビジョンを持っているのよ。だから彼女が『パンチポーラン』をプロデュースした時は、アコーディオン・プレイヤーとしてではなくアレンジャーとして大きな手腕を振ってくれたの。曲のアレンジには彼女のアイデアが多く入っているわ。彼女は本当に偉大だわ。

Q)なるほど。あなたは最初にいつ彼女に出会ったのですか?

B)うーん。私の祖母がアコーディオンを弾いていて、私はよく彼女の家に弾きに行ったのだけれどそれは酷いアコーディオンだったわ。その後、21歳の時に楽器店で自分のアコーディオンを買って、曲集や録音も手にいれて練習したのよ。その曲集はキャレンによる素晴らしい本でした、黒い表紙のね(『Karen Tweed Tune Book』) 。それからその曲集の曲を収録した彼女の2枚のCD(『THE SILVER SPIRE』と『DROPS OF SPRING WATER 』) も買いました。

Q)ああ、あれですか。

B)その時は個人的には彼女を知らなかったのだけれど、偉大なプレイヤーだと思っていたわ。彼女と親しくなったのは、私がプロとして音楽活動を始めてからの事でした。私が最初に彼女と一緒になったのは、プージースの前座として3曲ばかり歌った時で、それは1998年の事でした。これは私の最初の仕事で、キャレンはとても優しくて「いいサウンドね」なんて言ってくれたわ。それから私はフェスティバルなどで演奏する様になって、そうした折りに出会ったキャレンとは挨拶を交わしたりしていたわ。そして私のアルバムのプロデューサーを探す事になった時、実はまだ彼女の事は個人的にはよくは知らなかったのだけれど、電話で彼女に「私のアルバムのプロデュースに興味はありますか?」って尋ねたら、「ええ」って言ってくれたの。ちょっと怖くなってしまったわ。CDを作り始める時にはまだそんなに親しかった訳ではなかったので「ああ、あのキャレン・トゥィードが(プロデュースしてくれるんだ)!」って思うとね(笑)。でも、CDを作り終えるまでにはとても親しくなったの。キャレンと一緒に仕事を出来たのはとてもラッキーだったわ...

Q)あなたの才能が偉大なミュージシャン達を引き寄せているみたいに思います。キャレンだけではなく、例えばクーペ・ボイス・シンプソンみたいな偉大なヴォーカル・トリオなどもそうですね。

B)彼らと共演出来た訳はね、私はある時ラジオの為のライヴ録音セッションをしたのだけれど、その時のプロデューサーがレスター・シンプソンを知っていて彼に声を掛けるとレスターが他の二人をセッションに呼んでくれたの。それで彼らは私のCD(『パンチポーラン』)にも参加してくれたというわけ。ほかの人々については、ポール・ジャーシーナ(フリューゲルホーン/チェロ)はキャレンが前から知っていたし、キース・エンジェル(パーカッション)は私が知っていたし、ディヴ・ウッド(ギター)も私の友達、キャサリン・ティッケル(フィドル)はキャレンの友人ね...

〔注:このアルバムにはフィドルで参加しているが、キャサリンはノーサンブリアン・スモール・パイプ(イングランド北東部のノーサンバーランドに伝わる独特のバグパイプ)の第一人者として知られている。〕   
                     
Q)そのキャサリン・ティッケルが実は次の質問なのですが。私はキャレン・トゥィードには何度か会っていてインタビューした事もあります。キャレンはキャサリンをとても尊敬していました。キャサリンはノーサンバーランドのフォーク・ミュージックで非常に重要な存在ですね。それではあなた自身の音楽にとってのノーサンバーランドの音楽は?

B)私はかつて16曲ぐらい入ったキャサリンの演奏のテープを何度も聞いて練習した事もあるのよ。キャサリンは素敵な人で、とてもシャイで静かなの。でも彼女は偉大だわ。私はノーサンブリアン・ミュージックが好きで、キャサリンの音楽を聞いてパワーを得たと思うわ。ナンシー(・カー)と違って私は特にノーサンブリアン・ミュージックを子供の頃から演奏していた訳ではないのだけれど。何故なら、私はスタッフォードシャー(イングランド中部)の出身ですから。私はイングランド人なのにアイリッシュ・ミュージックを若い頃から演奏していたわ。フィドラーの父がアイリッシュ・ミュージック好きでしたから、私もアイリッシュのフィドル・チューンに親しんでいたのよ(笑)。それからモリス・ダンス・チューンにもね。だから私はイングリッシュ・モリス・ダンス・チューンとアイリッシュ・チューンの両方を演奏していたのだけれど、主にアイリッシュの方が好きだったわ。ノーサンブリアンの曲については...父がケイリー・バンドのフィドラーだったので、私も父のケイリー・バンドや他のケイリー・バンドで演奏していた事があります。後者のロンドン・ケイリー・バンドはしばしばノーサンブリアンの曲をやっていて、私はとても素敵だと思いました。ノーサンバーランドの音楽がとても好きだったというのも、後に私が北に移り住んだ大きな理由だわ。

Q)あなたはスタッフォード・シャーの出身で、それからロンドンへ移り住んで、それからノーサンバーランドへ移ったのでしたね。

〔注:ビルが移り住んだのは正確にはニューカースルで現在もその近くに住んでいる。〕

B)そう大学に入るためにロンドンへ行って5年近く過ごした後に北へ移ったのです。何故なら住む場所としてはロンドンは好きではなかったから。でもロンドンはアイリッシュ・パブが沢山あって、そこでのアイリッシュ・セッション・シーンは素晴らしかった。ファンタスティックな時を過ごしたわ。私はロンドンでアイリッシュ・ミュージックを学んだというわけね。でも私はロンドンを去りたくなって、北に行く事に決めました。何故なら北東部出身のフォークシンガー達はとても強力で、そこでは若い人達もフォーク・ミュージックをやっているから。私は北東部のフォーク・ミュージックに影響を受けていますから、結局はそこへ移ったというわけなのです。

Q)それでは、あなたが子供時代を過ごしたスタッフォードシャーの伝統音楽については? それは主にモリス・ダンスの音楽なのでしょうか?

B)ええ、確かにそこには幾つかのモリス・ダンスのチームがありました。あとは..率直に言えば他には何もなかったわ。私は先程、ナンシー&ジェイムスがあなたのインタビューを受けて話しているのを聞いていたのだけれど、ナンシーは北東部の地域の民衆の伝統は途絶える事が無く続いてきたという事を話していたわね。しかしほかの地域はそうではなかったのです。スタッフォード・シャーのフォーク・シーンもかつて完全に途絶えてしまったのです。モリス・ダンスは続いてきましたけれど、それは完全にマイノリティのもので、ごく少数の人々以外は縁がなかったのです。そういう訳でスタッフォード・シャーのフォーク・ミュージックは余りないのよ。

Q)でも、あなたのお父さんはそこのフォーク・シーンに係わっていた...

B)ええ! でもほんとうに一部の人々なのです。それと歌の伝統も残ってませんでしたから、私も歌に出会う事はなかったし、スタッフォード・シャーのフォーク・シーンはとても小さなものでした。後になってからは...そういえばキャレンの曲集の中に、「バーミンガムの素晴らしいアイリッシュ・セッション・シーンから」という注記のついた曲が入っていたわ。バーミンガムはスタッフォード・シャーからほんの25マイルくらいのところにあるのだけれど、悲しい事に当時の私はそこのシーンは全然知りませんでした。もし知っていたら私はもっと若い頃にもっと多くのフォーク・ミュージックに接する事が出来たのにね...
 
 

4.歌について

Q)それではまた話題を変えて、今度はあなたのシンギングについて伺います。あなたのシンギングはとても丁寧なもので声を完璧にコントロールしていると思います。あなた自身は主にどのようなポリシーで歌っているのでしょうか?

B)有り難う。うーんそうねぇ..残念な事に私はフォーク・ソングを聞いて育った訳ではなかった。けれど私が20歳ぐらいの時、父がメアリー・ブラックを発見したのよ! 私も彼女はグレイトだと思ったわ。それから父は全てのメアリーのアルバムを入手したのよ。だから私はロンドンでメアリーのテープを聞いていたものだわ。だからメアリーは私の歌に影響を与えているでしょうね。私は彼女のスタイルが好きですし、アイリッシュ・スタイルは私のシンギングに大きな影響を与えていると思うわ。また、それからポップ・ミュージックも影響を与えているでしょう。いえポップ・シーン全体という訳ではなくて、特に一部のシンガー・ソングライターね。たとえばケイト・ブッシュとか。彼女は私がホントにホントに好きになった最初の歌手なの。ケイトを知った時は、私は彼女の全部のアルバムをノン・ストップで掛けまくったものよ。そう、あとはトリ・エイモスなんかもね。

 だから私のシンギングはフォーク・ミュージックとポップ・ミュージックの影響を共に受けているのです。それで、私の歌のポリシーはただ「誠実に歌うように努めること」。これはポップ・シンガー達と同じだと思う。たとえおかしな声でも悪い声だとは思わない様な人々ね(オオゥと絶叫の真似をする)。これはある意味で、とても現実に誠実な事だと思います。...それから私は時にはアイリッシュ風の装飾をシンギングに付加する事もあるわ。私はフルートでフィドル・チューンを学びましたから、そうした事を反映して、たとえばフィドル・チューン風の装飾を付加して歌ったりもするのです。フィドル・ミュージックを聞いて育った事の影響が歌声にも現れているわけですね...

Q)「誠実に」と言われたのは、歌の物語や音楽に対して誠実という意味でもあるのでしょう?

B)そうです!私はストリー・テラー(物語の語り手)なのですから、それが一番重要な点で、歌手は二の次なのです。 
                         
Q)なるほど、「歌は歌手よりも重要だ」というA.L.ロイドの言葉を思い出しました。

B)その通り。それは事実だわ。

Q)あなたは幾つかのゲーリック・ソングも歌っていますが、英語の歌と同様にこれもまた魅力的ですね。

B)最高の歌の多くはゲーリック・ソング(ゲール語の歌)ではないでしょうか。ゲーリック・ソングには途絶える事のなかった強い伝統があるからです。私はイングリッシュ・ソング(イングランドの英語歌)も好きですけれど、歌の伝統が途絶えてしまったので、本から学びなおす必要があります。大学の英国とヨーロッパのフォーク・ミュージックのコースではウァオキング・ソングの講義を受けたわ...知っていますか? へブリディーズの布打ちの仕事歌よ。私はウァオキング・ソングが大好きなの。

Q)知っていますよ。私も大好きですよ。

〔注:ウァオキング・ソング(Waulking song) とはスコットランド西方のヘブリディーズ諸島に伝わる独特の仕事歌。織り上がったツイードの布の目を叩いて詰めて強固にする「縮毛作業」を行う際に、女性達によってコーラスで歌われるリズミカルなスコティッシュ・ゲーリック(この場合正しくはガーリックと発音する)・ソングである。〕

B)ゲーリック・ソングのメロディはとても鮮烈なもので、"SILVER WHISTLE"のような多くのゲーリック・ソングの古典があるわ。でも私はゲーリックの言葉を歌えないので、ファラララーのような意味のない言葉の部分を歌っていますけれど。もしもカパー・ケリーのカレン・マティスンみたいに私にヘブリディーズの祖母があったら、もっと簡単にゲール語の歌を歌えるでしょうけれど(笑)。私はゲーリックのメロディーを気に入ったら、ゲール語の言葉を英語に翻訳する必要があります。でもほとんどのゲーリック・ソングではなかなか上手くいかないんです。だから私は英語で新しい歌詞を付ける事にしたのです。私は曲全体をゲール語で歌いたいとは思わないわ。何故なら私自身の伝統としてゲーリックを持っていないのですから。発音の点もあるし。

〔注:"SILVER WHISTLE"はヘブリディーズ諸島のバラ島の名歌手フローラ・マクニールの歌で知られるゲール語の歌。『パンチポーラン』の収録のビルの録音はビル自身が作詞した英語の新しい歌詞が付けられていたが、リフレインの部分の意味の無い言葉の部分は原曲通りそのまま歌われている。〕

Q)なるほど、あなたはゲール語(スコティッシュ・ガーリック)とかアイルランド語(アイリッシュ・ゲーリック)では歌わないけれど、また一方で直訳を歌う事も好まないという訳ですね。

B)それらは特定の場所の文化に根ざしたものだからです。例えば"SILVER WHISTLE"の原曲はボニー・プリンス・チャーリーについての歌ですね。それには特定の歌の形式があって上手く英語には翻訳出来ないのです。
 
 

5.フォーク・ロック、好みのサウンド

Q)分かりました。さて次はエレクトリック・フォーク・ミュージック(フォーク・ロック)についての話題なのですが、先程あなたはその内の幾つかは時代遅れの感じを受けると言われていましたね...

B)ええその通り(笑)。私はフォークとポップを混合したくないと思うわ。ポップ・ミュージックはすぐに時代遅れになってしまいますから。ファッションがすぐに時代遅れになってしまうみたいにね。

Q)それでは、あなたにとってはスティーライ・スパンとかモリス・オンなんかもそう感じるのでしょうか?

B)私はスティーライ・スパンは聞いていないの。マディー・プライアは知っているけれど、スティーライは聞いた事がないのよ。フェアポートの関係についても...

 でも、カパー・ケリーは本当にファンタスティックなバンドだと思います。彼らは非常に上手くフォークとポップを結合していると思うわ。とても現代的だし、完璧に上手く行っていると思います。ドラムなどのリズムやエレキの歪んだ音が、フィドルやギターのアコースティック・サウンドと上手く混ぜ合わされている。ただほかのバンドについてはフェアポートみたいだと思うバンドが今日のイングランドにはあります。でも具体的な名前は挙げたくないわ。人間的にはとても好きな人々なのでね(笑)。音楽は好きになれないけれど。

Q)わかりました(笑)。

B)また他のバンドを挙げると、アフロ・ケルト・サウンド・システムって知っている? 私は彼らをとても好きなのよ。スコットランドにはマウス・ミュージックっていうバンドもいたけれど、とても実験的なサウンドのバンドで、こうしたグループは好きなのです。

Q)なるほど、あなたの好みが分かるような気がします。でもあなた自身の音楽としては、彼らみたいにトラディショナル・ミュージックにリズム・セクションを結合する様なアプローチは余り取っていませんね。

B)私ももっとドラムなどを使うようにし始めたところなのよ。私はそうしたものが好きですし...でも特にイングランドの今日のフォーク・シーンはとても難しいところがあるわ。ポップの影響を排してフォークをやる必要があるの。何故ならフォークの聴衆とポップの聴衆が完全に別れていて、フォークとポップを半々にやると、片方からはポップ過ぎると言われ、もう一方からはフォーク過ぎると言われてしまうでしょう。でも、一度アーティストとして尊敬を集める立場を確立した後ならば、もう少し実験的な事ができるものと思います。人々は支持してくれるでしょうから。例えばカパー・ケリーは長い間懸命にやってきて時間を掛けて立場を確立したわ。

Q)そうですね。彼らは最初はもっとフォーク的な音楽でしたね。

B)その通り。それと彼らがスコティッシュだからという理由もあるでしょうね。スコットランドの方がイングランドよりもフォーク界に多くの追従者達がいますし...イングランドではフェアポートに対しては多くの追従者達が存在しますから、もしフェアポートの様なサウンドの音楽をやったとしたら聴衆があるでしょう。しかしそれ以外のやり方でフォークとポップを結合する事は、レコードを売って生計を立てる立場からすればちょっとリスキーな事だと思います。ポップ・レーベルとフォーク・レーベルのどちらからも敬遠されるでしょうしね。イライザ・カーシーはフォークとポップを結合しようと試みていると思います。ある点では彼女はとても実験的だわ。でも一度レコード・レーベルから外されて、それからまたもっと伝統的なスタイルで復帰してきたの。私自身も将来的にはもっと実験的なスタイルでやりたいと思うけれど、それはとてもリスキーな事なのです。
 
 

6.今後の音楽活動について

Q)その、あなたの音楽の今後についてが最後の質問なのですが...

B)私は何でも好きなのよ!"Tam Lin" (『パンチ・ポーラン』収録のトラディショナル・バラッド)みたいにストリング・カルテットを伴ったものから、"Goin' Back"(同じく『パンチ..』収録のキャロル・キング&ゲリー・ゴッフィン作のポップス)までね。たとえばストリック・カルテット、いえブラス・バンドやオーケストラのバックでフル・アルバムを作ったら素晴らしいでしょうね(笑)。私はクラシック音楽の要素も好きですから。同時に私はピアノと声だけという形も大好きですし...それから、カパー・ケリーにバックをやって貰って一枚アルバムを作るのもいいかも、ハハハ(笑)!

Q)それは素晴らしいアイデアですね(笑)!

B)ハハハ、沢山のリズムやベースやサンプリングの音を使うのは素晴らしい事だわ。アフロ・ケルト・サウンド・システムをバックに使ったりしてね(笑)。...ところで最近の私はトリオで演奏している事を知っている? ミランダ・サイクス(Miranda Sykes) がベースとヴォーカルで彼女はギターも一寸弾くのよ。彼女はとてもシャイだからもっとやるように薦めているのだけれど(笑)。もうひとり、サーラ・ライト(Sarah Wright)。彼女の楽器はフルートやホイッスルで、また素晴らしいバウロン・プレイヤーでもあるし、歌も歌うわ。私とミランダとサーラの3人で素晴らしいサウンドを作るの。

Q)そのミランダ達とはどの様にして知り合ったのですか?

B)それは私がロジャー・ウィルソン(ギター/フィドル奏者)と一緒に演奏していたからよ。ロジャーとはキャレン・トゥィードを通して知り合ったわ。数年前にロジャーはキャレンとよく仕事をしていたから、『パンチポーラン』のレコーディングの時に私がキャレンに「ギターと、フルートかバイオリンみたいなメロディー楽器を演奏出来るミュージシャンを誰か知っている?」って聞いたら「ロジャー・ウィルソンがいるわよ」って教えてくれたの。それでロジャーと一緒に演奏する様になりました。

 後に彼と一緒にバンドを作ろうと思った時、4人くらいのバンドにしようと思ったのだけれど、私は女性ミュージャンが欲しくなったの。何故なら余りにも多くのバンドが、男性のミュージシャン達が女性シンガーをバックする形なのに私はホントにウンザリしていたので..たとえばケイト・ラスビー・バンドやカーラ・ディロンのバンドもそうでしょう。私はこのスタイルを打ち破りたかった。別に男性に反対しているっていう訳ではないのだけれど、沢山の素晴らしい女性ミュージシャンがいるというのにこれは恥ずべきことだわ。それとツアーする事を考えても男女のバランスが必要だと思ったのよ。男と女が二人づつならば丁度良いわ。カパー・ケリーの場合はカレン以外は6人の男でしょう、ちょっと私には理解出来ないわね。それで、私はロジャーに女性ミュージシャンを知っているか尋ねたの。ああそういえば、その段階ではまだキース・エンジェル(男性のドラマー)もいなかったし、ドラマーが欲しかったのでキースの参加もとても重要でした。さて、女性ミュージシャンについて、私はギター奏者でもトラッペット奏者でもフィドル・プレイヤーでも楽器は何でも良かったからともかく女性が欲しかったの。そうしたらロジャーは「ベース奏者を知っているよ」ってミランダ(・サイクス)を教えてくれたの。彼女は素晴らしい声を持っていて全てのハーモニー・ヴォーカルも歌ってくれるわ。

〔注:ここまでのビルを含む男女4人が、2002年に発表されたライヴ・アルバム『BILL JONES BAND:LIVE AT THE LIVE』のメンバーである。〕

Q)なるほど、なるほど..

B)それで、この後に女性でトリオを結成する為にまた他の女性ミュージシャンを探す事になったの。サーラはアウラ(OLA) というイングランドの若いグループで演奏していたプレイヤーで、そのグループは幾つかのフェスティヴァルに出演していて2年ぐらい前にBBC のヤング・トラディショナル・フォーク・アワードを受賞したわ。その後サーラとは何度か会っていました。彼女はフルートだけではなくバウロンやそれにピアノまで演奏出来るで素晴らしいわ。だって私がアコーディオンを弾いている時にピアノを使う事が出来るのだから。

Q)それで将来のあなたの音楽はもっと冒険をするのでしょうか?

B)私は音楽を心から楽しんでやっているけれど、同じように音楽のビジネスの面も楽しんでいるのよ。私はイングランドでは自分自身のレコード・レーベル(Brick Wall Music)を持っているので、プロモーションなどの沢山のビジネス面の仕事を家でやっているわ。母親は私のエージェントだし...こうした事も私には心から楽しい事ですから、ビジネス的な考えで言えば、余り実験的な音楽をやってお金を失いたくはないわね(笑)。

Q)なるほど、重要な事は、親しまれている音楽と実験的な音楽とのバランスですね。

B)その通り。私は自由に音楽をやるのが好きですけれど、同時にビジネスも続けなければならないのです。レーベルを倒産させたくはないですし...

 将来については分からないけれど...私は音楽が好きだけれども生涯音楽を続けていくとは思わないわ。まあ、あと10年くらいはやっているかも。私はもしかしたら次のアルバムがラスト・アルバムになるかも知れないさえと思っているのよ。

Q)ええっ?本当ですか。

B)ええ、そうよ(笑)。あと何年か音楽をやったら止めて、他の仕事をやろうとか考えたりね。私は音楽のビジネス面も好きだから、将来はその面で働くかも知れないわ。レコード・レーベルを経営しているアーティスト達から感化を受けてもいるし...それにオーガナイズの様なビジネスは音楽の科学的な側面と言えるわ。私が学校で科学を学んだ事は知っているでしょう? 化学の学位を持っているのよ。まあ、将来は分からないけれど(笑)。

Q)あなたはフォーク・ミュージックの新しい波だと思います..

B)そうありたいと願っているわ。21世紀に相応しい様にね。フォーク・ミュージシャンの中には歌を変えるような事を全然認めない人達もいますし、そういう人達は私が伝統音楽をひどく破壊していると怒っていると思います。でも、聴衆が私の歌を聞きに来てくれてCDを買ってくれるのならば、これ以上望むことはないわ。

B)いろいろ率直な話を聞かせてくださってどうも有り難う。

Q)分からない事があったら遠慮なくメールで聞いてね。...実際、英国の雑誌のインタビュー記事でも誤植が結構あるのよ。たとえば、この記事 (英fROOTS誌NO.208) でも、「民族音楽学」の綴りも正しくはethnomusicology と一字にすべきなのにethnic musicology になっているわ。民族音楽学を知っている人がこれを見たら、 ビル・ジョーンズは知識が無いと思うでしょうね。それから私が学生時代に入っていたバンドの名前が間違っている..Wide Woundになっているけれど本当はWise Woundなのよ。

Q)ええっ、それは大変な間違いですねぇ。

〔注:筆者自身この雑誌記事に従って、『パンチポーラン』(MUSIC PLANT RUCD075) のライナーノートで、このバンド名を誤記してしまった事を、この場を借りてお詫びいたします。〕

B)実際この後、バンドを知っていた3人の人が間違いを指摘していたわね。それからね、アコーディオン(accordion) の綴りには諸説があって、accordian と書く人もいるけれど私はやらない。この雑誌のaccordeon についてはよく知らないわ(笑)。

Q)なるほど...それでは、貴重な時間を取ってしまって御免なさい。

B)ステージの前にリラックス出来て良かったわ。...そういえば特別に次のアルバムのタイトルを教えましょうか? これは記事に書いてもいいわよ。

Q)それはどうも。1月に録音をするそうですね。

B)ええ。アルバム・タイトルについては、フォーク・シーンの他の誰かが同題のアルバムをリリースしていないかチェックする必要があるのだけれど、今のところはこれにするつもりなの。〔と言いながら、「次のアルバムは『Two Year Winter 』というタイトルで、これは米国ツアーを一緒にやったアン・ヒルズAnne Hills作の歌詞に私(ビル)が曲を書いた歌の名前」という丁寧なメモを書いてくれた。〕
〔注:2002年12月末現在のビルの公式サイトの情報によれば、このニュー・アルバムは2003年1月録音、3月発表の予定で、アルバム名はまだ付いていない、とされている。因みに参加ミュージシャンには、サーラ・ライト、ミランダ・サイクス、ポール・ジャシーナ、キース・エンジェル、ディヴ・ウッド、ステュワート・ハーディStewart Hardy (フィドル)の名前が挙げられている。〕

Q)この『Two Year Winter 』の意味は?

B)2年越しの冬(年を跨がって続く冬)という意味で、普通の表現ではないけれど、これは歌のタイトルですからね。これはとても悲しい歌で、人の人生の悲しい時を歌ったものなの。...個人的には私は冬が好きですし、冬は私にとってはハッピーな季節でもあるのだけれど。

Q)その歌詞を書いたアン・ヒルズはシンガー・ソングライターですから、普通は曲も書くのではないですか?

B)ええ、彼女はよくイングランドや米国のトラディショナル・ミュージック(のメロディ)を使ったりして素晴らしい歌を書くわ。例えば「ペンダル・ヒル」というランカシャーの有名な丘の事を歌った歌があるの。それは大昔、魔女とみなされた女性が首吊りになった丘なの。彼女の親戚のひいひいひい..ひいお婆さんも吊るされたとか。彼女の歌はとてもトラディショナル・フォーク的だわ。

Q)いろいろ興味深い話を有り難うございます。皆で新作を期待しています。
 

〔後記〕やはりビル・ジョーンズは他の誰でもなく、ビル・ジョーンズであった。ビルは、トラディショナル・フォークの本流から出てきて「生涯フォーク・ソングを歌いつづけたい」と語るナンシー&ジェイムスとは、実に対照的な存在であり、様々な意味で英国フォーク界のニュー・ウェーブである事を実に明確に示してくれたのだ。コンサート前の貴重な時間であるにも係わらず、予定時刻を越えても興味深いエピソードをどんどん話してくれた彼女に心から感謝すると共に、その発言が本稿で正しく伝えられている事を願うばかりである。

〔*このインタビューは2002年11月26日に名古屋市内のホテルにて行いました。本稿の文責は全面的に筆者が負うものです。

(2002.12.30白石知良)

このページのビルの写真は、白石さんの撮影です。


BILL JONES HOME PAGE

THE MUSIC PLANT HOME PAGE