マンチェスター工場労働者の息子として生まれたクライヴ・グレッグソンはビートルズ、キンクス、ザ・フーなどが大好きで、15歳のころからギターをひきはじめ、地元のフォーククラブで歌いはじめる。その後カレッジで知り合った友人とエニー・トラブルを結成。マンチェスターのクラブを中心に精力的なライブ活動をはじめる。これがコステロやニック・ロウに続くアーティストを探していたスティッフレコードの目にとまりファーストアルバム「Where
are all the nice girls?」が発表になる。エニー・トラブルはメロディー・メイカー誌に「プリテンダーズ以降最もエキサイティングなバンド」と紹介されるなど、英国のメディアにこぞって絶賛され5枚のアルバムを残すが、最終的には大きな商業的成功にはつながらず、84年にバンドは解散してしまう。
85年最初のソロアルバムである「Strange Persuasions」を発表後、リチャード・トンプソンバンドでの活動をへて、クライヴはエニー・トラブルの解散直前に出会ったクリスティーン・コリスターとデュオを結成する。フォーククラブを中心に少しずつ人気をのばしてきた彼等だったが、自主制作で作ったカセットがCooking Vinylの目にとまり「Home and Away」というライブ盤を発表。続いて英国フォークロックの名門トピックレコードのSpecial Deliveryレーベルより初のスタジオ盤「Mischief」を制作。このアルバムが英国フォーク界で大ヒットし二人は英国でNo1のデュオとしての地位を確立する。またこの時期クライヴはプロデューサーとして、セッション・ミュージシャンとして多くのレコードに名前を残す。ソロアルバムとしてはエニー・トラブル時代のアウトテイクやデモを集めた「Welcome to the workhouse」を90年に発表している。グレッグソン&コリスターだが、英国はもとよりアメリカ、カナダ、ヨーロッパ、オセアニアそして日本もツ アーし、成功をおさめたものの、92年に5枚目のアルバム「The Last Word」を残し、惜しまれつつも解散。再びソロ活動に戻る。
93年に元バイブルのブー・ヒュワディーンとエディ・リーダーとともに、トリオで英国内をツアー、その後94年にアメリカ人女性と結婚しアメリカへ移住したクライヴは、11月ソロライブや自宅での録音を集めたオフィシャル・ブートレッグ「Carousel Of Noise」を発表。さらにイギリスで次なるソロアルバム「People and Places」の制作にとりかかりはじめ、95年にアメリカではナッシュビルのCompass Records、英国ではDemon Records、日本ではMSIがこのアルバムを発表している。96年に入って初めてのナッシュビル録音で「I Love This Town」を制作。日本では97年2月にバンダイミュージックより発売になり、プロモーションもかねて3月に初めてのソロ来日公演を行った。
またクライヴは英国/ヨーロッパ/カナダをソロツアー、イアン・マシューズ、アンディ・ロバーツ率いるプレインソングに加わりヨーロッパをツアーしている。そしてこの合間をぬって、自宅にスタジオを構えソロアルバム「ハッピー・アワー」の制作にとりかかりはじめた。
98年5月オースティンで、プレインソングのニューアルバムを制作したクライヴは、ここで久々に会ったジョン・ウッドとの旧交を温め、ジョン・ウッドはクライブのニューアルバムのミックスを手がけることになった。収録曲のうち何曲かはすでにクライヴのライブでおなじみの楽曲。97年の日本公演でも演奏され、ノーマ・ウォータソンにもカバーされた「フレッド・アステア」も収録されている。このアルバムは英国Fellside Recordsより2/19に、日本はミュージックプラントより2/28に、米Compass Recordsより3/23にそれぞれ発売になる。
98年秋クライヴは自身の英国ツアーを終え、11月ナンシー・グリフィスの「Other Voices, Too...」のツアーにスペシャルゲストとして参加するなど多忙な日々を送っている。99年は3月にプレインソングのヨーロッパ・ツアー、4月にニューアルバム「ハッピー・アワー」のリリースに伴う北米ツアー、ブー・ヒュワディーンやエディ・リーダーとのトリオ再結成が予定されている。