| ■ヴェーセン 取材(2004.4.7/ラティーナ/渋谷ルノアール)
インタビュー:松山晋也 ウーロフ・ヨハンソン(ニッケルハルパ)
――まずは1番ベーシックなところを確認しておきたいんで、それぞれ順番に子供の頃の家庭および地域の文化環境を教えてください。特に伝統音楽について。 ウーロフ●ウップランドのタクァという小さな町の出身。僕の母はマンドリンとオルガンを弾いてた。彼女の兄弟姉妹もけっこうみんな楽器をやってて、おじさんがニッケルハルパをやっていた。たぶん彼の影響で僕もニッケルハルパを演奏は始めたんじゃないかな。それからフィドルの巨匠(Master fiddler)であり、ニッケルハルパもギターも演奏するカート・タルロート(Curt Tallroth)と出会って、彼が先生になってくれたんだ。 ――じゃあ最初から3つ同時に習ったの? ウーロフ●いや、僕はニッケルハルパだけ。ギターはかんべん。 ――14歳くらいのときでしたっけ? ウーロフ●うん
ウーロフ●いや、みんなもっと子供のころからやってるよ。僕は遅いくらいさ。 ――66年生まれだと、1980年くらいですよね。もうその頃は、ニッケルハルパも特殊な楽器じゃなくて、子供も手にとるような状況になってたわけですか。 ウーロフ●うーん、地域にもよるな。スウェーデンの一部の地域では学校で教えてたりもして。かと思えば、全く皆無な場所もある。 ――以前、ラーナリムのニッケルハルパ奏者のニクラスにインタビューしたんですよ。彼はたぶんあなたより年下だと思うんだけど、彼が子供のころは、もう全然周りにニッケルハルパ奏者がいなくて、ほんと手探り状態だったって言ってましたけど。 ウーロフ●書いてあげるよ(と地図を書き出す)。ここがストックホルムで、ここが僕らの出身地のウップランドで、伝統的なニッケルハルパのエリアだ。僕らはここ出身。で、ニクラスは、こっちの方の出身なんだよ。(と、ものすごく小さくニクラスの出身地を書いたので、みんな爆笑。スウェーデンってストックホルムを境に北と南、別の世界という意識があるようだ) ――ほんとかどうかは知らないけど、19世紀からニッケルハルパがどんどん廃れてきて、一番最低だったのが1900年代の前半で、1950年には、スウェーデン全土でまともに弾ける人が5人しかいなかったってニクラスは言ってたけど。 ウーロフ●うーん、5人じゃなくて、10人とか15人とかだとは思うけど(笑)…まあ少なかったことは間違いないだろうね。 ――ということは、(その最低時代から)80年代までのその間に、ものすごく復興してきた、ということですよね。 ウーロフ●ニッケルハルパは、とにかく700年間くらい演奏されてきているものなんだよね。それでいつも変化している。他の楽器とくらべると……例えばフィドルがスウェーデンにきたのは1600年くらいだったと思うけど、その時はフィドルがものすごい人気だったりして…アコーディオンも1800年代に入ってきてすごい人気がでたし。それでニッケルハルパはだんだん落ち目になっていくという…。でもそんな時、突然ある人が楽器に大きな開発/発展を与えるんだよね。で、また人気が復活したりとかして。一番最近の落ち込みは1930〜40年代だと思うよ。で、また70年代に人気が上がってきたりして。60年代なんかは、もうほんとに落ち込んで、10人とか15人くらいしか演奏者がいなくなった。で、その全員がウップランドに住んでたんだ。 ――あなたが習い始めた頃は、ニッケルハルパってけっこうヒップな感じだったのかな。 ウーロフ●NO! とにかく、まったレアなもんだったんだ。 ローゲル●ちょっとおたくっぽいよなっ!(笑) ウーロフ●イェス。おたくどころか、とにかく、あまりに少なかったんだよ。 ――じゃあニッケルハルパはとりあえずおいておいて、音楽環境的には、わりと伝統音楽にかこまれて育ったんですかね。 ウーロフ●そうだね。 ――では次、ローゲルは? ローゲル●僕の家族にはミュージシャンはだれもいなかった。母は聖歌隊で歌ってたけど、父は…口笛はうまかったなぁ。祖父母もあんまり音楽的じゃなかった。でも母方のおじさんたちが、僕が子供の頃、左翼系ミュージシャンで、父親方のファミリーにもアコーディオンを弾いているおじさんがいたりして、新しめの伝統音楽…ワルツとかポルカとかスコットランド系の新しめの音楽をやってたりしたね。彼がリヴィーンというスウェーデンの古いギターを持っていてね。ジャズ・ギターっぽいんだけど。それを手にしたのが最初。なんと言うか弦がすごく固くて、すごく古くて、あんまりコンディションが良いものじゃなかったから、大変だった。でも、彼がオープン・チューニングとかやってみせるのを見て…そう、あの曲、よく覚えてるよ、「ティスカ・キョッコラ」、つまり「ジャーマン・バーズ」って曲で、それはカート・タルロートCurt Tallrothもギターでよくやってた曲なんだよ。それをやっているのを聞いたのが、8才か9才のころかな。すごく素晴しいと思った。人生において、ある曲を聴いて「うわーすごい」と思った初めての瞬間だ。おじさんはギターを置いて仕事にいっちゃったんだけど、その後、僕は彼のギターを手にとり、彼が仕事から戻ってくる頃には、その曲を自分で弾いておじさんに聴かせることができるようになっていた。おじさんが僕に弾いて聴かせてくれたのは、たった1回の演奏だったんだけど、それがとにかく心の中に、深く刻まれたってことかも。だから1日中ギターを弾いてたんだよね。それが僕がギターを弾き始めた最初の出来事であり、自分で自分のチューニングを始めた最初の出来事だね。だから、僕のルーツはきっと、左翼系の進歩的音楽と、たぶんビートルズ、それからスウェーデンの後期ダンス・ミュージックかもね。で、79年か80年頃には、完璧に伝統音楽の世界にどっぷりだった。そんな感じかな。 ――じゃあミカエルさん。 ミカエル●ストックホルムのど真ん中で産まれたけど、九歳には田舎に移住して。父は画家でリベラルなボヘミアンって感じだったんだ。僕も… 外野:ほとんどボヘミアンだった! ミカエル●ほとんどじゃなくて、確実にボヘミアンだったよ。フィドルは学校で始めた。クラシック音楽だったんだけど、すごくつまんなくて、だから月曜日の夜に(伝統音楽の)フィドラーのグループの集りがあって、母がそこに車で連れていってくれたので、そっちにばかり出入りしてた。10才とかそのくらいだね。他のフィドラーはおじいさんばっかり。65才平均みたいな。アマチュアのレヴェルだったんだけど、彼等にとっては、若い僕は将来の希望みたいな存在になって。だからすごいよくしてもらってたんだよ。で、その中にヴァイオリン・ビルダーの人もいて、最初のフィドルはその人にもらったんだよ。それで演奏続けて…上達が早かったので、更にイヴェール・タルロートIver Tallorthというフィドルの達人との出会いがあって、今度は母はその先生の住んでいるウプサラにまでドライヴしなくちゃいけなくなった。 ――それは伝統音楽系のフィドラーですか。 ミカエル●そうだよ。 ウーロフ●その彼(Iver Tallorth)は、僕の教えてもらってた人のお兄さんなんだよ。 ミカエル●それから本格的に音楽にのめりこんでいって。 ――じゃあクラシックとトラッドと平行してやっていたんですね? ミカエル●最初は学校でクラシックをやっててつまらないと思ってすぐ止めて、トラッドの方をずっとやってたんだけど、結局ある程度のレヴェルまで行くと、またストックホルムの学校でクラシックを学んだりして。それで大学も音楽の大学へ行ったんだ。 ――たしかクラシックのオーケストラに在籍してたんですよね。 ミカエル●いや、在籍はしてないね。だいたい代打の演奏者。フリーランスで、欠員補助の仕事が多い。室内楽とかね。古楽とかね。 ――あなたの音楽をきくと、すごくバロック/古楽的なニュアンスを感じるんですよね。だからそういうのが好きだったのかな、と思ったんですが。 ミカエル●そうかもね。古楽とか、すごく楽しいもの。他の言語があるようなもんで。他のクラシックの人はクラシックのサイドしか知らないけど、「この装飾音はどうか」とか「こんなのはどうか」とか。 ――あくまでもハートはトラッドだったのかな。 ミカエル●そうだね。そう言ってもいいかもね。でもオーケストラとやるのもすごく好きなんだよ。みんなの間にすわって、一瞬ごとに演奏が組み立てられて行くあの感じも捨てがたい。 ――で、10代からウーロフとミカエルの二人は一緒に演奏してたんですか。 ミカエル●そう。 ウーロフ●ミカエルと僕は1982年くらいに最初に会ったんだと思う。 ミカエル●で、僕はローゲルにはその前に出会っている。 ローゲル●最初僕はミカエルは知ってたけど、ウーロフのことは知らなかった。 ――結成の経緯は、ノルウェーのフェスでウーロフがローゲルに出会って一緒にやろうって言ったって聞いてるんだけど、ウーロフはその時、ローゲルのギターのどういう点に惹かれたんでしょう? ウーロフ●僕らはあの日、座って、ノルウェーで、一緒にゴチャゴチャと演奏していたんだ。あのときローゲルが持っていたのは他人の12弦ギターだったんだけど、とにかくローゲルが弾いているのを聴いて…ニッケルハルパと12弦ギターって合うんじゃないかなと思って。まぁ、とりあえず、ちょっとトライしてみる価値はあるかな、と思った程度なんだ。 ――そしたらその前は12弦ギターとかと一緒にやることはなかったの? ウーロフ●うん、それが最初だったんだよ。 ――ミカエルはこのトリオでは、ヴァイオリンじゃなくてヴィオラなんですけど、それはやはりアンサンブルの音域や立体感を考えてのことなんですか。 ミカエル●数曲フィドルの曲もあるけどね。究極のミックスを考えるとヴィオラだね。 ――それは音色とか、音域ってことかな? ミカエル●そうだね。音域。 ローゲル●一緒に演奏すると分かるんだけど、フィドルとニッケルハルパだと音がかなりシンクロするからね。 ウーロフ●フィドルとニッケルハルパは同じピッチなんだよ。でもヴィオラだともっと広いリッチな音がでる。 ミカエル●この3人だと、考え方としては、オーケストラみたいな感じ。低音楽器もハーモニー楽器もあるし。 ローゲル●要は隙間をうめていくってことだね。 ――で、89年に出会って、90年にウーロフのソロ・アルバムが出て、それをきっかけにトリオがスタートするわけだけど、その段階で、頭の中には特に目標とするようなバンドはあったんですか。 ウーロフ●ノー。ウプサラで、ニッケルハルパとギターのデュオをやっている人とかいて、いいなぁと思ってたけど…最初のヴェーセンのCDが出た時に、これは他とは違う、ヴェーセン独自の音楽になっているなというのを実感していたね。でもあの時は、まだ今の12弦ギターじゃなかったから… ローゲル●トルコのウードを使ってたんだよ。で、そのチューニングをギターに転換してやってた、というか。今確立しているヴェーセンのスタイルが最初出てきたのは…僕は最初に伝統音楽にのめりこんだ頃、ギターじゃなくてフィドルをよく演奏してたんだけど…だいたい7〜8年間くらいやってて…よくハーモニーをフィドルでつけて演奏していたんだ。それは僕がその前によくギターでやっていたことだったから。よくメロディの下にハーモニーをつけて演奏していたんだ。その知識をギターに再び戻った時に持ち込んでみたんだ。だから現在の僕のギターの奏法は、フィドルの奏法に非常に影響を受けている。それが、僕がこんな変則チューニングを生み出した理由でもある。この方法を使うと、たくさんのオープン・ストリングスを使って、フィドルでやっていたのと同じことを再現することができる。たくさんのオープン・ストリングスで、音をたくさん出す感じだ。ドローン的な音もものすごく大事なんだよ。 ――あなたの使用楽器の一つはスウェディッシュ・ブズーキって表記されてますけど、それはギリシャやアイリッシュのブズーキとはどう違うんですか。 ローゲル●フラットバックで、どちらかというとアイリッシュ・ブズーキに近い。 ――アイリッシュとの違いは? ローゲル●Well…スウェーデン製ってことだけかな(笑) ――なんだよー(笑)。この前フリフォートが来た時に、アレ・メッレルが使っているマンドーラが特注品だって言ってて。だからもしかしたらローゲルのも特注品かなって思ったんだけどね。 ローゲル●あぁ、彼の楽器だろ。僕のブズーキを作った人が、僕のブズーキも作ったんだよ。ブルー・フレットを作ってんだよな。メジャーとマイナーの間の音。あれはやっぱり北欧の音楽用にカスタマナイズされてんだよね。 ――フィンランドでは、85年にシベリウス・アカデミーに民俗音楽学科ってのができて、それがけっこうトラッド・シーンの活性化に影響を与えたようですが、スウェーデンのトラッド・シーンを振り返ってみた時に、そういう大きなきっかけになるようなことってあったんでしょうか。ストックホルムの王立音楽大学にそういう学科ができたのは、たしか10年くらい前ですよね? ミカエル●教育には時間がかかるから。今は僕もあそこで教えているんだけど、生徒が5人くらいいて、ミュージシャンになりたい人とか、先生になりたい人のコースとか、はたまたトルコの音楽のパーカショニストとかが北欧の音楽について学びにきてたりして、すごくインターナショナルだ。 ウーロフ●フォーク・デパートメント(民俗音楽学科)ができたのは… ミカエル●始まってから、あんまり長くないんだよ。せいぜい10年くらい。少しずつ進展してきている。 ――シベリウス・アカデミーみたいに伝統音楽シーンの活況化に大きく貢献しているのかな? ウーロフ●フィンランドにおけるシベリウス・アカデミーみたいにはまだなってないね。スウェーデンとは比較できないほどシベリウス・アカデミーのシーンにおける役割は重要だ。でもスウェーデンのロイヤル・アカデミーでも最近は若いバンドが出てきたりしてね。我々3人ともあそこで教えたことがあるんだよ。 ローゲル●若いジェネレーションのミュージシャンのネットワーク化とか、ミーティング・プレイスになったりとかの影響はあるだろう。だからいろんな意味で重要だとは思うよ。新しいもののプラットフォームになっていく、ということでは。それまではレコードを聴いたり、古いフィドラーの周りに集ってくるということぐらいしか方法はなかったわけだから。だからまぁ、伝統音楽シーンにロイヤル・アカデミーがどのくらい貢献しているか、というのは、まだ語るには早すぎるってところかなぁ。初期段階の問題としては、あまりにも生徒の数に対して先生が少ないってこともある。出身者たちの演奏を聴くと、どの先生に習ったか、すぐわかってしまうような…。それに、アカデミーでは、バンドを作ったりレコーディングしたりということを生徒たちにすごく奨励しているんだけど、ちょっと成長ままならないまま先を急ぎ過ぎるということもでてくるし。 ――未熟なミュージシャンが増えているな、と思うわけ? ローゲル●はははははは。いや、そういう問題もあるので、気をつけなくちゃということだ。それはすごいチャンスだけど、責任も伴うことだから。 ミカエル●僕らがバンドを始めた頃は、すべての可能性を自分たちで手探りでスタートしたわけだしね。 ウーロフ●たとえば、いくつかの生徒は、そういう状況にきちんとついていけている。彼等はきちんとエネルギーがあって、ちゃんと自分たちの状況を見極め、すごく興味深かったりする。僕たちがやってこなくてはいけなかったのと同じように、音楽的にエキサイティングな方向へ行ける。だけど、中には、お膳立てされて学校に行くことで… ミカエル●そのまま甘やかされちゃうような人もいるんだよね。 ウーロフ●そうそう、甘やかされちゃうんだ。 ローゲル●一人一人のミュージシャンが自分からエネルギーを出せる乗り物のようになることが重要だ。学校を卒業して、世間に出た時に、現実に立ち向かわないといけない。おおよそにおいて、現実は厳しいけどね。 ――松:スウェーデンも含めて現在の北欧トラッド・シーンはすごく活性化しているように見えるんだけど、例えば、トラッド・フォークの良きリスナーでもあり、プレイヤーでもあるあなたたちがふりかえったときに、どのあたりから状況が変ってきたな、リスナーが増えて活性化してきたな、と思いますか。 ミカエル●いくつかいいバンドがあったと思うよ。新しいバンドが出てきて、人にインパクトを与えて、「こりゃーポップ・ミュージックなんか聴いてられない」って思わせた。だからいいバンドが出てくることはすごく重要だと思うんだ。 ――あなたたもその一つですね。 ローゲル●たしかに僕らは一つのモデルだと思う。アルバムを出して、それをサポートするためにツアーをして、実績を残すことで、人々に「こんなことが可能なんだよ」と知らせることはできたと思う。 ミカエル●重要なのは、そういったバンドがたった一つじゃないということなんだ。実際、非常に時間もかかるし。 ローゲル●そう、僕らは単なる一つの見本にすぎない。もっと僕らの先にいいバンドがたくさんいたし。 ウーロフ●どこがターニング・ポイントかっていうのを答えるのは難しいなぁ。 ――僕がリスナーとして聞いていた感じだと、ものすごく活性化しているなと思ったのは、90年代の半ばかな。あなたたちの他にも次々といいバンドが出てきて。 ローゲル●とにかくCDがたくさん出てきたこともあると思うね。アメリカ人の影響もある。フィリップ・ペイジがヘルシンキに来たりとか。彼がいろいろな音楽を紹介して、世間に広めることを手伝ってくれたり。それによってツアーできない先でも僕達の音楽が聴かれるようになったりとか。フィリップがヨーコ(=ミュージック・プラントの野崎洋子)に最初の僕らの音楽を聴かせてくれたりとか。あと最近ではインターネットの存在も新しいプラットフォームだし。こういう新しいコネクションが重要だと思う。スウェーデンにはマネジメントもブッキング・エージェントも少ないし、実際ほんとに自分たちだけでやってきたところに、外からコネクションができてきて「これは広まるんじゃないか」と考えてくれたことが大きいと思う。人に会って広まっていくというのは、時間がかかることだ。でもいったん本気でやろうという人たちとミュージシャンの出会いがあれば、あとは自然に広まっていくもんだよ。 ――バンドに話を戻しますね。ヴェーセン5(クインテット)がすぐに解消されちゃった理由は? (ウーロフがまたボードに何か書きはじめる) ウーロフ●乗り物がある…頭の中を走っている車さ。ミカエルがいて、ウーロフがいて、ローゲルがいて、それぞれハンド ――聴いた時の印象だと、ベースが入ると、かなりグルーヴが変ってきちゃって、なんかフレクシビリティが弱くなくなりますよね。 ローゲル●うん。それに、僕にとっては…これが僕なんだけど…(と、自分のハンドルを消してしまう) ――アハハハ… ローゲル●ヴェーセンじゃなく、ただのトラディショナル・ユニットみたいになってしまうんだ。だから今またトリオに戻ったんだけど、特に僕にとっては、このトリオでは常に新しいことができるんだ。 ウーロフ●当時はよくわかってなかったけどね。単に違和感を覚えていただけで。で、いざレコードを作ろうかって時に、ベース・プレイヤーがリハーサル・スタジオに来れなかったんだよね。そこでアンドレにもドラム・キットをやめてハンドパーカッションだけにしてもらったんだ。それだとアコースティックな感じでできるから。その方が全然うまくいった。 ――今も、パーカッショニスト(アンドレ)を加えたカルテットをフレキシブルに並行稼動させているんですよね? ローゲル●うん、最近は特にうまくいくようになったね。最初は大変だったけど。前は3人だけでよかったのが、今度は4つの声が存在するようになった。だから彼のためのスペースを与えてあげなくてはいけなくなったわけだ。カルテットの初期の時は、アンドレがこの音楽をよくわからなかったりしてね。でも最近は、トリオと同じくらいイージーになってきた。でも僕にとっては、僕のやる分が減るところがあるから、僕が一番楽しいのはやっぱりトリオだ。ほとんど自分のやりたいようにやれるからね。 ――トリオとカルテットのバンドのアンサンブルの違いを、よりシンプルに一言で説明してほしいんだけど。 ローゲル●僕にとっては、今話したとおりだね。トリオではまったく「恐れ」がない。パーカッションと一緒にやる場合は、ギターによるベース・ラインに入る時、常にパーカッションを意識しないといけない。もしミカエルが何かリズミカルなことをしたとしても同じようなことだけど。だから(演奏しながら)もっと音楽を聴く方に集中しなければならないんだ。自分が自分自身の神であることよりもね。それが多少エネルギーの、また、自分がやっていることのフォーカスの減少になる。カルテットの方は、それぞれのプレイヤーの持ち場が多少せばまるんだ。 ウーロフ●僕もそうだね。カルテットの場合は、それぞれが少し後ろにさがる感じだね。トリオの場合だと音がこれだけ離れているからいいんだけど。 ローゲル●(話をしながら発見したように)だけど同時に「たくさん聴くこと」ってのは、同時にいいことでもあるよね。だから単純な答えにはならないなぁ。2つの面があるってことかなぁ。 ミカエル●アンドレも常に前進しているからね。今は、ほんとにカルテットもいい感じなんだよ。 ウーロフ●ヴェーセンにおいて、僕らが一緒に演奏する時、全員が同じターゲットに向かっているような感じなんだけど、そのターゲットの中で行動し、ターゲットに向かって働きかけていくようなもので、僕らもハッピーでオーディエンスもハッピーになるような。そのターゲットをはずれちゃうと「うまくいかないな」って思うんだけど、カルテットの場合、そのターゲットが小さくなるような気がするんだよね。だから、カルテットの時は、もっと注意して狙いを定めていかないといけない。一番最近アンドレが使ってたセットは、以前よりも固くなく、よりソフトになってきたけど。 ローゲル●うん、僕らがやっているリズムを補強するようなそんな感じになっている。 ウーロフ●だからアンドレがあんまり狙いを定めてない曲だと、パーカッションのサウンドがもっとソフトになってもっとターゲットが広くなる感じなんだ。それは、僕達にとっていいことだと思う。 ローゲル●パーカッションは…なんか質問の答えになってないけど…カルテットのメリットとしては、パーカッションと一緒だと大きなステージで映えるしね。もっと大きな、筋肉質な、男らしいサウンドになるからね。まぁ結局、両方持っていたいってことだな。選んでやれるのはいいよ。 ――ちょっと答えるのが難しいかもしれませんけど、それぞれの性格も含めて、3人の関係性を教えてもらえませんか?
ウーロフ●信頼にたる男だと!
――ははははは。 ローゲル●みんなをフレッシュに保たなくちゃいけないから重要なんだよ。 ウーロフ●バンドのすべてのアクティヴィティにも言えることなんだけど……僕がバンドの行く方向をキープする、マップを持つ者だとしたら、ローゲルがいろんなことを思いつくタイプ。いつも新しいアイディアを持ち込んでくるタイプだ。すごくいい時もあるんだけど、全然駄目な時もある(笑)。ミカエルは、外交官担当。人づき合い担当。人寄せパンダみたいに、いろんな人が寄ってくる。すべてのことがうまくいっているかどうか見てくれるタイプだな。 ――最後に一つだけ。よくする質問なんですけど、最もたくさん回数を聴いたレコードを。どんなジャンルでもいいです。 ミカエル●ターケッシュ・カルテットがレコーディングしたバルトークの「弦楽四重奏曲No.3, 4, 5」。こればっかり聴いてた時期があったんだ。 ――バルトーク好きなんだ? ミカエル●イエス。 ローゲル●レパトリーがすごく多いからなぁ。最初の頃はスウェーデンのバンドで、スウェインガッシュ。初期のスウェーデンのロックで、少しトラッドのエッセンスも入っているんだ。60年代、エルヴィスの後に出てきたバンドだよ。それと一緒に、スウェーデンのバンドでヘップスターズ。アバのベニーがいたバンドだよ。もっとポップな感じ。 ――ベニーは今トラッドやっているよね。 ローゲル●そうだよ。彼はいつも伝統音楽を演奏してきたんだよ。 ウーロフ●うーん、僕は何も聴いてなかった、とは言わないけど、レコードとしては、ニッケルハルパ奏者のエリック・サルストルンという人のライヴ盤だな。それからアリイッシュ・ミュージックもたくさん聴いたし。特にこれってのはないな。あとアメリカのブラック・ミュージックもたくさん聴いたよ。 ミカエル●うん、あの時代の人間は、みんな聴いてたよな。でも、プロになるともう子供の頃のようには聴かないんだよね。 ウーロフ●トーキング・ヘッズに夢中になったこともあったなぁ。 ――僕はスウェーデンのバンドでは、サムラ・ママス・マンナを一番よく聴いたんですけどね。 ローゲル●僕も聴いたよ。 ウーロフ●アコーディオン奏者のラーシュはよく日本に来てるだろ。 ――ラーシュ・ホルメルはもう3回ぐらい来てますね。
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