2000年3月来日時のインタビュー
2000年3月の来日時に雑誌ラティーナのために行われたインタビューのフルヴァージョンをインタビュアーの松山晋也氏、ラティーナ編集部さんのご厚意により掲載させていただけることになりました。
2000年3月14日(火)14:00〜
場所: 広尾

松:松山 T:トレヴァー S:ショーン D:ドナ C:キリアン K:ケヴィン

松:まずは順番に出身地とそれぞれの伝統音楽のバックグラウンドについて教えてください。

T:タイローン州のクックスタウンというところで生まれた。現在はダブリンに住んでいる。伝統音楽のバックグラウンドは、特にないよ。

松:トレヴァーはウォーターボーイズの前はショウドッグスというイギリスのバンドに入っていたんでしょ?

T:そうだよ。

松:それは具体的にどんな感じのバンドだったのかな。

T:いわゆるイギリスのロック・ミュージック。70年代、80年代の音で。アメリカに渡って1年半くらいがんばったんだけど、どうにもならなかったので解散。それから1年後ウォーターボーイズに入ったんだよ。

松:どうしてイギリスに渡ったのかな。

T:音楽的な理由からだよ。知り合いのミュージシャンがイギリス人だったから。まずダブリンに80年に移り住んでカトマンドゥってバンドをやってたんだけど、その後イギリスに渡った。で、アメリカに行った。

松:カトマンドゥってバンドもロックだったの?

T:そう。ベルファーストのバンドでね。その後友達のつてでショウドックスに加入してイギリスに行ったんだ。

松:じゃあ具体的にトラッドに関わりだしたのは……ウォーターボーイズに一部伝統音楽のミュージシャンとか入ったあたりからと考えていいのかな?

T:そうだね。僕がウォーターボーイズに入った当初はそれほど伝統音楽に影響を受けた音楽はやっていなかったよ。おそらく僕が入って2年くらいたってからかな、そういう方向性にバンドが行きだしたのは。89年にシャロンが入った頃からだったと思う。

松:じゃあそれまでは家庭環境にしても伝統音楽に関わり合いになることはなかったわけ?

T:うーん、まぁ多少はね。家の中でも多少は流れていたから全然関係ないということもなかったけど。子供の時に教わった最初のギターの先生がアコーディオンで伝統音楽をやっていた人で。僕にも伝統音楽を教えようとしてくれたんだけど、結局僕は伝統音楽をやるにいたらなかった。

松:じゃあ伝統音楽に対して強い興味はなかったわけですね、シャロンとやるまでは。

T:多少、好きなものはあった。プラクシティとかボシー・バンドとかはベルファーストの学生時代に観に行ったことはあるし。でも自分でやるならロック・バンドだったね。

松:ボシーとかムーヴィング・ハーツとかも普通のロック・バンドみたいな感じで見てたのかな?

T:うーん、どうだろうなぁー。でもとにかく楽しんでいたことは間違いない。伝統的側面もちゃんと見てたんじゃないかな。だから今にして思えば一番最初に伝統音楽の影響を受けたのはあの辺だったかもしれないね。

松:わかりました。次はショーン。

S:僕はメイヨー州の出身。今はゴールウェイに住んでいる。僕はすごく音楽的な家庭に育った。5歳くらいから音楽を習い始めた。最初の楽器はティン・ホイッスルだ。その後フィドルに手をそめていった。

松:家の中では日常的に伝統音楽が演奏されたり、レコードがかかってるような感じだったんですか。

S:家の中にはいつも音楽があったよ。祖父も父も叔父さんもみんなミュージシャンで、地元のケイリー・バンドのメンバーだった。だいたい10、12人の大編成で、4フィドル、2フルート、アコーディオン、ドラム、ピアノ、それからもしかするとバンジョーとベース、みたいな。いつも週末にはみんなが集まって演奏し、僕の家にも来てたから、よく覚えているよ。小さい頃からそれを見ていて、自分も早く大きくなって音楽を習いたかった。とにかく家の中にはいつも音楽があってみんな音楽のことばかり話してたからね。

松:クラシックもやってたんですよね?

S:そう、8年生だから…15才になるまでフィドルでクラシックをやっていた。でも結局いつでも僕はゴリゴリのクラシックのヴァイオリニストではなかったね。僕のクラシックの先生は僕が伝統音楽を弾くことを知ってたけど、なんでも自分の好きなようにやってオッケーっていう感じで、全然きびしくなかった。でもクラシック音楽のスケールとか楽理とかを習うのは面白かったよ。

松:あなたのボウイングは、やっぱりクラシックじゃなくトラッドのスタイルですよね。

S:絶対にそうだね。僕はいろいろなトラッド・スタイルを習ったんだ。たくさんのアルバムも聴いたし。それらが混ざり合って自分のスタイルになっていると思うんだ。例えばブレンダン・マクレンシー、パディ・グラッキン、トミー・ピープルズ、フランキー・ゲイヴィン、みんな聴いてたから。またいろんな人とも一緒に演奏したし。いろんな人と一緒にやることによって、自分の弾き方も結構変わっていくんで、結果として、こういう影響を受けるんじゃないかっていうようなミックスになったわけだ。マイケル・コールマンとかは、父が好きだったんで、ああいう弾き方を僕にもさせたくて、いろいろ聴かせてくれたんだよね。父は僕にああいう音楽へ進んでほしかったみたいだ。ショーン・マッグリーが叔父さんの絡みで家にやってきて、初めてボシー・バンドのアルバムを我が家に持ち込んだんだけど、その日のことは本当によく覚えている。そのアルバムは今でも持っているし。

松:多分『ブルー・フィドル』を出した後に、プロとしてやっていこうと思ったんじゃないですか。それまではお医者さんになるつもりだったんですよね?

S:そうだよ。僕はそのアルバムが出た時は医者で、作ってる時はこれでプロになろうっていう気はまだなかった。あれは、レコード会社のマリガンがアプローチしてきて、作らないかと言われたんだ。録音を僕に勧めてくれたのは、シェイマス・オニール(マリガンの創立者で現在ゲールリンの経営に携わっている)だよ。だから僕はヴィニー・キルダフにプロデュースをお願いした。なんか自分にとっても特別な時期だったよね。当時の僕のアイディアを集約した内容に仕上がった。あのアルバムを出して良かったと今でも思っている。

松:『ブルー・フィドル』を出す前にもう開業してたんだ。

S:そうだよ。

松:じゃあ今でもお医者さんに戻ろうと思えば戻れるわけですね。

S:もうダメだね。

松:でも、ツアーしてて誰かが具合悪くなったら診てあげられるでしょ。

S:彼等はいつも病気だからね(笑)

松:(笑)今も一応免許は持ってるんでしょう。専門は何ですか?

S:ジェネラル・マディスン(医学一般)だよ。筋肉とか骨とか関節とか、そういう関係。

松:次はドナかな。

S:ほらこっちへ移動して、ドナ!(とドナと席を移動)。

K:懺悔の時間だ!

D:本当に懺悔みたいだな(と、いいながらショーンと席を移動)。

松:生まれた場所と伝統音楽のバックグラウンドをお願いします。

D:ダブリンだよ、ダブリン市。今はゴールウェイに住んでいる。ダブリンにいた時も演奏してたんだけど、17才の時に西の方に引っ越して、ディングルってところなんだけど、そこがアイルランドの伝統音楽があふれている所でさ。そこでアイルランドの伝統音楽に初めて接したんだ。とにかく出かける場所すべてに伝統音楽があって…パブとか、通りとか。それで伝統音楽が好きになって、結局そこに7年間住んでいたんだよ。それが僕のバックグラウンド。それでその町に演奏でやってくるミュージシャンとかと仲良くなって、一緒に演奏したりしてて、なんだか知らないけどゴールウェイに住まなきゃいけないことになって、そこでシャロン・シャノンっていう女の子に会って、友だちになり、それで彼女がギタリストを欲しがって、4年だか5年だか一緒にやって、なんだか知らないけど、この嫌な連中と一緒になって以来、僕の人生は地獄なんだよー。これちゃんと書いてね!

松:じゃあ小さい頃、ディングルに行く前には、家庭環境としての伝統音楽というのはなかったんだ。

D:ダブリンはすごく大きな市で、たしかにいい伝統もあるけど、それはすごく分散していて、例えば伝統的な場所っていうのは、パブとかそういうところに限られていて、僕は若すぎてパブには行けなかったし……まあ単にダブリンではあんまり伝統音楽を聴かないってことなんだよね。だからショーンの環境とは全然違う。僕は伝統音楽は全然聴かなかったし、また当時は、そういった音楽を聴くことはカッコいいものじゃなかった(uncool)。伝統音楽系のヒット曲なんてのもなかったし、自分であえて探すこともなかった。

松:家族の人たちは楽器をやっていなかったの?

D:僕の父はジャズ・ミュージシャンだった。でもポップとかそういうのばっかり聴いてたしね。親戚関係ではうまい人もいたけどね。

松:メンバーはみんな30代だよね? 
(THE MUSIC PLANT 野崎、全員の年齢を言う)

D:僕は22だ〜! 22だよ、ヨーコ!!
 
松:キリアンが一番若いんだよね。

D:キリアンが年寄りであとは若い。僕はあと3ケ月で22だ!

松:(笑)次はキリアン。

C:僕らは中年のバンドなんだよ(笑)…えーっと、僕はアーマー州出身。で、アーマーで育ってイギリスとアメリカに引っ越して…アイルランドを出てもう10年以上になるかな。イギリスでカレッジに行って、アメリカに7年前に引っ越した。今はニューヨークに住んでいる。
 えっと、それから、音楽は……家族の誰もが演奏してた。僕の両親、祖父、祖母、兄弟、みんな演奏しているよ。特に僕の母方の家族の方はなんと5世代にわたって皆フィドルを弾いているよ。彼女のお婆さんもコンサーティナ奏者。ドニゴールの出身で。父親の方もいつも音楽を演奏していた。僕自身は7歳の時にティン・ホイッスルとパイプを始めた。でも学校に行ってた時はほとんどクラシックのフルートとサックスを演奏していた。だから20才になってアメリカに渡るまでは、伝統音楽はあまりたくさんは演奏しなかった
ね。たくさん伝統音楽をやるようになったのはここ5年くらいだよ。もちろんクラシックをやっている間、伝統音楽をまったく止めちゃってたわけじゃないけど。子供の頃思いっきりやって、で、また始めたっていうことかな。

松:ルナサのツアー・メンバーになったのはわりと最近だよね。

C:去年の9月くらいからかな。

松:じゃあまだ6ケ月ぐらいだ。

C:そうだね。

外野(誰の声だか判別つかず):アメリカ・ツアーもやっただろ。

C:あ、そうだ、あれいつだっけ? あ、6月だ。6月にもやってた。

松:ルナサ以外にもトラッド・バンドはやってたのかな?

C:ニューヨークやボストンで、小さいトラディショナル・バンドとかをやってた。例えばデュオとか3人組とか。あとは、僕の兄のニールがノモスのメンバーで、アイルランドに戻るといつも一緒に演奏してるくらいかな。だいたい僕の場合は大きなバンドじゃなくて、2人とか3人とか、そういう感じだったね。メロディ・プレイヤーと一人のギタリストという編成だね。で、もしかするとシンガーも、みたいな。でも3人がせいぜいだね。アメリカではよくあることだよ。バンドってのは一人のミュージシャンとその伴奏者、みたいな。そんな感じ。そして、みんながみんな一緒にやったりしている。

松:じゃあケヴィン。

K:オーケー。僕のは、長いストーリーなんだよ(周り爆笑/ケヴィンは話が長いから)。僕はもともとバーミンガム出身で…イギリスのミッドランドさ。コベントリーとウイブルハントンの間。

僕が伝統音楽を演奏し始めたのは……いや、その前に僕はいつも伝統音楽ばかり聴いていた。僕の母がクレア州の西の出身で、そこはすごく音楽の伝統が深い場所で、いつもそういう音楽を聴いていた。僕の父方の祖母はすごく有名なコンサーティナ奏者で、彼女もクレア州出身。僕のお母さんの方もおじさんたちもみんなミュージシャンかシンガー。

だから、僕たち家族はイギリスに住んでいたけど、そこには音楽がいつもあったね。家庭内に、バーミンガムに。レコードもたくさんあったし、お客さんもたくさん来た。その時旅をしているミュージシャンたちが家を訪れてはパーティをやって演奏していた。そういった思い出はたくさんあるよ。みんなバーミンガムに訪ねてきてさ。僕にとって、家の中にアイルランドの音楽があることはちっとも不自然なことではなかったよ。それがたとえイギリスでもね。

僕らは夏休みに3ケ月アイルランドで過ごしたりしたけど、そういった経験も、イギリスでの生活の延長だった。僕の両親は完璧にバーミンガムのある音楽シーンのまん中にいたんだが、それはすごくアイリッシュだったし、僕らの友だちもみんなアイルランド人だった。アイルランドの伝統音楽ばかり演奏していた。

だからイギリスに住んでいる気がしなかったね。子供の頃の音楽の思い出といえば、とにかくいつもアイルランドの伝統音楽ばかり聴いていて、早くそれを一緒に演奏したくて仕方がなかったってことだね。でも両親は、僕にレッスンをしてくれる人を誰も知らなかったので、僕はいつもレコードを聴いてばかりいた。そしてやっと13才の時にティン・ホイッスルを習って、自己流で演奏を始めたんだ。

僕の父はすごくいいシンガーだったので、よく父が歌ってきかせてくれる曲を、自分で覚えて、彼の歌に合わせて演奏したりしていたんだ。だから、ちゃんとしたトレーニングや教育は全然受けてないんだ。いつも耳から習った感じだね。で、自分のホイッスルのスタイルができるまで2年くらいかかったかな。で、僕が15才になった時に…

(「あと16年以上あるぞー!」「おじさんのマイケルはどうした!」とメンバーから野次が飛ぶ)

K:(笑)そう、僕が15才の時、夏休みでアイルランドに行き、クレア州の地元でよく知られているミュージシャンの一人のジュニア・クリヒン(Junior Crehanケヴィンのアルバムのライナーに紹介あり)ていう人に会ったんだ。クレア州出身の素晴らしい作曲者ですごく尊敬されているフィドル奏者だよ。

クリヒン・ファミリーっていう一家の一人で、彼がフィドルをくれたんだ。僕は彼等がフィドルでやってることが好きだった。それをバーミンガムに持って帰って…それが初めてのちゃんとした音楽レッスンの経験だね。でも、レッスンが嫌いで、フィドルも嫌いで、結局12ケ月したらやめちゃった。で、またティン・ホイッスルにもどったんだ。それ以来フィドルは嫌いだね。フィドルの音楽も嫌いだし。

THE MUSIC PLANT:フィドルプレイヤーは?(笑)

K:あー彼等はみんな最悪だよ(笑)。で、とにかくホイッスルにもどって…それがポイントだよ。それで4、5年してからかな、フルートをやっと手に入れたんだよ。

メンバー:で、いったいおまえはいくつなんだー?!

K:みんな、ありがとう。僕は今32才です。で、 21才くらいまではちゃんと楽器を持ってなかったんだよ。でも16才になったころから演奏はしてたな、人の楽器を借りたり、とったりしてね。でも21才になるまでフルートを手に入れることができなかった。両親はそれほど裕福じゃなかったし。自分の楽器を手に入れられるまでは、ホイッスルを演奏していたなぁ。でもフルートにしてもティン・ホイッスルにしても自己流で、ちゃんとした教育は受けてないよ。

 80年代の初頭のイングランドには、たくさんの伝統音楽のミュージシャンが住んでいて、週末になるとセッションをしようとバーミンガムにみんな集まってきた。だからミッドランド・エリアのミュージシャンたちからは多大な影響を受けたよ。特にバーミンガムに住んでいたリムリック出身のパッチイ・モローニーからは大きな影響を受けたな。それからボシー・バンドのレコードとか、かな。やっぱりあれが、こうならなくちゃ、っていう一定の基準を与えてくれたものだと思うし、プランクシティとか、ボシー・バンドと
か、とにかく音楽が溢れていたんだよ。子どもの頃からずっと音楽が聴いていたから、曲は自然と覚えていたし、セッションに参加していったね。

 そしてまた大きな変化がおとずれたのが、アイルランドに引っ越してからさ。それは1989年のことだった。以来もう11年クレア州に住んでいる。それが僕にとっては初めて音楽に真剣に取り組み出した時で、もしかしたらこれで生活していこうって思い始めた最初だったかもしれない。そんな感じでスタートしたのさ。初期の段階からクレア州のすごい尊敬できるミュージシャンと一緒にやれたのも幸運だったね。トミー・ピープルズとか、トニー・レ・ ナイロン、ジェイムス・コレラーネンとか、ムーヴィング・クラウドのメンバーとかに出会った。とにかくクレアにはたくさんのすごいミュージシャンがいて、毎晩出かけては、違う人と演奏したりしていた。それがまたすごく高いスタンダードで、良かったよね。

松:うん、だいたいわかった。さて、これから言う質問には誰が答えてもらってもいいです。デビューした時にマット・モロイが“俺が若いころやってたバンドを思い出させる”っていう発言をしてたようですが、その発言についてどう思いますか。

K:ボシーじゃなくてチーフテンズだ!(全員爆笑)

D:すごい名誉なことだと思う。ボシー・バンドは僕たちみんなのヒーローだし。マット・モロイもグレイト・ヒーローだし。僕らはみんなボシーから音楽を習ったわけだから、それはうれしかったよ。

松:実際ファーストを作る時に、あれはほとんどライブ録音だったけど、具体的にボシーのことを意識したことはあったんですか?

D:うーん、それはちょっと違う。単に僕らのやりたいことをやっただけさ。僕らが音楽を学んでいく上でマットが多大な影響を与えたのは確かだけど、じゃあ、いざ演奏しようって時に彼等のことを考えたかというとそうでもないね。単に僕らが好きな音楽をやったってわけで、それがああいう仕上がりになった。あれを作った時に僕らはまだまだ新しいバンドだったし、ファーストはとにかく時間もかけられなかったんで、あっという間にすべてを入れたって感じだったね。

松:マットは何をもって、ルナサの音楽がボシーの音楽を思い出させると言ったんだと思いますか?

S:実際に彼がそう言った晩、彼は僕らと一緒に演奏してたんだよ。彼は自分のバー(ウエストポートのマット・モロイズ・バー)に来て、僕らと一緒に演奏したんだ。それ(彼がそう発言したことは)は、バンドとして一緒に演奏することをさしていたのか、音楽そのもののことなのか、またいろんなものを取り上げる姿勢みたいなことなのか、僕らにはわからない。当時、僕らもバンドができたてですごく盛り上がっていたし。この質問は、僕らよりも、マット本人にきいてもらった方がいいかもね。

松:僕の印象だと、トラッド・バンドなんだけど、グルーヴがね、ロックとかのグルーヴに近いと思う。ボシーもルナサも。マットはその辺りの感じのことを言ったんじゃないかなって思うんだけど。

S:(ドナとトレヴァーに)ロックっぽいグルーヴはドナとトレヴァーから出ているから。彼等と一緒にできてうれしいと思うよ。

松:トレヴァーはどう思うかな。トレヴァーはグルーヴの要だと思うけど。

T:いや、ほとんどのグルーヴはメロディの波からもたくさん出ているよ。そこからの効果が大きいわけで、リズム楽器のアティチュードとかだけじゃない。ギターとベースだけじゃ不可能だ。だからグループ全員の効果じゃないかと思うんだよね。

外野:ありがとう。

松:じゃあ例えば、ルナサのアレンジ、アンサンブルのポイントはどんなところだと思いますか。

D:僕らはバンドで、それぞれのメンバーが自分なりの音楽を演奏して、それを一緒にまとめたところにあるんじゃないかな。ほとんどのバンドが自分たちなりのサウンドを持っているでしょ、つまりは、そういうことだよ。我々の内から出てくる音楽なんだよ。

松:単に自然に自分たちの内側から音が湧き出ている感じ?

S:1つの大きな理由があるとかそういうことではないんだよ。ルナサは、フルートがあってフィドルがあってパイプがあってというバンド編成の中で考え得る一つの形態(アスペクト)の一つだとは思うけどね。それにホイッスルが加わって、みたいなさ。例えば曲をあまりに速く演奏しすぎないように、それよりも曲の中のグルーヴを見つけように、ということは時々あるけど、別にすごく努力してお互いに合わせているわけじゃない。メンバーの一人が普通に演奏しているところに自然に合わせていく感じなんだよ。僕らはそれぞれ影響を受けたものが似ているし、ステージの上でもお互いにすごく親密だから、なんとなくまとまっていくんだ。それはひとつの物とか、ひとりのメンバーから出ているものではなくて、ひとつひとつのいろいろな事、すべてのことがルナサを作っているんだよ。ヨーコ(THE MUSIC PLANT)とかスタッフの存在も含めてね。

K:僕に言わせれば(ルナサをルナサにしているのは)演奏するときの音楽に対する僕らが持っている特定のアティテユードだと思うよ。僕らが一緒に演奏する時、他のバンドとは違う、特別なエネルギーがクリエイトされる。他のバンドは、そういうエネルギーを失ってしまっているバンドが多いからね。そういう意味では、僕らは今のところは、まだとても新鮮(フレッシュ)だ。それは長くやっていると失われてしまうものなのかもしれないけど。そういったエネルギーが他のバンドとはちょっと違うんだと思うよ。

松:そのエネルギーがルナサを特別なものにしていると。

K:うん、そうだね。エネルギーが占める割合が多いんじゃないかな。いろんなバンドがいろんなエネルギーを持っていると思うし、あと、それ(エネルギー)は、僕らがとりあげる曲によるところも大きいと思う。例えば僕らは、どのメロディを採用するのか、すごく選ぶし、めちゃくちゃうるさいんだ。そして、それがうまくいくようにすごく努力する。時間をかけて選んで、時間をかけてそれが好きかどうか検討して。で、その多くが、100%好きになれなくて、結局全部捨てて、また最初からやり直しになっちゃったりするし。
彼がキャスティング・ボードなんだ!(と、ドナを指さす)

D:僕が一番背が高いからね。

MP:一番背が高いのはトレヴァーじゃないの?

T:後でくらべてみようか。

松:このセカンドを作った時とか、アレンジするための時間はわりととったのかな。

D:うーん、時々、曲っていうのは、その曲がどんなに美しくても、結局僕らに合わない時があるんだよ。やってみなきゃわかなんないところもあるし。僕やトレヴァーが、どうにもできないものっていうのもあるんだよね。だからそういう意味で、この曲は不採用、ってことになる時もある。たとえばすごくシンプルなものだから、飾り甲斐があるなーと思って、飾ってみたらダメになっちゃったっていうのもあるし。

S:ルナサがどうか、っていうところに戻るけど、別に僕らは自分たちが他のバンドにくらべて優れているなんて思っているわけじゃないんだよ。ノモスとかソーラスとか、アルタンとかダービッシュとかいいバンドはたくさんある。今、こういった(たくさんのいいバンドが出ている)時期に演奏できるのはすごくグレイトなことだと思っているよ。だけど、ただ、なんというか、それ(ルナサ)は違う個性なんだ。もしかしたらそれは本人たちが一番気がついてないのかもしれない。

松:今アイルランドでは子どもから年寄りまでたくさんのトラッド・ミュージシャンがいると思うのですけど、あなたたちは世代的にだいたいそのまん中にいて、前後世代とのつきあいもあると思うんですけど、伝統音楽に向かいあう姿勢、伝統音楽との距離の取り方とかについては、ドーナルみたいな50代以上の世代と、ずっと若い10代、20代の世代、そしてあなたたち中堅世代と、違いを感じることはありますか?

S:そうだね、今は本当にいろんな人たちが音楽を演奏しているよ。例えば子どもたちは、単に自分たちが楽しむものを演奏してたりとか、また新しい曲を演奏できるようになったり、いろいろなセッションに参加できるようになったといっては、うれしがっていたり……僕は、セッションとか、そういったこと(子どもたちも楽しめる状態だということ)が、そのシーンがいかに健康的か、音楽がどのように発展していくか、ということの大事な部分をしめしていると思うんだよね。それで皆が、バンドつくったり、学んだり、演奏したり、そういったものを通過していって、そういったことが結局、伝統がいかに強く生き残っているのかっていうことを決定していくものだと思うからさ。例えばセッションで座っていても、新しい曲、古い曲、ブルターニュの曲とか、世界のあらゆるところの音楽を知ることができる。それはすごくエキサイティングだし健康的だと思うよ。世代的に言っても、ドーナルたちの世代から、子どもたちまで、すごくオープンで、共通するものがあると思うな。時々「これはよくない」とか「こんな曲は演奏するべきじゃない」なんてヘンなことを言う人もいるけど、それは小さなグループのちょっとした人たちだけで、その人たちの発言が他に影響を与えていると思えない。そういった状況を見ている限り、すごく健康的だと思うな。

松:他の人も同じ意見かな。

K:うん、すごくいい時期だと思うよ。音楽を演奏するすべてのアイルランドの演奏家にとって、信じられないくらいすごく裕福、恵まれた(Rich)時期だと思う。たくさんの曲があって、たくさんのミュージシャンがいて。

T:だいたいフォーク・ミュージックみたいなもので生活を考えることができるっていう状況自体がいいんじゃないかな。音楽で生活がなりたつという意識がすごく出てきている。それが音楽自体にも影響を与えたりして、善し悪しはあるんだけど。とにかく今の若い連中は、キャリアとしてアイリッシュ・ミュージックを考え始めた最初の世代なんじゃないかな。

松:そのね、キャリアとして伝統音楽をとらえている若い世代ね、いい面も悪い面もあるって言ったけど、そういった若い世代の音楽を聴いてて、彼等よりずっと上の世代と質的に変わってきているようなものってないんですかね。

T:伝統音楽について? 音楽一般について?(←本当にトレヴァーって伝統音楽やっているって意識がない)

松:伝統音楽について。

D:昔にくらべて、今のミュージシャンにとっては、本当に多くの音楽が開かれているよね。CDとか、テープとか、アイルランドだけじゃなくて世界中のあらゆる音源にふれる機会もあるわけだから。新しい曲とかに触れる機会も多いし。彼等にとっては、まさにそれが今も生き続けている伝統(very much living Traditon)なんだってことじゃないかな。それはいつも少しずつ変化していて、いつも新しくなってゆき、いつも新鮮(フレッシュ)だ。あと、新しく出てくる今の若い連中っていうのは、みんなすごく楽器がうまく(good at instruments)て、本当にこっちがビビッちゃうときもあるくらいだよ。それと、小さいギグやコンサートを、すごく若くして簡単に開けるようになっちゃった、ちょろいもんだって思うようになっちゃってるってこともあるんだろうけど、それはそれで、いい状況だし、みんな音楽を大事にしていると思うし……まあとにかく、本当に楽器がうまいよね。

松:ちょっと別の質問をしますけど、ルナサはアメリカでもライブ活動いっぱいしてますけど、アメリカではトラッドのリスナーが多いのかな? それとも新しいポップ・ミュージックという意識で聴きに来ているのかな。

D:うーん、いろんな人が来るよ。たぶん最初は伝統音楽ファンだったと思うけど、今はありとあらゆる年代の人がくるよ。例えば伝統音楽なんて聴いたことないっていう僕らと同じ世代の奴もくるし、あとはロード・オブ・ザ・ ダンスとかリバーダンスを観て、アイリッシュ・ミュージックに興味を持った子どもたちが来たりとか、歳とった人は、アイルランドからの移民だったりと、とにかくいろんな人たちだね。若い人、歳とった人、でも、みんな楽しんでくれているよ。

S:アメリカのレコード会社とサインしたからね。まずは最低アイリッシュ系のマーケットを狙って、アイリッシュ系の人たちに最初にアクセスすべきだと思ったわけだけど、結局僕らのコンサートをみんな気に入ってくれて、今では多くの人たちが来てくれているよ。

松:アメリカでは、日本でもそうだけど、いわゆるケルト音楽って大ブームになってますよね。アメリカでのケルト音楽の受けいられ方、大衆化ということについてはどう思いますか? 

C:ひとつあるのはね、アイルランドの伝統音楽(の人気)はもともとアメリカで大きかったと思うよ。アルタンとかチーフテンズみたいなツアー・バンドとか結構アメリカで成功していたし。リバーダンスとか。だけどいわゆる商業ベースのアイリッシュ・ミュージックを目にするようになったのは、最近だよね、例えばコマーシャルの音楽とか、テレビのあちこちで流れてきたり、大きな広告をみたり、みたいなことは前あったけど。だけどコンサート・シーンについて言えば、(そんなテレビとか広告とかでやるほど)大きくなったとは思えないけどなぁ。まぁ確かに大きなアイリッシュ・ミュージックのフェスティヴァルは何千人とか動員するけど、それはここ20年変わったことではないし。コマーシャルの音楽では、高く評価されるようになってきたと思うけど、いわゆる普通の(アルタンやチーフテンズがやっているような)コンサート・シーンに大きな違いを与えたとは思えないなぁ。

T:ここ最近、あまりにも誇大に宣伝されすぎているところはあったよね。いわゆるケルティックって言葉でなんでも売れるみたいな。だけど、それはもう終わったんじゃないかな。で、また元の適切なサイズにしぼんだ(シュリンク)んじゃないかな。

C:そうだね、大きなレーベルが、商業的な録音、多くがニューエージにケルト音楽の味つけしたようなものを沢山出してきた。それがここ数年の一番の違いかな。結局そんな音楽は全然意味がないのに。

松:そういった時期にそういった状況見てて、やっぱりとんでもないって思ってましたか。

T:まぁ、一時のソウル・ミュージックみたいなもんだよね。何年か前の。広告とかテレビとかが、みんななんでもかんでもソウル・ミュージックって言ってた頃の。そういった経験と同じだと思う。少なくとも僕にとってはそうだったね、あのてのケルティックうんぬんは。結局、アイリッシュの伝統音楽が本来持っている質を過小評価しているってことでしょ。だから僕にとっては、いや、昔からやっている人に対して、失礼なことだと思うよ。

K:僕にとって当時心配だったことは、そういった本当のケルト音楽じゃないものを聴いた人たちにとって、僕らみたいに実際にツアーしてライヴをやっているバンドの音楽は、彼等が持っているアイリッシュ音楽のイメージとは違うってことだったね。つまりラジオとかメディアの与えるケルト音楽のイメージは作られたもので、本当にちゃんと伝統的なものじゃなかったわけ。だから、音楽の伝統が誤解されて伝わってしまうのではないか、メデイアが与えたアイリッシュ・ミュージックってイメージを持ってライヴを聴きに来た人をがっかりさせちゃうんじゃないかという危惧はあったよね。でもうれしいことに、そういうのがだんだん淘汰されてきて、下降線をたどってきて、本当の伝統音楽がまた再び認められるようになったのは、素晴らしいことだと思う。まぁ、音楽だけじゃなくて何にでもいわゆる便乗組っていうのが、どこの世界でもあるわけで、それがダメージを与えなくてよかったと思っている。

松:ちなみにこの中でゲール語をしゃべる人っているのかな。
(ショーンだけ手をあげる)

松:それは子どものころから家庭で使っていたのかな?

S:僕の父はアイリッシュを話していたからね。僕は11才の時に3ケ月アイルランド語を話す家庭にホームステイしたりして習ったんだよ。アイルランド語は好きな言葉だよ。すごい素晴らしい言語だと思うし、話せるのはうれしいと思う。

松:今、ライヴ活動っていうのは、年間何本くらいやっているんですか。

T:150本はいくね。今年はもっとかも。

K:150は簡単に超えるね。

T:うん、200くらいはいくかも。

(みんなでワイワイ、何本、何本とカウントする。夏はアメリカで何本だよなーとか言っている声も聞こえる)

松:あのぉ〜(笑)だいたいでいいんだけど。

K:(ショーンに)ショーン、3月だけで15本やってるぞ! とにかく年の半分はやっているよね。でも日本では2本しかやってないぞー。

D:あと日本で1本やって、香港でもう1本やって、で1週間だけ家にもどって……今はもう6週間回ってきている途中だけど、その後ヨーロッパやって…そんな具合だね。

松:明日はライヴですけど、ライヴの時は、あらかじめやる曲や細部のアンレジはすべて決めているんですか?

D:あるけど、いつも変わっちゃうよ。

松:ありがとうございました

ルナサ:どうもありがとう〜
 


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