PROFILE

“まばらに伴奏されているだけのフィドル・ミュージックが、
これほど完全で、しかも本質に迫って聴こえることなど滅多にない。”
――  Colin Harper, "Q" magazine

 アイリッシュ・フィドルの名匠マーティン・ヘイズと、アメリカ人ギタリスト、デニス・カヒルの演奏は、たぐいまれな音楽的きずなを感じさせ、それがかれらを、現在もっとも鮮烈な印象を残すデュオとしている。伝統音楽をその枠内ぎりぎりまで拡張しつつ、徐々に燃え上がらせて聴衆を魅了することを通し、かれらは国際的に高い評価を得てきた。このふたりは、アイルランド伝統音楽の扉を開き、永く醸成されてきたその純粋さを解き放って、クラシック、ブルース、ジャズの世界から汲み取った感性と融合させる。『The New York Times』は次のように評した。「スティーヴ・ライヒの弦楽四重奏曲や、マイルス・デイヴィスの『スケッチ・オブ・スペイン』を補完する、ケルトからの返答」

 マーティン・ヘイズの実績は、音楽的にも地理的にもたいへん幅広い。オール・アイルランド・フィドル・チャンピオンを六回獲得したし、アイルランドのグラミーに相当するナショナル・エンターテイメント・アワードも一度受賞した。デニスと一緒に各国のテレビやラジオに出演し、そのなかにはNBCの『Nightwatch』、PRIの『A Prairie Home Companion』、BBCの『Jools Holland Show』が含まれている。シネイド・オコーナー、イーラ・オ・レオナードと共演したかれらは、アイルランド人移民を描いたティモシー・オグラディの人気小説『I Could Read the Sky』の舞台特別公演と映画で、写真家のスティーヴ・パイクとも共同作業をおこなった。以来ヘイズは、アメリカのフィドラー、ダロル・アンガー、アイルランド人作曲家ゲイヴィン・フライディと録音を経験している。

 アイルランドに生まれ現在はシアトルに住むマーティンは、生まれ故郷、イースト・クレアのゆったりした叙情的なスタイルを継承している。父親であり、有名なタラ・ケイリー・バンドのリーダーでもあるP・J・ヘイズと共に伝統音楽を演奏しながら育った彼は、大きな敬意を込めながら先達たちについてこう述べた。「かれらの音楽には、聴く者の魂を揺さぶる憧れと真実が含まれているんだ」。まったく同じ特質が、マーティンの演奏にも反映されており、彼の音楽にユニークな激情と懐かしさを与えている。

   デニス・カヒルは、伝統音楽のみならずクラシック、ブルース、そしてロックにも熟達しているギターの名手だ。シカゴに生まれ育ち、同市の由緒ある音楽大学で学んだ後、地元の音楽シーンの重要な一員として活動した。カヒルの革新的な伴奏スタイルは、アイルランド伝統音楽におけるギターを大きく前進させるものとして広く認知されている。ヘイズとの仕事に加え、デニスはリズ・キャロル、アイリーン・アイヴァース、ケヴィン・バークといった高名なフィドラーたちとも演奏してきた。

 マーティンは、アメリカへ初めて渡った1980年代に、シカゴでデニスと出会っている。ふたりはミッドナイト・コートというジャズ/ロック・フュージョン・バンドを結成し、新たな音楽スタイルの実験を重ねた。しかし、やがてふたりとも、伝統というルーツに立ち返っていった。ヘイズは、高い評価を得た2枚のソロ・アルバムを経て、カヒルとの新たな音楽活動を開始する。かれらの引き締まった演奏は大きな衝撃を与え、大西洋の両岸でただちに評判を呼んだ。連名で1997年に発表した『ザ・ロンサム・タッチ』は、アイルランド音楽をワールド・ミュージックというジャンルからさらに飛躍させ、その内面的な深みを、クラシック、ジャズ、現代音楽の聴衆にも理解しやすいかたちで提示する作品となっていた。

 ヘイズとカヒルの音楽的な一体感は非常に強烈で、ひとつの楽器と化していると評されることもしばしばあり、『CMJ』誌は「テレパシー交感のレヴェルで演奏しているのではないか」と書いた。マーティンがメロディを追う一方で、デニスはその曲に内在するハーモニーとリズムを切り拓いてゆく。マーティンの次の動きを本能的に知っているかのように、デニスは驚異的な技術と美しさでフィドルの音とシンクロする。ライヴでは、いくつもの曲を織り合わせながらのメドレー演奏が30分に達することがあり、これをヘイズは「ぼくらふたりに音楽を加えた三者が、会話を交わしているんだ」と表現した。

 この会話に聴衆を加えた作品が、デュオ・アルバムとして2枚目となる『ライヴ・イン・シアトル』であり、これはまた、かれらのコンサートの熱さと有機性を記録した最初の作品となった。録音は、マーティンの第二の故郷たるシアトルのトラクター・タヴァーンで行われ、小さなコンサートの気安さと、ふたりの想像力が徐々に力強さを増してゆく様子が捉えられている。ヘイズとカヒルは、一流ジャズメンにも似た応酬をおこない、各曲を解き明かし拡散させながらも、緊張感に満ちたメロディを紡いでゆく。「ぼくらは、瞬間のひらめきに忠実でありたいと思っている」ヘイズは語る。「ぼくらが願ってやまないのは、音楽が、ぼくらと聴衆の精神を高揚させる体験になってくれることなんだ」

(米グリーンリネット社によるバイオグラフィーより/対訳:茂木 健)



 マーティン・ヘイズは、アイルランド南西部、クレア州の東端に近いフィークルという町で1962年に生まれた。クレアといえば、大西洋岸のミルタウン・マルベイで夏に開かれる伝統音楽集会、ウィリー・クランシー・サマー・スクールが象徴するように、アイルランドを訪問する世界中のアマチュア演奏家やダンサーが、必ず一度は足を運ぶといっていいほど伝統音楽の盛んな土地だ。ヘイズの父、P・Jもフィドラーで、1940年代の後半に結成され現在も活動を続けるタラ・ケイリー・バンドに最初期から参加し、国内のみならずブリテンやアメリカを繰り返しツアーしてきた。20世紀の初めに成立したケイリー・バンドと呼ばれるスタイルは、大きな会場でダンス・チューンを確実に聞かせるため、複数の伝統楽器にピアノ、ベース、スネア・ドラムなどを組み合わせたもので、今も根強い人気を保っている。もちろん、そのレパートリーは伝統音楽が中心だ。おのずとマーティン・ヘイズも、父やその周辺の人びとが演奏する伝統音楽に囲まれ子供時代を過ごした。フィドルを手にしたのは七歳のころで、「他の子供たちがビートルズを口ずさんでいるのに、ジグやリールを歌っていたよ」とは本人の弁である(*1)。14歳のときには、タラ・ケイリー・バンドに加わりツアーするほどの腕前になっていた。

 彼が14歳というと、1976年のことだ。プランクシティなど、フォーク/ロックを通過した人気バンドの出現によって、アイルランド伝統音楽に対する一般の認識が大きく変わりつつあったこの時期、ヘイズは新しい流れに積極的な関与の意志を示さず、クレアのアマチュア・フィドラーにとどまる道を選んだ。ジュニアとシニアの両部門でオール・アイルランド・フィドル・チャンピオンを獲得しながらも、「自分の好きな音楽をやって金がもらえるとは夢にも思っていなかった」(*2)彼は、1984年または85年にシカゴへ移り住む。古くからアイリッシュが多数定着し、歴史的に伝統音楽も盛んだったシカゴでの彼の生活は、内容を問わず注文のままに演奏して小遣いを稼ぎながら、パーティーと酒に明け暮れるものだったという。そんな彼の住むアパートの向いに居を構えていたのが、本作のもう一人の主役、デニス・カヒルだ。シカゴ生まれだが、両親がケリー出身だったおかげで伝統音楽に慣れ親しんで育ったカヒルは、シカゴ音楽カレッジを卒業し、ジャズ、クラシック、ロックにも精通するギタリストだった。プロとしてバーなどで働きながら欲求不満をため込んでいたカヒルと共に、ヘイズはミッドナイト・コートというジャズ/ロック・バンドを結成したのだが、このバンドはレコード・デビューには至っていない。

 1991年、20代の大半をシカゴでの放恣な生活で費やしてしまったことに気づいたヘイズは、ライフスタイルの一新を決意する。酒と煙草と肉食をいっぺんにやめ、同時に、自らのルーツである伝統音楽へ真摯に取り組みはじめたのだ。同年の彼の録音としては、アメリカ在住のフィドラー16名を結集した『The Boston College Irish Fiddle Festival』というアルバムが残されている。このライヴ盤を発売したグリーン・リネットから、初のソロ作『MARTIN HAYES』が発表されたのは、93年のことだった(シアトルへ転居したのも同年)。その後は、世界各地でのライヴを精力的にこなしつつ、95年にセカンドの『under the moon』、97年に旧友カヒルと組んだ『ザ・ロンサム・タッチ』、そして99年の本作と次々にアルバムを発表、高い評価を得ながら着実に支持を集めている。

 そんな順風満帆と呼ぶにふさわしい活動の端緒を開いたのは、彼のファースト・アルバム『MARTIN HAYES』に内在する新鮮な驚きだった。この作品は、リズムを特に強調することもないギターが淡々と伴奏するだけの、迂闊に聞き流せば地味な印象を受けてしまうフィドル・アルバムだ。しかし、そのフィドルが変わっていた。冒頭にも書いたとおり、アイリッシュ・フィドルといえば、多くのファンが、ボウイング(弓使い)の妙によってメロディに激しいアクセントをつけ、がんがん飛ばしてゆくのが真骨頂だと思っていた。なのにヘイズは、比較的ゆったりとしたテンポで弓を長く使い、左手のスラーで流麗さを際立たせてゆく。おまけに、楽器を問わず伝統音楽ではあまり聴かれないダイナミクスの強調(といっても短い周期でのクレッシェンド/デクレッシェンドだけど)が、全面にちりばめられているではないか。この極めて個性的に聴こえるフィドルは、しかし、ヘイズの完全な独創ではなかった。彼の出自と、密接に関わっていたのだ。

 アイルランドのフィドル・スタイルは、大きく四つに分類されることが多く、クレアもその中に堂々と入っている。だが、20世紀初頭のSP時代を含め、クレア・スタイルがアメリカを主力とする外部の人びとから熱い注目を浴びた形跡は見受けられない。原因は定かではないけれど、強い影響力をもった“スター”フィドラー――古くはスライゴーのマイケル・コールマン、最近ではドニゴールのアルタンみたいな――が、特に登場しなかったのは事実だ。そこで、ボビー・ケイシー、パディ・カニーといったクレアのヴェテランたちが残したソロの録音からクレア・スタイルの特徴を改めて確認してみると、緩めのテンポ、長い弓使いと左手のスラーを組み合わせた滑らかなプレゼンテーションなど、ヘイズとの共通点は歴然としている(カニーはヘイズの父方のおじさんでもある)。つまりヘイズは、先達たちから継承したクレア・スタイルの伸びやかな特性を、充分に鍛え上げられたテクニックでさらに強調し、ヘイズ個人にとどまらず――広義にとらえれば――クレア全体にも敷衍し得る“個性”として、提示(再提示?)していたのだ。

 一枚目と同趣向のセカンドを発表した直後の95年に、彼はこんなことを言っている。「現在では、レコーディングと(コンサートなどでの)パフォーミングが、セッションで演奏するのと同じくらいアイリッシュ・ミュージックそのものになっていると思う」(*3)。ヘイズだけの名義で発表された二枚のアルバムが、伝統の保存を強硬に訴える人びとからも歓迎されたのは、表現者個人と全体の接点に立つ微妙なバランスを、彼が見事に保っていたからではないだろうか。興味深いことに、同じ95年には、シカゴのバーで演奏していたヘイズを聴きに、同市での演奏を終えたウィーン・フィルのメンバーたちがステージ衣装のまま姿を見せたという逸話が伝えられている(*4)。なるほど、彼の(クレアの)スタイルであれば、クラシック・ヴァイオリン奏者も技術的な親近感を抱きやすいのだろう。マーティン・ヘイズというフィドラーへの関心は、アイルランド伝統音楽の枠を越えた。だがその一方で、彼の演奏を通してクレアのフィドル・スタイルに開眼した人びとも、少なからず存在するはずだ。この、一見したところ矛盾するように思える二方向へ、同時に働きかける影響力をもつことにより、ヘイズは、クレアが生んだ恐らく最初の“スター”フィドラーとなった。

 想像するに、ヘイズが次に求めたのは、クレア・スタイルの美しさを継承する個性の堅持を大前提としながらの、「レコーディングとパフォーミング」双方における安定した独創性だったろう。自身のフィドルを最も効果的、かつ美しく聴かせるために、彼がパートナーとして選んだのは、大音量のロック・バンド(本人はかなり懲りたらしい)をやっていたころの朋友、デニス・カヒルだった。とはいえ、ふたりの名義で発表された『ザ・ロンサム・タッチ』で、彼のフィドルが大変貌を遂げたわけではない。前二作と決定的に異なっていたのは、ヘイズのフィドルを通過した伝統曲にいっそうの輝きを与える、カヒルのギターが生み出す芳醇な空間だった。

 伝統音楽に基づいたフィドルとギターのデュオといえば、ケヴィン・バークとミホール・オ・ドーナルの優れた仕事がまず頭に浮かぶ。だが、伝統曲のメロディを演奏するバークはさておき、オ・ドーナルのギターも、何かしらの音を鳴らし続けずにはいられないという、伝統音楽ではありがちの“空所恐怖症”の気に当てられていた。カヒルのギターは、この“空所”を逆手にとった。カヒルが、力強いストロークでリズムを送り出したり低音弦のドローンで全景を埋め尽くすのは、ヘイズの演奏する曲がそれを要求した時だけだ。そのかわり、多くの場合カヒルは、ギターの音を小さな塊として点綴してゆく。その塊(=コード)の中には、伝統音楽の常道を外して楽理的に追い込んだテンションが含まれていることも珍しくなく、結果、静かな緊張感をたたえた“間”が誕生する。つまり、『ザ・ロンサム・タッチ』のギターは、やれ、伝統的なスタイルを踏みにじっているの、ほかの音楽要素を濫用しているの(さらには、ギターはそもそも伝統楽器じゃないの)といったレベルでしか創造力あふれる音楽家を批判できない伝統至上主義者が、「なんか変だけど…」と口ごもってしまうような次元で、素晴らしく“非伝統的”なのだ。なのに、その非伝統的なギターが提供しているのは、マーティン・ヘイズのフィドルが歌うには最高の音響空間。これは、かなり凄いことだと思う。

 そんな『ザ・ロンサム・タッチ』ではあるが、スタジオ録音であるためにふたりの音楽が濃密に凝縮されており、外へ向かう熱気を感取しにくいという憾みがわずかに残った。それなら、この稀有なデュオの全貌を聴かせるには、ヘイズとカヒルの二名に第三の要素を加えればいい。第三の要素とは、熱気を現場で受け止めてくれるお客さんだ。

 本作『ライヴ・イン・シアトル』について、ヘイズ自身もブックレットにこう書いている。「(ライヴ盤の録音を決意したのは)ぼくらのコンサートが、スタジオ録音で聴くものとは別種のエネルギーをもっていることを経験した、多くのお客さんのリクエストに応えるためだ。生の聴衆を前にした演奏は、スタジオの静かな空間では得にくい音楽の諸要素を引き出してくれる双方向の作用だから」。その結果がいかに素晴らしいものになったかは、99年の1月にシアトルの小さな会場で録音された本作を聴けば明らかだろう。ステージでのヘイズも(複数のインタビューでの発言をそのまま信用すれば)場の雰囲気に触発されつつ、情感のおもむくままに曲を列ねてゆくという。そんなフィドルと瞬時に交感しあうカヒルのギターが新たな曲を呼び覚まし、本作[2]のような驚異の30分メドレーが、あれよあれよという間に発現するわけだ。メドレーの最後〈パッヘルベル・スペシャル〉では、ヘイズのフィドルからスピッカート奏法まで飛び出す([2]26分30秒〜)。弓の自重を微妙にコントロールしながら、弓を弦上で細かく迅速に跳躍させるこの技は、[5]の高速リールでも多用されている。クラシックではごく普通に聴ける奏法ではあるが、アイリッシュ・フィドルというコンテクストでここまで見事にぶちかましたのも、ヘイズが最初ではなかろうか。かれらが未踏の道を歩んでいることは言うまでもないけれど、今後、よもや“藝術”に淫することはないと信じたい。

Mar, 2000 茂木 健

(*1) "fROOTS" Nov. 1999, pp.23
(*2) Fintan Vallely & Charlie Piggott "Blooming Meadows" (Town House 1998), pp.90
(*3) "THE LIVING TRADITION" Sep/Oct 1995, pp.20
(*4) Vallely & Piggot 前掲書 pp.89

(『ライヴ・イン・シアトル』ライナーノーツより抜粋)


Martin Hayes & Dennis Cahill Some Quotes from the Press

スティーヴ・ライヒの弦楽四重奏曲や、マイルス・デイヴィスの『スケッチ・オブ・スペイン』を補完する、ケルトからの返答。
―― The New York Times

ヘイズは、ケルト音楽の世界で最も魅惑的なヴァイオリン・スタイルを持っている……肉声を思わせるその音色が、彼の演奏するすべてに唯一無二の情感を与えるのだ。カヒルの優しく効果的な伴奏は、そこに絶妙の風合いを加味している。
―― Los Angeles Times

かれらふたりは、静謐と沈黙で満たされた音楽を創造する。今までに、こんな音楽が聴かれたことはあるまい。――永く忘れていた夢の断片のなかでなら、聴こえていたかもしれないが。
―― Time Out, London

マーティン・ヘイズ……現在のアイルランドで、いちばん重要な個性的ミュージシャン
―― Hot Press, Ireland

現在のアイリッシュ・インストルメンタル・ミュージック界に、マーティン・ヘイズ&デニス・カヒルほど感動的なチームはいない。
―― Irish Echo

……腹がたつほどスローで、耐えがたいほど美しい。アプローチはとても過激なのに、伝統に対してどこまでも忠実なのだ。
―― Acoustic Guitar

デニス・カヒルのギターに伴奏されながら、フィドラーのマーティン・ヘイズが弓をひるがえすと、甘美さと逞しさ、繊細さと激しさ、厳粛さと軽妙さが、見事なバランスを保ちながらほとばしった。誰もが、演奏をやめないでくれと願っていた……筆者がこれまでに聴いたなかで、最も美しいフィドル・ミュージックだ。
―― Scotland on Sunday

ヘイズは、卓越性という語の再定義を迫るし、従来の評価基準体系にはなかった美と芸術性の高いレヴェルをあからさまにする。
―― The Sydney Morning Herald, Australia
 

さまざまな雰囲気、スタイル、そしてニュアンスのあいだを飛び交う彼の弓が動くたび、ヘイズは聴衆に呪文をかけているように思える。あたかも彼と一心同体であるかのようなデニス・カヒルのギターは、ヘイズによって精妙かつ香り高く開示される魅惑の輝きを包む重要な薄膜だ。
―― Folk Roots, UK
 

まばらに伴奏されているだけのフィドル・ミュージックが、これほど完全で、しかも本質に迫って聴こえることなど滅多にない。
―― "Q" magazine

ヘイズとカヒルは、鋭く知的な解釈者として重要だ。ふたりは、聴く者の心の琴線に触れる
―― Irish Music Magazine

ふたりの手にかかると、素材はより広大な音楽空間の創造のため脱構築されてゆく。その音楽空間では、過去の数世紀が痛ましいまでに讃えられ、アルヴォ・ペルトやヘンリク・ゴレツキの現代音楽にも似た緩やかに燃え上がるダイナミクスが飛翔している。
―― The Independent, UK

今までに登場したどんな演奏家よりも、彼は優れているのだ。ヘイズは、卓越性という語の再定義を迫るし、従来の評価基準体系にはなかった美と芸術性の高いレヴェルをあからさまにする。マーティン・ヘイズを生で聴いた経験を表現するには、こう述べる以外にあるまい。ひとたび彼の音楽を経験すれば、他のすべてのアイリッシュ・フィドラーは影が薄くなるだろう。彼こそは、アイリッシュ・フィドルのユーディ・メニューインである。
―― Bruce Elder / Sydney Morning Herald, Australia

カウンティ・クレアに生まれたこのフィドラーと、シカゴ生まれの共犯者デニス・カヒルほど、心をひとつにしたペアを想像するのは困難だ。
―― Rob Adams / The Herald, Scotland

偉大なフィドラー、マーティン・ヘイズは、詩人の魂で語りかけてくる……驚異の名手であり、彼のような人はふたりといない。
―― Declan Lynch / The Sunday Independent (Ireland)

ぼくが知ってるほかのどんなミュージシャンとも違って、彼は音楽の内奥にまで入り込む……普通、ミュージシャンはひとつの曲を取り上げ、その曲を見事な演奏で聴かせるものなのだが、マーティンの場合は、曲のほうが、彼を自らの声

として選んでいるように感じてしまう。
―― Gerard Manning / Ceolas

マーティン・ヘイズは、並外れた個人的表現力をけたはずれの音楽的聴感と合体させる……素晴らしい演奏であり、驚くべき創造力だ。
―― Nuala O'Connor / The Irish Times

デニス・カヒルのギターは見事だったし、かれらふたりは、ひとりの人間が二本の楽器を演奏しているかのようにシンクロしていた。それほどまでに、かれらは一体化した演奏を聴かせる。
―― Gerard Manning / Ceolas

フィドルを手にしたとたん、マーティン・ヘイズは曲に溶け込み、またギタリストのデニス・カヒルと一体化する。ふたりは、一枚のコインの裏表となってしまう……マーティンは、いかにも気楽そうに軽々と演奏し……曲が、マーティンを通して語りかけ、その逆はあり得ないことを立証してゆく。
―― John Kerr / Wolf Trap Irish Festival

超一流の世界的ミュージシャンたちが輝きを競うなか(ヘイズは)恍惚とするほど美しい演奏で他を圧倒した……魂に触れる表現力ということにかけて、マーティン・ヘイズに比肩する者はまずいるまい。
―― Paul Dromey / Evening Echo, Cork, Ireland

ヘイズとカヒルは、聴く者の耳だけでなく全神経を奪ってしまう……こちらの感情をつかみ取るだけでは飽き足らず、ほかのどんなバンドも及ばないほどパワフルで印象的な演奏を聴かせる。
―― Dave Soyars / The Irish Herald

ヘイズとカヒル――魅力的なペアだ。ここまで質が高く、ここまで深い印象を残す音楽など、そうあるものではない。
―― Colin Irwin / "Mojo" magazine


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