「アイルランド伝統音楽を深く理解し、それと一体化しているさまが、彼の演奏からは聴こえてくる。ふたりとも、すごいミュージシャンだわ。演奏は厳格だし、多くの影響が見え隠れしている。マイケル・コールマンのスライゴー・スタイルとかも聴きとれるんだけど、すでに、アイルランド伝統音楽に収まり切らない別種の音楽になっているし、その点を、わたしはすごいと思う」
――マレード・ニ・ウィニー(アルタン)
「自然なんだよ。ゆったりと座っているのに、そこから素晴らしい音楽が聴こえてくる。彼はチューンをいっそう美しくしているんだ」
―― パディ・モローニ(チーフタンズ)
「(彼の音楽からは)パッションとロマンが溢れ出てくるんだ。それが、人の心をとりこにするのだと思う」
―― アンディ・アーヴァイン
「今では、誰もが彼のことをアイルランドでいちばんエキサイティングなプレーヤーだと気づいているわ」
―― ジーン・バトラー(リヴァーダンス主演)
「マーティン・ヘイズは……素晴らしい芸術性をもったミュージシャンだ。音楽のアイリッシュネスとは、マーティンのような人たちを通して生き残っていくのだろう」
―― フィンタン・オトゥール(音楽評論家)
畠山(以下 畠):聴きいっちゃうねー。とにかく。
茂:ゆったりとはじめて、ギターが単音で入ってくるでしょ。ジグ・タイムで・・・とってもゆっくりめに聞こえるわけで、その頭のところで単音でギターがひっかかってくるでしょ。それがだんだん復音になり、トリプルになり・・・
畠:しかも音の動きのフォーマットはそのまんまでね。
茂:そう! で、サード・ラウンドあたりでテンションが乗ってくるんだよー。つまりギターの一番上の音と下の音がカウンターポイントを描きながらヘイズのフィドルをささえているんだよね。それにヘイズは一見あおられ“ない”んだけど、間違いなく熱くなっている。
畠:熱くなってるね〜。で、それにともなってギターもしっかり熱さを増していくんだよ。
茂:手数が多くなっていくんだよね。手数が多くなるっていうか、さわる弦の数が増えていくんだ。で、このヘン(2:09あたり)からやっとダンスチューンらしくなっていく。ジグ・ビートをタタタ・・・って刻みはじめるんだよね。
畠:とっつきはすごくクールに聞こえるんだけどね。
茂:とっつきがすごくクールに聞こえるってのは、この曲でもいっしょ。3曲め。ほとんどプレイヤーのために弾いているように思うでしょ。ハーモニクス奏法は軽やかに鳴らし・・・で。ひとつね、錯覚があると思うんだわ。もともとビートを前に出すのが当たり前だと思われていたアイリッシュ・ミュージックに関して、この人たちは、ビートを特に強調しようとしない。それでいながら曲のはじまりと終わりとで、早くなっているか、遅くなっているかっていうと、なんのことはない、これが全部オン・ビートなんだよ。もうこのヘンはプレゼンテーションの上手さとしか言いようがないんだけどね。
畠:発想がまったく見えないんだよねー。聴いていればまぁ、多少のところまではコピーできるかなぁーとか思っちゃうんだけど、実際はとてもじゃないだろうね。ミホールのギターとかもそうなんだけど、特にケヴィンとやってるあのアルバム。今でもちょこちょこ聴くんだけど、寄り添い、突き放しっていうそのへんのバランスがものすごいのよ。彼の場合、もっともっとビートとかグルーヴがでてくるけどね。その発想の部分がこのデュオの場合予想しにくいですよ。あのころあのデュオはずばぬけてすごかったと思うわけ。すっごくクールだけど熱いみたいな。
茂木:まさにそこなんだわ。寄り添い突き放し・・これ言いたくなかったんだけど、この二人ほど嫌な意味で(ダンス・チューンを)日本的に昇華させたコンビっていないと思う。ミホール&ケヴィン・バーグの場合は、アイリッシュ・ミュージックのフォーマットの中のひとつの特例ってことで、なんとなく分かったの。なぜかって言うと、常にどちらかによってビートが刻まれてたから。明らかにギターかフィドルかによって、ビートが掲示されてたんだよ。で、この二人はそれやらないんだもん。なーに、もたもたしてんの?みたいな(笑)。それでいながら、これはプレゼンテーションの妙というか、なんというか、リズムが走ったりもたったりすることはないんだよね。いつもひとつの曲の中ではオン・ビートでいながら、後はどういう風に盛り上げていくか。二人がどこまで計算しているのかわからないけど、確実に盛り上がってきているんだ。それが伝統うんぬんという事と、どうかかわるかは別としてね、段取りはあっても計算はないと思うなぁ。例えばクラシックだったら、強弱指定が譜面上で一応見えるし、リタルダンドとか、フェルマータって手があるじゃない? この人たちの音楽にはリタルダンドもフェルマータもないんだよ。全部オンビートなんだよ。どれほど遅かろうと、速かろうと・・・じゃなかった、遅く聞こえようと、速く聞こえようと。それは印象論であって、やってることは全部オンビートなんだよ。で、このビートで踊る人たちがいるんだ。
ミュージックプラント(以下MP):あぁ、それがもしかすると二人の規則なのかもしれない。お互い話したこともないかもしれないけど、自然にそうなったみたいな。
畠:自然の成りゆきみたいな、ね。そうなんだよね。で、体動くんだよね。基本的なグルーブってのは、ものすごくきっちり捕まえてんのよ。
茂木:きっちり捕まえて絶対にはなさないのよ。そしてそのきっちりとしたグルーブをつかまえているから、腹がたつほどスローにきこえるって人に言われようがさ(Acoustic Guitar誌のレビューより)、最後の方ではさ、いや、最後までいかなくて、聴いているうちに10分もすると皆バタバタ足ぶみ始めるわけよ。それでリスナーのギタリストはね、コブシを握って立ち上がるんだよ、なんだこのハーモニクスは!って。
畠:メロディに内在するリズムにきっちり寄り添いながらさ、暴れているんだよね(笑)。なんなんだろうね。くやしいよねぇ。実はここに来る道々CDでウォークマンでリズ・キャロルの新譜を聴いてきたんだよ。バックが(ソーラスの)ジョン・ドイルでさ、終止きっちり盛り上げてくれる人だからね。あまりにもこのデニスとタイプが違うんよね。
MP:ジョンもうまいですもんねー。
畠:あのへんの人たちは、みんなうまいよ。ジョン・ドイルしかり、(ルナサの)ドナ・ヘナシーしかり。かっこいいよなぁ。でもやっぱりこのデニスは一つの究極なんだろうね。
茂:こんな事言っていいのかなぁー・・・ヤスキヨ??
畠:ヤスキヨねぇ・・ちょっと違うんじゃない?
茂:でも、この方法論が他のバンドで通用するとは思えないもん。デュオだから生きるんだよね。で、このデュオを、じゃあバンドでやってみなさい、ていったらさ・・・
畠:笑うしかないでしょう。
茂:ここにヴォーカリストが加わったら?
畠:考えたくもないよ。
茂:ヘイズ&カヒルがいかに伝統的か、と言うのはとても簡単なの。マーティン・ヘイズはクレアで生まれて、お父さんはこういう人で・・・みたいな。でもどう考えたってこの音楽は超克しようとしているよね。伝統を大事にしてます、これがクレアの音楽です、っていう意志の以前にね、それ(伝統のしがらみ)を超克しようとしている。まぁデニス・カヒルってのは、マーティンにとって最高の相棒なんじゃない?
畠:替わり手はいないでしょ。
MP:いや〜この感じはデニスによるところが大きいでしょ。
畠:完璧にそうだと思うよ。だからバックじゃなくて、あくまでデュオなんだよね。
MP:マーティンがインタビューで答えている中に、「僕らはピアノの右手と左手だ」っていう表現があって、まさに言いえてるなぁ、と思ったんですよ。まぁ、よくこのペアが・・・できましたよねぇ! シカゴにいるデニスと、クレアのマーティンと。
畠:いくら人材豊富だからといって、そう簡単にでてくるもんじゃないよねー。
MP:二人でバンドみたいなのやってた時期もあるらしいですよ。でも、本当に日本でのライブ楽しみですよね。
畠:本当にあのライヴ盤聴いてブッとんだんだけどさ「なんだ、こいつらは!」っていうんで。マーティン・ヘイズに関してはいろいろ文章あるわけじゃない? 大島先生しかり、茂木先生しかり、カヒルについてもっと知りたいなぁ。とにかく・・見たいよね!(笑)右手のタッチの感じとかさ。
茂:こういう方面にはみだしたアイリッシュミュージックってちょっとないと思う。アイリッシュミュージックの・・・80年以降のアイリッシュ・ミュージックってのは、どれだけはみだすかってことにレーゾンデートル(存在理由)をかけているところがあったけど、この方面にはみだした人たちははじめてでしょう。この方面、っていうのは、いわゆるアート・ミュージック・・あー言っちゃった。言いたくなかったんだけど・・それまでは、ただ単にハッピーで、リズミカルで・・・で、そこから一歩アート・ミュージックに色目を使うようにみせかけて・・ここ大事よ・・・本質は実は「踊らしたろうかい!」っていう(笑)。
畠:そう、大島豊の言うところの「静謐」なんだよね。大島さんがマーティン・ヘイズのフィドルをして「静謐」といいしめてさ。
MP:え、何々?? せいしつ?
畠:静謐(せいひつ)。
茂:この字だよ。
MP:へぇ。
茂:静謐とは静寂(せいじゃく)とは違うんだよ。
畠:辞書引くといいよ。
MP:辞書引きまーす。
茂:シンと静まったようにみえる心の奥底に燃える炎をとってもわかりやすく少しずつ移植してくれるの。
MP:なるほど。この対談のこの部分、そのまま起こしますわ(笑)。「静謐」って知らない人多いと思うし。
茂:だから、あなたの心にも火のついてないロウソクがあるんだよ、と。私たちがみせるのはその火のついていないロウソクの姿なんだよ、ということ。そこにこれから火をつけるから。その火を皆さんのところにも差し出すから・・。
畠:おぉ〜今日は詩人じゃない?(笑)
MP:寅さんみたい(笑)
茂:(さらに続けて)で、受け止めたら、立ち上がって踊りなさい、拳をふりあげなさい、みたいな。
MP:なるほど! この二人がやっていることは、普通のアイリッシュのバンドと比べると、全然違うじゃないですか。例えばボシータイプの・・パイプがいて、フルートがいて、フィドルがいて、みたいなのとは違う。ドニゴールスタイルや〜〜、ズドドドドドドドドォ〜みたいな、のとも全然違う。まずアイリッシュミュージックをよく聞いている人なら「この二人は他とは違うな」ってまず分かると思う。で、その次にくるのは「あ、これはすごく上品だ」って事になると思う。でもこの二人が持っているもの、っていうのは、上品だけじゃなくって、すごく危険なものだと思うんですよ。だからリスナーの人にはそこまで聞いてほしいなぁー。
畠:「上品」で終わっちゃったら寂しいよね。
MP:でもそこまで行くのも難しいのかなぁ。これだけアルタンやら、ルナサやら、なにやら日本に来ているなかでね、上品だけじゃなくて、その先のトガったところまで見てほしいよなぁー。そこまで分かってほしい。これはめちゃくちゃ過激な音楽であるって事を。茂木さんがファーストアルバムのライナーで言ってたけど、聴き手の中まで、これほど入ってくるってのは、今までないわけだから。
茂:だからとってもオズオズと火を差し出しているんだよね。それがウリャウリャになって(笑)で、いったん点火されたら、もうご自由に!
MP:そうそう、点火されたら、もぉ〜いってらっしゃ〜〜い!!って感じですよね。
畠:さっき手がみたい、って言ったけど、会場に実際いったら、目つぶってね、足踏みしていると思う。
MP:でも目つぶって足踏みしながら聞くと本当に入れますよねー、この世界!
畠:足踏みしながら、っていうより、自然に足は動くよね。
MP:この対談のさっきの「オンビートうんぬん」っていうのは、本当にこの二人のキーかもしれないですよね・・・いや〜しかし「ライヴ・イン・シアトル」の茂木さんのライナーは本当にあの二人のすごさを言い当ててますね。このライヴのCDは、何度か聞いて「すごいなぁー」と思ってたけど、茂木さんにライナーお願いして、メールで送られてきたライナー読むまで、どこがすごいのか、私自身わかっているようで全然わかってなかった。これでやっと二人の事を他の人に説明できる、っていう感じです。二人の来日が楽しみですよね。今日は本当にありがとうございました。
2000.6.17 茂木氏宅にて