(以上2000/10/24UP DATE)
皆さんいらしてください〜!!
(以上2000/10/4UP DATE)
(以上2000/8/20UP DATE)
2000/8/12Saturday night concert in Feakle will be broadcast live from
8pm(アイルランド時間)
http://www.clarehurlers.com/
Concert
Steve Cooney with Martin Hayes - premier of the Midnight Court (Poet
in Purgatory)
Tulla Ceili Band with set and step dancers
Len Graham and John Campbell
Sliabh Notes
Helen Hayes
Seamus Begley & Jim Murray
Martin Hayes & Dennis Cahill
(以上2000/8/11UP DATE)
2000/8/11(金)Lyric FM アイルランド時間7pmよりマーティン・ヘイズがホスト役のスペシャルプログラムがオンエアーされます。くわしくはwww.lyricfm.ieへ。またこの放送は、8/12(土)アイルランド時間の 6pmに再放送されます。どうやら上記web上でもきけるらしいです。ぜひトライしてみてください。
(以上2000/8/9UP DATE)
10/27(金)原宿アストロホール
<19:00開場/19:30開演>
◎チケット=前売5000円/当日5500円(自由)<7/21(土)発売>
Info:プランクトン 03-3498-2881
10/26(木)かつしかシンフォニーヒルズ(アイリスホール)
<18:30開場/19:00開演>
公演名「ケルト音楽の夕べ〜ヨーロッパ音楽のルーツを訪ねて」
出演:マーティン・ヘイズ&デニス・カヒル
司会:ピーター・バラカン
◎チケット=3000円(全席自由)<7/8(土)発売>
Info:かつしかシンフォニーヒルズ 03-5670-2233
マーティン・ヘィズ&デニス・カヒルのライヴを見たのは、一昨年サンフランシスコのケルティック・フェスティヴァルだ。このフェスティヴァルは毎年三月の第一週末に催されているフェスティヴァルで、一昨年が7回目になる。今はアメリカに活動拠点を置いているので昨年もたしか二人は出たはずだ。こじんまりした、家族的雰囲気のイベントで、フェスティヴァル初体験者としてはちょうど良かった。マーフィーズ片手に腰を据えていれば、有名無名の第一級のミュージシャンたちの音楽にどっぷりと漬かれる。アイルランドだけでなく、スコットランドやカナダ、ケープ・ブルトンからの参加もあり、この時はウェンディ・マクアイザック(アシュレイの従姉妹)&ジャッキィ・ダンがすばらしかったし、過去にはリチャード・トンプソンも出たことがある。
会場は市街地北端の波止場の一角に建つ、かつては大きな倉庫だったところで、幅30メートルほど、長さは200メートルもあるだろうか。その真ん中を仕切って手前が物販、仕切りを背にしてステージがあり、その向うに折りたたみの椅子がならべてある。物販はCD、ビデオはもちろん、ケルト関係の装飾品、家具、衣類等々、なかなか多彩だ。家系調査ソフトなんてのも売っている。
ステージは1.5メートルぐらいの高さでかなりの広さがあり、キーラやクールフィンのような大所帯のバンドでも狭くない。座席はもちろん自由だが、500脚ぐらいも置いてあっただろうか。人気のある出し物の場合は当然周囲にびっしりと人がならぶ。
倉庫の壁際にそって飲食物の屋台がならび、マーフィーズはじめアルコールはもちろん、アイリッシュ、ジューイッシュ、チャイニーズ、メキシカン等々の料理がある。こういうところの屋台でも、量もたっぷりあるし、安くてうまい。マーフィーズというのはギネスと同じくスタウト(黒ビール)で、ギネスよりほのかに甘いのではないか。このフェスティヴァルのオフィシャル・スポンサーの一つなので、会場ではスタウトといえばこれしかない。もちろん、こちらとしては別に不満はない。
ヘイズ&カヒルは二日目、日曜日の大トリの前だった。ちなみに大トリは前日もトリを勤めたフルメンバーのドーナル・ラニィ・クールフィン(ヴォーカルはマイレート・ニ・ゴゥナル)。このフェスティヴァルに行ったそもそものお目当てはこれで、それはそれで大満足だったのだが、もちろん予想外の収穫はたくさんあり、ヘイズ&カヒルは最大の収穫といえるものだった。
大トリの直前というのは実はかなり美味しい順番で、客は一番集まる。大トリは夜も遅くなるので、観客は演奏の途中でも三々五々帰ってゆくのだ。
それまでのアルバムで聞いていたとおり、ゆっくりゆっくりと始まる。ヘイズは長髪を揺らし、なびかせ、目を閉じ、悠々と弾いてゆく。カヒルはやや身を乗出し、ヘイズの顔からほとんど視線をはずさない。自分の手はまず見ない。ヘイズのフィドルの細かいニュアンスを聞取り、それに瞬時に反応してギターを奏でる。と言うよりはむしろ、フィドルの流れを読取り、その流れに沿ってフィドルと同時に音を置いてゆく感じだ。音数は極端に少なく、音よりも「間」によってフィドルの音を引立てる。一時期この二人は「ヘビメタ」をやってたという話を聞いた覚えがあるが、そんなことはおくびにも見せない。
アルバムと違うのは、演奏が止まらないのである。二、三曲のメドレーは最初に少しあっただけ。ゆっくりゆっくりと弾くヘイズの体の揺れがだんだん大きくなるにつれ、五連発、六連発と続いてゆく。テンポも徐々に速くなってゆく。満員の聴衆は椅子席だけでなく、周囲にもびっしりと立並んで、一曲ごとに大喝采を送る。そしてとうとう本当に止まらなくなった。あらかじめ決めていたのではないだろう、興の赴くまま、無尽蔵のレパートリィから曲の方が自然に湧きでてくる。11発目までは数えていた。
それはもう人がフィドルを弾いているのではなく、人とフィドルとギターが一体となり、嵐の中、いやそれ自体渦巻く嵐となって突進んでゆくのに近い。しかもその嵐は、ただ一様な勢いで吹きつづけるのではなく、フッと弱くなってみたり、風向きが逆になったり、変幻自在なのだ。ひとつのフレーズでクレシェンド、デクレシェンドをここまで巧妙に使うのは、アイリッシュでは他にあまり聞かない。フィドルもギターも楽器本体にピックアップはつけず、マイクで拾っていた。あまりの熱演にフィドル用のマイクがいやな音を立てて切れた。クライマックスも佳境に入っていた時だ。とっさにカヒルがギターを置いて立ちあがり、MC用のマイクをフィドルに近づける。なにごともなかったように音楽は続いた。アイルランドの伝統音楽はここまで崇高で、同時に熱いものになれるのだ。とうとう曲がやんだとき、聴衆がオール・スタンディングで称えたのは当然だった。
『ライヴ・イン・シアトル』ではその片鱗が捉えられている。30分に近いトラックはこれまでのアイリッシュ・ミュージックのレコードでは考えられなかったものだ。しかしヘイズ&カヒルにあって、これは異常ではない。そしておそらくアイリッシュ・ミュージックにあっても異常ではない。いつかも書いたが、キアラン・カースンの名著
LAST NIGHT'S FUN には、ある曲を皆でやっていて、あまりに気持ち良かったので26回繰返したという話が出てくる。アイリッシュ・ミュージックは終らないのだ。
もう一つ嬉しいのは、録音の良さ。二人の演奏の細かい陰翳が見事に捉えられていて、これは現場ではなかなか気がつかない。
11曲メドレーの仕上げ、パッヘルベルの「カノン」のアイリッシュ版を聞いていたら、もう一度二人の生を見たいという欲求が急激につきあげてきた。
2000.6.20 大島 豊