Q(白石))最初に私のブロークン・イングリッシュをお詫びしなければなりません。
J(ジェームス))構わないさ。僕たちの日本語よりは明らかに上だからね(笑)。
1.ナンシーのフィドル
Q)ナンシー、あなたのパワフルなフィドル演奏は非常に印象的ですが、最も好きなトラディショナル・フィドラーは?
N(ナンシー))有り難う。最初に挙げなければならないのは、ノーサンバーサンドのウィリー・テイラーね。彼はキャサリン・ティッケルにも大きな影響を与えた人ですが、それは私にとっても同様なのです。彼の演奏は素晴らしいわ。それからアリ・ベイン。そしてスコットランドやシェトランドの多くのプレイヤー達ね。特にと言えば、ディビー・スコットという女性ね。彼女は長い間、プロとしての演奏はしていなかったのだけれど。彼女は1980年代に、私が最初に聞いた若手の数少ない女性フィドラーのひとりね。
Q)そのディビー・スコットにはいつ頃、出会ったのですか?
N)ううん、私は彼女に(個人的に)会ったという訳じゃなくて、コンサートを見たのだけれど、多分、私が5歳か6歳の時の事ね。何故なら、私は5歳でバイオリンを始めて、程なくして彼女を見て「うわー!」と感激したのだから。
Q)ところで5、6歳の頃からバイオリンを始めたというのは、あなたは最初はクラシックの教育を受けたという意味ですか?
N)クラシックとトラディショナルを同時にね。私はクラシックのレッスンを受けていたけれど、また同時にウィリー・テイラー(ノーサーバーランドのフィドルの名手の一人)のところへ行って彼と一緒に演奏したわ。私はいつでもこの二つの音楽を共にやっていたのでした。
Q)あるほど。あなたが名前を挙げたキャサリン・ティッケルやウィリー・ティラーはノーサンバーランドの伝統音楽の巨人達ですね。それではノーサンバーランドの音楽の特徴とはどんなものなのでしょうか?
N)ノーサンバーランドの音楽はケルティック・スタイルに近いけれど、しかしまたアイリッシュやスコティッシュとはとても異なっています。ここの音楽のスタイルはバグパイプのチューンに強く関係しているのです。例えば曲の中で(ひとつの音から離れた音へ)大きくジャンプしたりして、フィドルで演奏する事はとても難しいのだけれど、それがまた大きな楽しみでもあるの(笑)。そしてまたアイリッシュ・スタイルの様には多くの装飾音を使用しないのでその点はイングリッシュ・スタイルと言えるわ。
Q)つまり、ケルティック・スタイルとイングリッシュ・スタイルの幸せな混合と言って良いのでしょうか?
N)ええ、そう思うけれど、でもノーランバーランド音楽の独自のところも大いにあるわ。古くからの伝統があるの。それからまた歴史を通して常にノーサンブリアンの音楽の演奏のスタイルについて人々が意識的を持っていたという点も挙げられるわ。他の地域のイングリッシュ・スタイルは一度忘れ去られてしまって今では作られたものになっているのに対して、ノーサンバーランドの音楽は古代からずっと続いてきたのです。途絶える事のなかった伝統というか、生きつづけている伝統ね。
Q)なるほど。私はキャレン・トゥィードに何度か東京で会った事があります。彼女はキャサリン・ティッケルの音楽を「数学的」と形容していました。つまり、とても複雑だけれども魅力的で素敵な音楽、そして習うのがとても難しいと言っていたのです。
N)全くそのとおりよ。キャサリンの様に今日伝統の中で曲を書いている人々に対して、その他の人々はもっと難しさを感じていると思うわ...
Q)基本的にはキャサリンはノーサンバーランドの音楽の最高峰と言って良いのでしょうか?
N)そう、全くその通りよ。
Q)よく分かりました。それでは話題を変えて今度はジェームスに聞きます。
2.二人のヴォーカル・スタイルについて
Q)ジェームス、あなたの強くてクリアーなヴォイスはとても印象的ですけれど、若い頃に好きだった歌手は?
J)有り難う。子供の頃に好きだった歌手かい、うんニック・ジョーンズだったかな。それとボブ・フォックス&スチュ・ラックリー、彼らを知っているかい? それに、クリスティ・ムーア、プンクシティ、マディ・プライア、ジューン・テイバー、シリー・シスターズ、スティーライ・スパン、ポール・ブレィディ、マーティン・カーシー...それからロイ・ベイリー、彼からはとても大きな影響を受けているんだ。
〔注:ロイ・ベイリーは1960年代から活動を続けているイングランドのコンテンポラリー&トラッド・フォーク・シンガーで、ソロ活動のほかシンガー・ソング・ライターのレオン・ロッセルソンとのデュオでも知られている。〕
Q)なるほど、なるほど、勿論これの人々は皆よく知っていますが、思うにイングリッシュ・シンガーとアイリッシュ・シンガーの実に良い組み合わせですね。
J)その通りだね。両親が両方の、いろいろなところの音楽を聞くように勧めてくれたんだ。何故なら両親もこれらの音楽を聞くのが好きだったからね。僕の心の中では、イングリッシュとかアイリッシュとかをはっきり区別した事はないんだ。みんなフォーク・ミュージックだと思っているから区別は必要はないと思っているんだ。勿論、違いは知っているけれど、オーストラリアで育った僕たちにとっては全ては海外から来たグッド・ミュージックという意識なんだ。
Q)分かりました。ではあなたの祖先について伺っても良いですか、アイルランド系なのでしょうか、それともイングランド系?
J)イングランド系でもあり、アイルランド系でもあるんだ。母方の家系はアイルランド系で1850年代にタスマニアに流刑囚として送られてきたんだ。父方のフェーガン家は、元々はアイルランド系だったけれどオーストラリアに来る前にイングランドに移住していたんだ。だから僕の祖父はイングリッシュ・アイリッシュ・マンなのさ。
Q)ところであなたは先程、子供の頃に好きだった歌手としてイングリッシュやアイリッシュの偉大な歌手達の名前を挙げてくれましたが、オーストリアのシンガーについてはどうなんでしょうか?
J)僕が子供の頃にもとても良いオーストラリアのシンガー達がいたのだけれど、実は大人になるまでその良さがよく分からなかったんだ。今では良く認識しているけれどね。例えば、母親が良く一緒に歌っていた友だち達の中にはとても良い歌手がいたんだ。例えばマーガレット・ウォルターズのような女性とか。彼女はとても良いトラディショナルな歌声を持っていたんだ。他の歌手では例えばマーラ(MARA)...彼女は有名になる以前は、学校へやってきては子供達に音楽を教えていたんだよ(笑)。彼女は凄い声を持った本当にパワフルなシンガーだね。
〔注:マーラは東欧系のオーストラリアの女性シンガーで自分の名を冠したグループMARA! のリード・シンガーとして1980年代からオーストラリアや英国などで活動している。MARA! は英国トラッドと東欧の伝統音楽とジャズの要素をミックスしたユニークなアコースティック・グループである。〕
Q)あなたは幼い頃にあのマーラを知っていたという訳ですか! 何年も前の事ですけど、私は友人と共にマーラのCDの日本盤のリリースに係わった事があります...さて、この話題でもうひとつ聞きたいのですけれど、マーティン・ウィンダム・リードについては?彼はイングランド人ながらオーストラリアのフォークの重要人物だと思います。
〔注:ウィンダム・リードは1942年生まれのトラッド・フォーク・シンガー。イングランド出身だが、オーストラリアに長らく滞在して1960年代に同国のフォーク・シーンで活躍し、1970年代以降英国へ戻った後も今日まで積極的にオーストラリアのトラッド・ソングを歌い広めてきた。〕
J)そう、とても重要な人物だね。彼は今の僕にはとても大きな影響を与えているんだ。彼の美しい声だけではなく、重要なオーストラリアン・ソングのレパートリーの面でもね。彼はオーストラリアン・ソングのとても重要な収集家なんだ。今ではそう認識しているのだけれど子供の頃は彼の事は良く知らなかったんだ。両親達はよく知っていたけれどね。僕は大人になってから、マーティン・ウンダムリードの歌に出会ったという訳さ、10年くらい前の事かな。彼は素晴らしいと思うよ。
Q)あなたのヴォーカルに影響を与えた歌手達の事がよく分かりました。特に先程のロイ・ベイリーの名前は重要だと思います。貴方のストレートでストロングなヴォーカルはロイ・ベイリーを思わせるところがありますから。
J)彼の事は最初に挙げるべきだろう。僕はとても彼が好きだし、それからナンシーも大きな影響を受けているんだよ。
Q)ええっそうなんですか!
N)その通り。私もジェームスと同じく、ロイの音楽を聞いて育ったのよ。
Q)ええとロイ・ベイリーもイングランドの北部の人でしたっけ?
N)そう、彼が住んでいるのはヨークシャーなの。
Q)では、今度はナンシーに聞きます。ヴォーカル・スタイルの話なのですが、あなたの以前の録音、例えば"Seven Yerrow Gypsies" (1996年のCD『SANDRA AND NANCY KERR:NEAT AND COMPLETE 』ミュージックプラントMPFR005/英FELLSIDE FECD107に収録) などは、お母さんのサンドラの昔の同曲の録音 (1969年のLP『JOHN & SANDRA 』ARGO ZFB2 に収録) を思わせるもので、サンドラとそっくりでしたけれど...
N)そう"JACK ORION"なんかもね。
〔注:この曲のナンシーの録音は1998年のジェームスとのデュオ1作目『スタリー・ゲイジー・パイ』THE
MUSIC PLANT / MPFR001/英FELLSIDE FECD127に、サンドラの録音は上記の1969年のLPに収録されている。〕
Q)..しかし、最近の録音ではあなたのヴォーカル・スタイルはサンドラと少し違ってきている様に思います。これについてあなたご自身はどう思いますか?
N)母と私のヴォーカル・スタイルの違いは私が思うには、ひとつは世代が違いますから異なった影響を受けているという事と、もうひとつは肉体的な事で、母はクリアーで高い声を持っているけれど私の声はもっと低いものだわ。確かに母は私のスタイルに最も影響を与えているけれど、でも私はジェームスを始め他の人達からの影響も受けていますから。例えば東欧のシンガーのマルタ・セベスチェーンみたいなサウンドの影響なども、後には受けたのよ。
J)ちょっと付け加えてもいいかい? 僕の両親も僕のシンギングに影響を与えているんだ。子供の頃には、僕は両親の歌をいつも聞きながら育ったんだ。僕のシンギングは僕の父にとても似ているんだよ。何故なら父は先に挙げたような歌手達の歌を聞いていたし、僕はそれらの歌手達と父の歌を聞いていたのだからね。...邪魔して悪かったね。
Q)いえいえ、大変有益な情報をどうも。さて、ナンシーに続けて聞きますが特に実際昨夜と一昨日のステージでもそうでしたけれど、あなたが歌の途中で時に使う裏声がまたとても印象的でした...
N)私の声が低音域から高音域へ移行するわけだけれど、これはノーサンブリアンの歌なの。つまりバグパイプの曲のセットで音が上下にジャンプするけれど、それと同じ様に声がジャンプするというわけ、歌うのは難しいけれど。
Q)その観点からすると、あなたのお母さんのシンギングはもっとナチュラルといいますか、彼女の時代背景はフォーク・リヴァイヴァル時代でしたから、あなたの様なノーサンバーランドの地域的なスタイルのシンギングとは違うものですね。
N)そうね。母の歌は、グッド・ジェネラル・トラディショナル・イングリッシュ・サウンドね。母は熱心にペギー・シーガーやイワン・マッコール達から学び、年配の歌手達の歌を聞いてその様なスタイルになったの。私達もそうした影響を受けているけれど、もっとコンテンポラリーな影響も受けているわ。世代の違いでシンギングの流儀も違うというわけね。いつでも変化し続けているものなのよ。
Q)丁度アイリッシュ・ミュージックの歴史みたいに、トラディショナル・フォーク・ミュージックの歴史はより地域的なものへ向かう様に思います。例えば1970年代の黄金時代には、プランクシティーやボシー・バンドの様な巨人達がいて、その後、アルタンやダービッシュ達が現れてきましたが、アルタン達の音楽は、よりそれぞれの土地に根づいたローカル・スタイルだと思います。この傾向はイングランドのトラディショナル・フォーク・ミュージックでも同じでしょうか?
N)イングランドにも、丁度アイルランドのドニゴールとかクレアみたいに伝統音楽が強く続いてきたいつくかの場所があります。例えばイングランド南部のサセックスとか、勿論ウェールズとか、そして北部のノーサンバーランドみたいな。しかし多くの伝統は失われてしまって、伝統と繋がりを失った人々は、どうイングリッシュ・ミュージックの演奏すれば良いかを再発明したのです。今日ではイライザ・カーシーとか私自身とか...イングランドの演奏家は全部だけれど特にアンディー・カッティングとかクリス・ウッドの様な人々...私達には正確に言えばジェネラル・イングリッシュ・サウンドは無いけれど、いろいろなものをミックスしている。プランクシティはジェネラルなサウンドを持っていたけれど、今の英国の人々はノーサンブリアの音楽を一寸とか、モリス・ダンスの音楽を一寸とか、といった具合にやっているわ。似ていると言えるけれど...
Q)そうですか、つまり今のイングリッシュ・ミュージックは色々な地域の音楽の一種の混合だと。
N)そうよ。特に今の時代はね。しかし今でもノーサンバーランドでは人々はごく普通に毎日の様にケイリーに行ったりするわ、特にフォーク・ファンではなくてもね。それでケイリーでは、主にノーサンブリアンとスコティッシュ・ミュージックが聞ける。今でもとてもローカル的ね...
3.ナンシー&イライザ、キングス・オブ・カリカット
Q)それでは、あなたの音楽史に話題を移しましょう。あなたが最初にイライザ・カーシーとのデュオをやっていた時の事は良く知っていますが、この時代の音楽についてご自身では今どう思っていますか?
N)おかしな事だけれど、その時代の音楽を聞くのは好きよ。その頃、私達は本当に音楽を演奏するのが楽しかったから。私達は当時16歳でとても若かったから技術的には今聞くと「ウヘー」っていう感じだけれど、全般的なムードとしては本当に楽しいものだわ。だから今聞くのは喜びだけれど、但し全てが良いという訳ではなくて、辛いところもあります。あれは10年前のものでミュージシャンとしてその後、進歩している訳ですから。この入り混ざった感情は面白いものね。古い写真を見る時みたいな..変なヘア・スタイルをしているわ、とかね(笑)。
Q)イライザは一度来日していますけれど...
N)ええ知っているわ。
Q)私はコンサートを聞きに行きました...それで彼女のフィドルもあなたと同様にパワフルでしたが、でもあなたのスタイルとは少し違いますね。
N)彼女はもっと南イングランドの音楽に影響を受けているわ。もっとモリス・ダンスの影響を受けていると言うか...とても異国的で素晴らしい曲があるのよ、特にダウンビートでフット・ステップする様な曲ね。私はもっとノーサンブリアン的だけれど。
Q)つまり、あなたとイライザのデュオは北方と南方のスタイルの興味深いデュオだった訳ですね。
N)ええ、でも私達は、一般的にはノーザン・スタイルのデュオとして知られていたけれど。私は今でも二つのバイオリンによるサウンドが好きよ。素晴らしいものだわ。
Q)それでは今度はジェームスに聞きます。あなたが最初にナンシーに会った時は、ナンシー達が、キングス・オブ・カリカットで演奏した時の事でしたね...
〔注:キングス..はナンシー&イライザのデュオの発展形として結成されたバンドで、一時期はジェームスも参加した事があるという。但し97年に発表された同グループの唯一のCD『ELIZA
CARTHY & THE KINGS OF CALICUTT』 (英TOPIC TSCD489)には、ナンシーやジョームスは参加しておらず、アルバム・タイトル通りイライザのグループとなっていた。〕
J)その通りだ。
N)ええ、そうよ。
J)それは1995年の事で、僕は薬学の勉強を終了した直後で休暇を過ごす為にイングランドにやってきたんだ。僕はイングランドの何人かの人々を知っていたんだ。マーティン・カーシーやノーマ・ウォーターソン、イライザ・カーシー、ロイ・ベイリー...といった人達だ。彼らはそれ以前にオーストラリアに来た事があったからね。僕はオーストラリアのシーンでこれらの人々を良く知っていたので、イングランドに着いたらまず彼らのところを訪問したという訳だ。当時ナンシーはイライザと一緒に仕事していて、一緒に住んでもいんたんだ。それで僕が彼女達の家を尋ねると、彼女達にバンドに加わらないかと言われた。それで僕を含めて4〜5人のバンドとなったんだ。この時にナンシーと彼女の音楽について知った訳だけれど、最初に彼女の声を聞いた時に、本当に衝撃を受けたんだ。特に声の装飾にね、僕はそれをとても好きになった。本当に美しい。〔傍らでナンシーが「へへへ」と照れ笑いをしている〕...その後、すぐに僕たちはデュオをスタートしたんだ。即座にね。何故なら僕たちは同じ好みを持っていたからだろう、つまりリズミカルな音楽が好きで、それに一緒にハーモニーで歌うのも好きだったんだ。
それで1995年の末に僕は一旦オーストラリアに戻り、1996年の10月に再びイングランドへ。それから、僕たちの最初の仕事は確か...(ナンシーに)ええと97年だったっけ?
N)それは96年の10月か、それとも8月だったわ。シドニー・フェスティバルだったけれど、これはとても小さなフェスティバルで、私達は25分ぐらいのパフォーマンスをやったの。私達は"Seven
Yerrow Gypsies"と、その種の歌を歌ったわ。
〔注:英LIVING TRADITION誌No.48 の記事によれば96年8月となっている。〕
J)そう僕たちの最初のステージはシドニーだったね。それから僕は薬学の勉強を完全に止める事を決心して1997年は一年間ずっとイングランドに滞在した。その時に僕たちは本当に懸命にデュオをやりはじめたんだ。つまりデモ・テープを送って仕事を得るような事を始めた訳だ。
Q)なるほど、実は私は以前にちょっと思い違いをしていたのです。キングス・オブ・カリカットはイライザのバンドで、あなたたちとは関係が無いと..。
N)それは最初はケイリー・バンドにするつもりだったのよ。最初は私とイライザとメロディオン・プレイヤーのソール・ローズの3人のバンドだったのだけれど、それが段々と大きくなっていったの...ソール・ローズはウォーターソン・カーシーと一緒に長い間演奏をしてきた人で、良い蛇腹奏者だわ。だから最初はダンス・バンドになる筈だったのが、もっと演奏を聞かせるようなバンドになっていった。私が抜けた後、また変化があってイライザが主導になったのよ。
Q)キングス..は純粋なインスト・バンドでヴォーカルは無しだったのですね?
N)もともとはインスト・バンドにするつもりだったけれど、最後には歌をいれたわ。バンドの皆が歌えたし。
Q)それでジェームスはブズーキ奏者として参加したのですね?
J)でも僕が一緒に加わったのはたった一つのツアーの5回くらいのコンサートだけだったので、バンドの極く一部の話しか出来ないのだけれどね。確かに僕にとっては出発点だったけれど、このバンドでの活動はとても短期間で、すぐにデュオを始めたんだよ。
Q)なるほど、ともあれその当時のあなたはブズーキ専門でギターは弾いていなかったのですね?
J)僕はもともとはいつでもギターも弾いていたんだ。僕はファミリー・バンドのフェーガンスではギターを弾いていたんだ。でもブズーキの方が主になってしまったんだ。で、ナンシーと出会って一緒にやり始めた時に、僕たちはともにブズーキのサウンドが好きで求めているものだったので、ブズーキを使う事に決めたわけだ。だから僕はこの7年間はギターを弾いていないよ。実際、僕のギターは妹にあげてしまった(笑)。それで今では彼女が持っていて僕よりもっと弾くんじゃないかな。
4.オーストラリアでのジェームスの活動
Q)ところで、あなたはナンシーに出会う前に、オーストラリアでは、アリステア・ヒューレットのグループで活動していたという話を知っていますが...
J)そのとおり。多分1993年か94年頃の事だったけれど、僕はアリステアのバンドに参加したんだ。〔著者の持参したアリステア・ヒューレットの92年のアルバム『DANCE
OF THE UNDER CLASS』 (豪RED RATTER RATCD001)を見て〕それはグレイトなアルバムだ。これはその後の話なんだ...ジミー・グレゴリーという素晴らしいミュージシャンがいて、彼はアリステア自身と同じくスコットランドの出身だったのだけれど、僕はブズーキについてジミーから多くの事を学んでいたんだ。で、そのジミーが僕の事をアリステアに紹介してくれた。それで僕がアリステアのバンドに入った時は、ジミーもそのバンドにいたので、アリステアとジミーがブズーキやギター、僕もブズーキを弾いて、それにアイリッシュのバグパイプ奏者とフィドラーもいた。僕たちはアリステア・ヒューレット&フーリガンズと呼ばれたんだ(笑)。
アリステアは素晴らしい、ファンタスティックなシンガーだ。彼はシドニーに25年間住んでいたのだけれど、3〜4年前にグラスゴーへ戻って今ではそこに住んでいるよ。僕たちは今でも彼と会っている。実際、来年にはアリステアと一緒にツアーする計画があるんだ。このツアーはニーヴ・パーソンズも一緒なんだよ。つまりナンシーと僕はイングリッシュ、アリステアはスコティッシュで、ニーヴはアイリッシュだからこのコンサートでは3つの国が一緒にやる訳だ。
Q)それは凄い! ところであなたはアリステアと一緒の録音は無いのですか?
J)いや、ジミー・グレゴリーと録音した事はあるのだけれど、アリステアとの録音は無いんだ。
Q)そのジミーとの録音というのは彼のレコードなのですか?
J)そう、ジミー名義の『WEST ALONG THE ROAD 』っていうアルバムだよ。とても良いアルバムだった。ジミーと僕は暫くの間、デュオとして活動していたんだ。2つのブズーキでね。しかし不幸にもジミーは2年前に脳溢血で亡くなってしまった。38歳の若さでね。これはオーストラリアのミュージック・シーンにとっては大きな損失だ。明らかに彼はミュージシャンとして僕に大きな影響を与えている一人だね。彼は僕より10歳年上だった。...ジミーとのレコーディングはその一枚だけれど、オートラリアでは僕は家族のフェーガンスとは幾つか録音があるんだ。こちらの方がメインなのだよ。
Q)実はそれが、次に聞きたかった事なのです..
J)僕はオーストラリアでは主にフェーガンスと一緒に活動しているんだ。フェーガンスは両親のボブ&マーガレットと妹のケイトと僕で、僕たちは4声のハーモニー・コーラスを歌うんだ。父はギターも弾くよ。妹は僕よりも1歳年下で今29歳なんだ。彼女は素晴らしいシンガー・ソング・ライターで、もうすぐソロ・アルバムを作るだろう。
Q)それにはあなたも参加するのでしょう? えっナンシーも?
J)僕たち二人とも、もちろんだよ!〔傍らでナンシーもハハハと笑っている。〕
Q)それは楽しみです。フェーガンスの話に戻りますが、グループは何枚のアルバムがあるのですか?
J)これまでに3枚のCDがあるんだ。1つは1994年ころだったと思う。次のは97年ころ。そして丁度、今新作を作ったばかりなんだ、2002年のね。これらにはナンシーも参加しているのだよ。
Q)そうなんですか!
J)これらのアルバムは配給されているものではなく、両親が自分達で直接売っているのだけれど..。両親は1970年代にはフォーク・デュオとしてやっていた。それで子供たちが出来ると、一緒にステージに上がって歌いはじめたんだ。僕たちはいつもファミリーで演奏してきた。とても素敵な事で、心から楽しんできたよ。今でも僕はファミリーで演奏するのが楽しいんだ。オーストラリアに戻った時は、ナンシーも一緒に幾つかのフェスティバルに出演するんだ。ナンシーを含めて5声になるので、ビッグなサウンドになるよ。5つのパートのハーモニーが同時に歌い、それに3つのギターが付くのだからね。
Q)フェーガンスが今でもそんなに活動しているとは知りませんでした。
J)非常に活発にやっているのさ。でもプロフェショナルではない。両親は他の仕事を持っているのでね。両親は共に教師なんだ。
Q)ええと、お父さんは地理学者でしたよね。お母さんは?
J)そう、父は地理学の教授で、母は幼稚園の先生だよ。だから両親にとっては音楽はパートタイムの仕事なんだ。
〔注:ジェームスの父親は地理学の仕事の関係で日本へも来た事があるという。これは余談だがジェームスはその父に勧められたので是非、東京都の庁舎を見たいと言っていた。「あれは日本的な建築の代表と言うよりバブルの時代の遺産みたいなものですから」と著者が余計な意見を言うと、ジェームスは「それだから是非見たいんだ(だから見るように勧められた?)」と言っていた。〕
Q)それはフォーク・ミュージックの世界では自然な事ですね。
J)そうだね。いつも家族で音楽をしているという点ではナンシーと同じだね。
Q)アイリッシュ・ミュージックの世界にクラナドとかサンズ・ファミリーみたいな有名なファミリー・グループがいる様に、ですね。
J)そう、アイルランドには他にもマクピーク・ファミリーとか...
Q)ではオーストラリアのフォーク・シーンではどうなのでしょうか?
J)ファミリー・グループはそんなにないんだ。ファーガンスが1980年代や90年代に成功を収めたひとつの理由は、当時唯一のファミリー・グループだったという事もある。僕たちは「フォークを歌うファミリー」として宣伝されて、人々がそれに大きな反応したという事だろうね。しかし今では幾つかのファミリー・グループが出てきているよ。どんどんとね。まだアイルランドやイングランドやアメリカほど数は多くはないんだけれど、例えばワイズ・ファミリーみたいなとても良いバンドも出てきている。そこの子供達はまだとても若いのだけれど両親と一緒に歌うんだ。彼らは素晴らしいグループだよ。
Q)フェーガンスはシドニー在住ですよね? そのワイズ・ファミリーもですか?
J)僕たちはシドニーだけれど彼らはパースなんだ。
5.ナンシーのフィドルとジェームスのブズーキ
Q)それではまた話題を変えて、ナンシーは昨日のコンサートでは、二つのバイオリンと一つのビオラの計3つの楽器を使っていましたね。どんな方針で曲ごとの楽器を選んでいるのですか?
N)ひとつのバイオリンはスタンダードのフィドル・チューニングなの。GDAEね。それでもうひとつのバイオリンはチューニングを大幅に変えてあるの。それはギターのDADGADチューニングの様にしてある。DADGADそのものじゃないけれど同じアイデアに基づくものなの。
〔注:ギターのDADGADチューニングは、1960年代から英国やアイルランドでトラッド演奏に用いられてきた有名なオープン・チューニング。ディヴィ・グレアム、バート・ヤンシュ、ジョン・レンボーン、マーティン・カーシーを皮切りに無数のギタリスト達がこのチューニング(とその発展形)を使って演奏してきた。〕
Q)なるほど、いわばDADGADバイオリンですか。
N)その通りよ!何故なら私はバイオリンを弾きながら同時に歌うから。爪弾いたりするのに上手くいく様なオープン・ストリングスを多く使ったチューニングが必要だったのよ。
Q)あなたのバイオリンの一つは普通の形で、もう一つはもっと起伏の少ないギターみたいな外形をしていましたが、どちらがDADGADバイオリンなのですか?
N)普通の形の方よ。
J)それは正しくはDADGADではないよ。本当はというと?
N)これは本当はフッブフッブなのよ(笑)。つまりFbFb(FシャープbFシャープb)とかFbGLの様なチューニングなの。ギターみたいな形の方は、ウェールズのギター職人のティム・フィリップスによるもので、彼はナイスガイで面白い形のバイオリンを作る人なの。ハハハ、彼は良いプレイヤーで良いギター造りよ。でも私は本当にこのギター形のフィドルが大好きで他のチューニングに変えたくないの。もうひとつのフィドルは実は友達から借りたものなのよ。
Q)そういえば、あなたはティム・フィリップスのフィドルの方を多く使っていましたね。
N)そうです。それはインストのチューンに使うもので、もう一つの方(DADGAD)は歌の曲(の一部)に使うの。
Q)ティム・フィリップスのフィドルはあなたのスタイルにとっては使い易いものなのですね?
N)それは静かなフィドルで、大きな音ではないの。だから歌とフィドルを同時にやる時でも声が埋もれてしまう事はないわ。だから使えると思ったの。とても良いクリアーなサウンドをしているし。
Q)イライザとのデュオをやっていた時代はどんなフィドルを弾いていたのですか?
N)ティム・フィリップスのフィドルよ。私と同じくイライザも今でも彼のフィドルを幾つか持っていると思うわ。
Q)もうひとつ、ビオラについてはどうですか? トラディショナル・ミュージックでビオラを使うのは珍しいと思いますが...
N)確かにアングロ・ケルティック・ミュージックでは普通の楽器ではないわね。でも東欧の音楽ではもっとよく使われるの。実際は3つのストリングスでブリッジがフラットな形をしているものをリズム楽器としてね。私ここからアイデアを得て、バックのリズムを担当する楽器としてビオラを使っているのです。
Q)それと勿論音域も違いますね。ビオラはフィドルより低い音でとても興味深いサウンドです。
N)そうそう..
Q)では次にジェームスに聞きますが、あなたにとってのギターとブズーキの大きな違いとは何でしょうか?
J)僕にとっての大きな違いかい...うーん、弦の構成上、ブズーキはモーダルな(旋法的な)コードにより効果的だという事かな。ギターでもモーダルなコードを弾く事は可能だけれど、ブズーキの方が実にぴったりと合うんだ。そのモーダルなコードはトラディショナルなミュージックに相応しいものだ。フィドルの様にね。それともう一つ僕がブズーキを好きな理由は、また僕はリズムを多く演奏するので、パーカッシブなブズーキのサウンドが好きなんだ。更に僕がギター形のブズーキを好む理由は、それがギターの音の様な円やかさや暖かさを持っているからなのだ。つまり僕の弾いているギター形のブズーキは、ギターと本来のブズーキの中間の楽器のようなものだね。もう一つ僕がブズーキを好きな理由は指遣いがマンドリンと同じだと言うこともある。ギターは違うね。
Q)なるほど。あなたはマンドリンも演奏するのですか?
J)その通り。余り頻繁には使わないけれど。それは多くの楽器ケースを持ち運ぶのは不経済だからというだけの理由でね(笑)。〔ナンシーもハハハと笑っている〕でもブズーキにカポを付けると高い音になってマンドリンみたいな音になるんだよ。
Q)ところで、あなたは昨日友達の家での事故でブズーキを壊してしまったと言われてましたね...
J)その直後にまたギター形のイングリッシュ・ブズーキを1本買ったんだ。僕はスペアを含めて3本のブズーキを持っているよ。オーストラリアには10年前に買った古いのが置いてある。改めて説明すると、僕が使っているのはアンディ・アーバインがデザインしたギター形のブズーキで、8本のストリングスを持っているがボディーはギターの形をしているというものだ。10年来この楽器を使用しているよ。
6.過去のアルバム毎の思い出
Q)それでは、あなた達のアルバムのそれぞれについての特別の思い出を伺いたいのですが..
J)オーケー
N)ハハハ...
J)〔マイクを手にしてアナウンサー口調で〕それでは特別な思い出です。まずこの『スタリー・ゲイジー・パイ』(THE MUSI C PLANT MPFR001/英FELLSIDE FECD127) から始めましょう。これは1997年にデュオで演奏した最初のアルバムで、僕にとっての特別な思い出は始めてナンシーと一緒にレコーディング・スタジオに入った興奮と、それから非常に短い時間、5日間でレコーディングしたということです...。
Q)5日間ですって?
J)いえ、実際の録音はもっと短い時間で3日くらいだったかも。それでとても自然体のもので〔傍らでナンシーが「正直なものよ」と言う〕、オーバー・ダビングも殆ど無く、非常にライヴ的なサウンドです。また最初でしたからとても新鮮な感じでした。最初の日のサウンドとは信じられないくらい良い。この最初の時の様にはもう演奏出来ないでしょうね。〔ナンシーに〕君はどうだった?
N)ええ、その通りよ。
J)では次の..
N)次のアルバムは私の母のサンドラを加えた『SCALENE 』 (THE MUSIC PLANT / MPFRO10/英FELLSIDE FECD137,'99) ですけれど、これもまたとてもライヴ的なものです。私達はまるでコンサートみたいな感じで演奏しました。それとまたとても短い時間で作られたもので、とても新鮮で、また正直なものです。
J)僕にとっての特別な思い出と言えば、サンドラと一緒に仕事した事は非常にエキサイデングだった。彼女はとてもダイナミックなミュージシャンだからね。このセッションやリハーサルはとても楽しかったよ。更にこのジャケット写真を撮る時も楽しかった(笑)。ただ僕が付けているスカーフのせいでドクター・フー〔英国のSF−TV番組の主人公で異星人の博士〕みたいに見える事を除けばね(笑)。
N)ハハハ...ああ、そう言えば、このアルバムは私の書いた曲("Port 'n'Brandy)が始めて収録されたものなのよ。
J)それとまたこのアルバムに収録した"Hannah May's"は僕の書いた曲だけれど、後になって他の人々によっても録音された曲なので、この曲からもこのアルバムの事を思い出すね。
N)そして『スティーリー・ウォーター』(MPFR011/FECD145,'99) ですけれど、この頃までには私達はレコード会社の人々と良く知り合うようになっていて、良い関係を築いていました。つまりフェルサイドのポール&リンダ・アダムスとね。だから再び彼らと一緒に仕事が出来てとても心地よい思いをしました。
Q)このアルバムの録音にはもう少し長い時間を費やしたのでしょうか?
J)ちょっと長くね。多分5、6日ぐらいかな...あっ、これでもやはり長くはないね(笑)。
N)ハハハ、でも私達はそれが良いのよ。
J)僕たちにとってこのアルバムの特別な点の一つは、イーリアン・パイプ奏者のアラン・バートンと最初に録音したという事だ。
N)それとバウロン奏者のスティーヴ・ハントともね。
J)そう、でも特別なのはやはりアランと録音したということで、彼は"Songbirds" で素敵なソロを取っているんだ。それと僕にとってのこのアルバムの特別な点は"Anderson's Coast"が入っている事で、この歌は僕は心から楽しんで歌い始めた最初の歌なんだ。これは僕にとって驚くべき歌なんだ。
〔注:この歌はオーストラリアのシンガー、ジョン・ワーナーの作。このインタビュー以外の雑談中にジェームスは、「最初の頃のアルバムでは自分は全くイングリッシュ風の歌い方をしていたのだが、この辺りから自分にとってより自然なオーストラリア風の歌い方(発声、発音)をするようになった」といった趣旨の事を教えてく
れた。〕
N)そしてこのアルバムを作った直後に私達はBBC2のフォーク・アワードを受賞したわ。つまりこのアルバムは受賞作ね。
J)これは、1年後にビル(・ジョーンズ)が受賞したのと同じ賞だよ。僕たちは、ほぼ同時期の受賞ということだね。
N)そして、最新作『ビトウィーン・ザ・ダーク・アンド・ライト』( THE MUSIC PLANT / RUCD096/英FELLSIDE FECD167,'02) は私のフェイバリットだわ(笑)。
J)僕にとってもフェイバリットだ。僕は、前作から3年を経過したこれはより成熟したアルバムだと思う。以前の作品よりも歌やサウンドが良くなっていると思うんだ。より成熟しているということだ。
Q)つまり、よりパワフルになっていると..
J、N)その通り。
J)それとこのアルバムには新しいブズーキを使ったので、僕としては違いが分かるんだけれど、より良いサウンドになっていると思うんだ。それとマティリアルについても...自作曲もより多く入っているしね。ちょっとアルバムを見せて..
N、J)メロディオンのティム・バン・エイケンや、再びアラン・バートン、それからサンドラも参加している...
J)そしてまたこのアルバムはラジオ局から真に注目された最初のアルバムでもあるんだ。特にこの"Dance To Your Daddy" とかね。
Q)私はその曲は最初にナンシー&イライザのオムニバス・アルバム"On Reflection"(英MRS CASEY MCRCD1003,'02)で聞きました。
N)ああ、それはライヴ録音のテイクで、シドニーで録ったものなのよ。
Q)パワフルな演奏と歌がショキングでした。これはもともと子供の歌ですよね。
N)そう、ララバイね。
Q)昨夜のステージでは、あなたは「これは漁業を讃える歌」と紹介していましたね。つまり、これは漁業の地方文化に根ざしたララバイという訳なのですね。
N)その通りよ。それと、他の多くの子供の歌の様に、これはとても悲しい歌なの。つまり、この子の父親は遠くにいて、お父さんが帰ってきたら良いね、と歌っているのよ。
Q)ところでこのアルバムの"THE DROVER'S BOY"も印象深かった歌のひとつですが、この歌を基にした映画も作られたとか...
〔注:この歌はオーストラリアのシンガー・ソングライター、テッド・イーガンの作品。内容は、白人の家畜商人(DROVER)がアボリジニの女性を拉致してきて少年の姿に男装させて自分仕事の助手兼内縁の妻にしてしまうが、不慮の事故で彼女は死亡し家畜商人は一人嘆き悲しむ、という物語である。この物語そのものは架空の話だが、現実に開拓時代には同様の事がしばしば行われていたという。ジェームスは「これはオーストラリアがカーペットの下に隠していた歴史なんだ」といった説明をステージでしていた。映画云々はデッド・イーガンのサイトに載っていた情報である。〕
J)いや、実は予算不足で中断されてしまったと聞いているよ。
Q)歌の中に出てくる「家畜商人達の栄誉の殿堂」(DROVER'S HALL OF FAME) というのは?
J)現実にはそんなものは存在しないのだけれど、カントリー・ウェスタンにホール・オブ・フェイムがあるみたいに、家畜商人達が栄誉の殿堂を作ったら、といった意味なんだ。...ところで作者のテッド・イーガンはこの歌をどんな風に歌っているのか知っているかい? 箱みたいなものを叩きながらこうやって歌うんだ。〔バウロンみたいな手つきをしながら、ひょうひょうとした感じの歌声を真似る〕様子はユーモラスなのだけれど歌の内容はそれとは正反対にシリアスなんだ。
Q)なるほど、興味深いですね。
さて、お二人にとってのフェイバリット作も伺いたかったのですが、先に言われている通りこの最新盤ですね。
N)ええ、私はそうよ。
J)僕もね。
7.今後の活動とフォーク界の状況
Q)それでは、将来の活動計画について伺いたいのですが。以前も『スティーリー・ウォーター』のライナー・ノートを書く時にジェームスにメールで同様の質問した事がありますけれど、将来バンドを組む事については?
J)僕たちは何度もそれについて考えたんだ。二人ではバンドの様な多彩なサウンドを作る訳にはいかないからね。...でも将来もメインの仕事は常にデュオだろうね。一人、二人の他の誰かと一緒に働く事は特別な事だ。つまりバンドの形では、よりリハーサルが必要になるし、それと僕たちは二人の旅が多いからバンドに身を任せるのは難しいと思う。二人はいつもバンドから離れている様になってしまうね。でも、より多くの人々と共演はしたいと思うよ。例えば、フェーガンスとか妹のケイトとかアラン・バートンとか...それからティム・バン・エイケンとはトリオで何度も演奏しているし、来年はオーストラリアで一緒にツアーする予定もあるんだ。
N)それから私の母ともね。私達はもう一人を加えたトリオの形が好きなの。より大きなサウンドになるし...
Q)誤解されると困るのですけれど、私はあなた達ふたりだけのデュオも大好きなのですが、一方であなた達が編成を拡張する事にも関心があるのです。
J)次の10年間には、他の人々ともっとコラボレーションをする事は確かだよ。実際、ここ数年間に一緒に演奏出来る沢山の良い友達も出来ているしね。
N)私は、ソロでもデュオでも小さなバンドでも大きなバンドでも好きだけれど、自分達がすぐバンドを作るとは思わないだけね。ジェームス・フェーガン・バンドとか(笑)。
J)ハハハ
Q)次の録音の計画についてはどうでしょうか?
J)まだ考えていないよ。この最新作は以前のアルバムから3年が経過している。この最新作を僕たちが大好きな理由は、これに入っている全ての曲は過去2年間にコンサートでやってきたものばかりだからなんだ。そういう訳で次は来年か再来年かいつ作るか今はまだわからない。でも多分同様のアイデアに基づくアルバムでもっとオリジナル曲が入ったものになるのじゃないかな。それとライヴ・アルバムにするという考えもあるね。僕達はまだライヴ・アルバムを作っていないし..
Q)それは是非!!
J)僕たちにとってライヴ・ショーは最も重要なものなのだし、確かにライヴ盤にすべきかも知れないね。
Q)ところで最新作ではスペインのアストゥーリアの曲("Xuan de Mieres")をやっていますけれど、こうした他の地域の音楽を演奏する事についてはどうでしょうか?
J)僕たちが特定の他の文化に集中する事はないだろうね。僕たちはイングランドとオーストラリアに結びついているのだから。僕としては次のアルバムではオーストラリアのマティリアルをもう少し拡張するとは思うけれど。
N)私もそうしたいと思うわ。
Q)それと、私は"The False Young Man" の様な米国のフォーク・ソングのあなた流の解釈も大好きなのですが...
N)私は米国の古い歌手のアルメダ・リトルとかいった人々とか、それからペギー・シーガーなんかを聞きながら育ったの。私は彼女達の中に英国の伝統の継承を感じるの。それから米国へ行って英国の文化が確かにある事も分かったわ。移民のね。
Q)私の考えでは、イングランドの歌手が米国のマティリアルを歌うという事は、それ自体が重要な伝統だと思うのですが..あなたのお母さんやあなた自身もそうですけれど、英国の歌手が米国の歌を歌うやり方は、米国の歌手が米国の歌を歌うのはまた一寸違ったものですよね。
N)そう、(英国と米国は)互いにクロスオーバーしているわ。
J)僕は、米国の歌がとても面白いのは、しばしば古い歌が良く残っているからだと思う。アパラチュアの歌の様にね。英国の人々がそれを好きなのは、彼らがイングリッシュの歌のイングリッシュ・バージョンを探してきて米国のバージョンに出会うと新しいものに出会った様に思うからだろうね。
N)「バーバラ・アレン」みたいなイングランドやアイルランドで良く知られた古い歌について、米国のマウンテン・シンガーの歌を聞くと、全く異なるもので、同じ曲の沢山のバージョンが存在する事が分かるわ。
Q)ペギー・シーガーとイワン・マッコールによる有名なバラッドのアメリカン・バージョンとブリティッシュ・バージョンを集めたLPシリーズの事を思い出します。お二人には将来、是非この続編を作って欲しいですね..
〔注:これは60年代末に英ARGOからリリースされた『THE LONG HARVEST』というLP10枚のシリーズで、代表的な英語圏のバラッドの英国バージョンと米国バージョンをペギー(米国人)とイワン(英国人)の二人の歌で対比させながら集大成したもの。今にして思うとジェームスとナンシーにはこの続編というより、有名バラッドの英国バージョンとオーストラリアのバージョンを集めるような企画を希望した方が適切だっただろう。〕
N、J)ハハハ、了解。
Q)最後の質問ですが、イングランドとオーストラリアのフォーク・ミュージックの状況について伺いたいのですが。かなり前の事だったと思いますが、一時は英国ではフォーク・クラブへ行く聴衆が段々少なくなって、フォークの危機といわれた事がありました。今日の状況はどうなんでしょうか?
N)私の見解では、イングランドでは最良のフォーク・クラブは今でも健在と思うわ。実際、私達が演奏したところもとてもよく維持されていたし。
Q)聴衆の年齢については?
N)出演するアーティストによるわね。私達はラッキーだったわ。私は大学の講師をやっているので、その生徒達の様な関心を持ってくれる若いミュージシャンも沢山良く知っていましたから。確かにより年輩の中年ぐらいの聴衆も多いけれど、イングランドではそれは例えばクラシックの聴衆など他の音楽についても同様で、ポップ・ミュージックの聴衆だけが、若いティーン・エイジャーなの。
〔注:ここでナンシーが言う大学の講師とは、NEWCASTLE UNIVERCITYに英国で始めて誕生した本格的なFOLK & TRADITIONAL MUSICのコースで歌(とフィドル)の講師を勤めている事を指すのだろう。因みにここにはキャレン・トゥィードも参加していて、ナンシーは「キャレンは私のボスなの」と言っていた。〕
J)それは重要な点だ。
N)私はとても前向きに考えているわ。フォーク・クラブの雰囲気は本当に素晴らしいから私は良いフォーク・クラブが大好きなの。人々は心から音楽が好きで音楽について良く知っているし...フェスティバルも劇場もいいけれど。
Q)分かりました。恐らく80年代位には若い聴衆が殆どフォーク・クラブへ行かなくなったのだと思いますが、その後、あなた達やイライザの様な若い素晴らしいミュージシャン達が現れて、新しい波を起こした..
N)まあ多分ね。それとフォーク・ミュージシャン達の子供達が、次の世代を作ったのね(笑)。オーストラリアについてはどう?
J)オーストラリアのフォーク・クラブはそんなに多くはないんだ。でもフェスティバルはとても良いよ。フォークの聴衆は多くはないけれど質の高い聴衆だ。
N)それとワールド・ミュージックの聴衆についてもね。オーストラリアではエスニック・ミュージックはとてもポピュラーで、(そうした聴衆に)イングリッシュやアイリッシュや東欧の音楽なんがが聞かれているわ。
J)それがフォーク・ミュージックが生き延びている理由だろう。僕も将来をとても楽観しているんだ。
Q)ブッシュ・バンドの現状については?かつては沢山のブッシュ・バンドがいましたけれど。
J)今ではそんなにポピュラーではないけれど、僕にとっては音楽の始まりがブッシュ・バンドだったんだ。両親がブッシュ・バンドをやっていた事があるし、僕もブッシュ・バンドで演奏した事もある(笑)。今ではかつての様に沢山ではないけれど、今でもブッシュ・バンドは存在しているし、ブッシュ・ダンスも行われているよ。
〔注:オーストラリアではブッシュ(Bush)とは都市文化に対抗する概念である「荒野の民衆文化・伝統」を意味する言葉で、より具体的には開拓時代に荒野や農場で活動した、家畜商人や羊毛刈り、そしてネッド・ケリーを始めとした野盗達(これはオーストラリアのフォーク・ヒーローである)の世界を意味する。ブッシュ・バンドはこうした世界の(白人の)伝統歌やバラッドやダンス・ミュージックを専門に演唱するこの国独特のトラッド・グループのことで1970〜80年代に多くのグループが現れた。最も良く知られたグループはブッシュ・ワッカーズ・バンドである。〕
Q)どうも長時間、有り難うございました。
〔後記〕このインタビューは2002年11月26日の昼間、東京から名古屋へ移動する新幹線の中で行われたものである。当日夜のコンサート地に向かう慌ただしい移動時間中にナンシー&ジェームスはご覧の通り、実に積極的に興味深いエピソードや考えを次々と話してくれたのだった。二人の生の姿と発言を少しでもお伝え出来ればと願うばかりである。(ちなみに途中、富士山の見える場所に差しかかった時はインタビューを中断、同行していたビル・ジョーンズを含めた3人は子供の様にはしゃぎながら窓から写真を撮りまくっていたのだったが、ナンシー&ジェームスはそれ以外の乗車中の全ての時間を割いて質問に答えてくれたのだった。)
それにしても、気さくで仲むつまじいこの二人は何とポジティヴでインテリジェンスに溢れていた事か。それはコンサートやアルバムで聞く彼らの音楽まさにそのままの印象であった。「フォーク・ミュージックの将来を担う」という形容が彼らほど相応しいアーティストは他にいないに違いない。
(2003.1.3 白石和良)
〔本稿の文責は全面的に筆者が負うものです。なお二人の略歴等など基本情報を含んだ『ビトウィーン・ザ・ダーク・アンド・ライト』拙文ライナーが、このミュージックプラントのホームページ内に掲載されていますので、併せて参照して頂ければ幸いです。〕
このページの写真は白石さんの撮影によるものです。