| OAK TREE RECORDS 対談ページ 2
T:五十嵐 正 A:荒田 光一(敬称略) 第1回:男性シンガー/ソングライターは何故売れない? 第2回:ポール・ブレイディとアイルランドの男性シンガー/ソングライター 第3回:パブ・ロックとは何か〜スクイーズ〜途中ロビン・ヒッチコック〜その他 第4回:ロビン・ヒッチコック 第5回:ロビン・ヒッチコック〜グレン・ティルブルック来日レビュー 第6回:ブー・ヒュワディーン「ハーモノグラフ」 第7回:ロビン・ヒッチコックの来日を振り返る 第8回:ロビン・ヒッチコック&ザ・ヴィーナス・3「オーレイ!タランチュラ」 第3回:パブ・ロックとは何か〜スクイーズ〜途中ロビン・ヒッチコック〜その他 今回のテーマは、まったく定まっておりません(笑)。
MP:(荒田氏にスクイーズのCDを手渡され)あ、ありがとうございます。また今度貸してください。ほんと助かります。(と、このようにMUSIC PLANTでは、いつも先生方に貴重な資料を借りているのであった) T:あれ、何か必要なものあるの? MP:いや、実は私が買ったスクイーズのCD、アメ盤の再発で、中あけると真っ白で、クレジットも歌詞もないの。で、荒田さんにCDを借りれるよう頼んであったんです。(CDを見ながら)お! すっごい、日本盤もある〜。誰がライナー書いてんの? A:そのへんはずっと駒形四郎さんが、よく書いてたよ。 MP:(「Incomplete Glenn Tilbrook」のアメ盤を見て)こういう風になってんだ、 アメ盤は。 A:アメリカ盤はUK盤のような紙ジャケでも2枚組でもなく、有り難みがない。ボーナストラックも(今度出す)日本盤の方がいいよ。アートワークも別に普通だし。 MP:(「Difford & Tilbrook」を見て)あぁ、これは音を全部聴いたことなかったんで、助かります! T:これは(プロデューサーが)トニー・ヴィスコンティで、派手だよ、なかなか。 A:これはレコードでずいぶんと聴いたね。CDは発売当時、見本盤をもらったんだけど、CDではそれほど聴いたっていう覚えがない。 T:12inchでは当時人気のあったジョン・ロンゴのリミックスとか出てるんだよ。これってCDの方はリミックス・ヴァージョンが付いてなかったっけ? このあたりまではアナログで買ったな。「Hourglass」が入ってるアルバム・・「Babyron And On」あたりからCDだったような気がする。 MP:うわ〜、この日本盤の帯キャッチとか勉強になるなぁ! あ、この「Ridiculous」、ボーナス・トラック入ってるじゃん。すごい! A:このアルバムのブックレットのメンバー写真、グレンがこの前に来日した時に言ってたけど、レコード会社が勝手にレタッチしたってやつじゃない? 顔のしわとか目立たないようにしてあるって言ってたよね。 T:そうだったっけ。 MP:この「Ridiculous」に入っている「Daphne」って大好き! エイミー・マンのこと歌ってるんだって。 T:そんな事、本人が言ってた? MP:いや、いや、本に書いてあった。クリスがね、エイミーと「なんかあったらいいな」っていうのを願望にいれて書いたんだって。 T:ははははははは。そんな願望なら僕にもあるぜ。 MP:で、一方のグレンは、この歌がいったい何の事なのかNo ideaって言ってる(笑) A:この本は絶対におかしいよね。全然知らなかったことがたくさん書いてあってさ、翻訳版を出せば間違いなく(スクイーズの)CDもまた売れるんじゃないかと思える。XTC本(Song Stories)もかなりマニアックだったけど、こっちの方が面白かった。 MP:いつか出すんだ。がんばって自費出版で日本語版を!(と、ここで宣言しておこう) T:それじゃ、早くやろう。今日のテーマは何だったけ。 MP:「パブ・ロックとは」です。(イアン・ゴムの初来日公演が終了している予定でもあったので、このテーマを選んだのであった) T:「パブ・ロックとは?」とか言っても、今じゃもう、ウィル・バーチの決定版の本が01年に邦訳(「パブ・ロック革命 No Sleep Till Canvey Island The Great Pub Rock Revolution」) まで出てしまったからさ。 MP:なんだ、それ。知りませーーーん(←勉強不足) T:知らないの? ウィル・バーチが書いた本。NRBQを呼んだ中島君がシンコーに持ち込んで翻訳をやったんだよね。ウィル・バーチはドラマーで、パブ・ロックの代表的なバンドのひとつ、カーザル・フライヤーズってバンドにいたの。その後にレコーズを結成した。元々筆が立つというか、歌詞も書いてたんだけど、バンドの解散後はジャーナリストになってね。 A:MOJO誌とかでもよく書いてるよね。 T:そのへんで書いた事も本に入れ込んであるよ。それから、今でもあるけど、ロンドンの「ロックの名所をまわるバスツアー」のガイドをやってたこともある。ロンドンに行くと、小説や作家ゆかりの場所を回るウォーキング・ツアーとかあるでしょ。あれのロック版よ。ウィル・バーチは一時それの案内人をやったことがあるんだ。あの本が出たんで、パブ・ロックについての歴史はある程度まとまった感じはあるよな。 MP:「パブ・ロック」って定義はなんなんですか? T:そりゃあ、パブでやるロックだよ。 A:えー、これに書いてあったけど、ニック・ロウいわく「ヒッピー・アンダグラウンド・シーンを経験し、それが自分たちの趣味に合わないと気付いたかつての中堅モッズ・ミュージシャンたちが、大挙して再結成した現象」がパブ・ロックなんだと…。当事者の発言としてはなんか説得力がある。 T:音楽性においては、ルーツ・ロックだね。70年代初め、イギリスでデヴィッド・ボウイとかが派手に出てきて、グラム・ロックが盛り上がった。それに対するアンチテーゼで出てきたのがアメリカのカントリー・ロックとかブルーズとかに影響をうけたルーツ・ロックだったんだよ。で、実はパブ・ロックを始めたのはアメリカのバンドなんだよ。エッグス・オーヴァー・イージーというバンド。これについては93年にエッグス・オーヴァ・イージーのリーダー格だったキーボードのオースティン・デローンから直接話を聞いているからね。彼は近年はずっとサンフランシスコの北、マリン・カウンティのミル・ヴァレーに住んでいるんだけど、彼にインタビューしたのよ、サンフランシスコでね。彼らがA&Mと契約してロンドンにレコーディングに行ったんだよ。エッグス・オーヴァー・イージーはザ・バンドとかに影響を受けたバンドだった。当時はザ・バンドの影響たるや圧倒的だったわけだけどね。ジミ・ヘンドリクスのマネージャーだった元アニマルズのチャス・チャンドラーと契約した関係で、ロンドンにレコーディングに行くことになったんだ。ロンドンに家を借りて、あの当時だからレコーディングに時間をかけて、結構長くロンドンに居たんだよね。で、彼らの住んでいた近くに、タリー・ホウというパブがあったんだけど、当時はパブでやっている音楽っていうのは、みんなジャズだった。ところが、月曜日だけバンドが出演してなくって空いてたんだって。それで彼らがせっかくだから「俺たちが演奏しよう」って事になって、店の人間に「ギャラはビール飲ませてくれればいいから」と話をつけて毎週演奏し始めたら、すぐに人が集って満員になるようになった。そこで、それを見た他のパブも、ロック・バンドをブッキングし始めた。それがパブ・ロックの始まりと言われている。 MP:ほぉーーー。 T:それでロック・バンドをいれるパブが増えたわけだけど、場所柄、やたらうるさいハード・ロックとかそういうのができるわけではないし、さっき言ったように、グラム・ロックとかのメインストリームの音楽に対するアンチ・テーゼっていうのがあったし、今さっき荒田君が言ってたヒッピーからの流れもね。ブリンズリー・シュワルツだって、みんな一つの家で共同生活してたわけで、イギリスのヒッピーみたいな連中だから。 A:そうなんだよな、ニック・ロウもいわゆる幻覚剤をやりすぎて(笑)、ドラッグの不法所持でパクられてるし。 MP:そうなんだー。 T:それでパブ・ロックが盛んになったわけ。実際70年代前半にロンドンにいた人間に聞いたら、やっぱりその頃はすごかったって言ってたよ。 A:タリー・ホウとかホープ・アンド・アンカーとか? T:そう、ホープ・アンド・アンカーは一番有名だった。ここでのライヴ盤が出たから。ディングウォールズなんかは近年までやってたよね。 MP:(本に掲載されているパブ・リストを見て)すっごいー、店主のリストも載っている。パブ・ロックって、こういう事なんですねー。やっとわかった。この本、まず買わないとダメだな、私は。 T:そのくらいに街中のいろんなパブで、いろんなバンドが出てて、すごくいい時代だったって(友人が)言ってたなぁ。それでバンドが演奏できる場所が増えたんだよね。パンクが出てきたのは、ひとつはそういう状況があったからだよ。クラッシュのジョー・ストラマーも、その前はパブ・ロック的なバンドをやってたわけだからさ。あと、パブ・ロックとパンクをつなぐ存在というと、グレアム・パーカーになるけど。グレアム・パーカー&ザ・ルーモアはパブ・ロックの優秀な連中を集めたバンドだったからさ。 A:ピート・トーマスもチリ・ウィリ(&ザ・レッド・ホット・ペッパーズ)にいたし。コステロも最後の方にひっかかるくらいだよね。 MP:時期的には何年くらいですか? T:70年代前半の話なんだけど。 A:この手のバンドがパブでライヴするようになったのは73年頃じゃなかった? 僕はまるっきり興味なかったから、記憶にないけど。もう完璧にグラム・ロックにハマってたから(笑)。グラムの人気バンドは会場もけっこう大きなところでやってたし、アンダーグラウンドの連中とは別に、もう集客もあったし大音響でやってたんだよね。当時使ってたアンプとか、もうマーシャルの二段積み、とか(笑)。そういう感じだったんだよね。でもパブ・ロックは、やっぱり貧弱な… MP:いや〜貧乏でしょう。パブでやっているくらいだから。 A:ジェイク・リヴィエラ(スティッフの創始者)って、パブ・ロックにつながるチリ・ウィリのローディーからマネージャーになったんだけど、その前にダリル・ウェイズ・ウルフのローディーもやってたんだよね。ダリル・ウェイって、どちらかというとプログレとかクラシカル・ロック系のバンドなんだけど、さすがに立派な機材を持ってたわけ。それを自分が面倒みていたチリ・ウィリの方に内緒で貸してあげて・・・それがバレてクビになったらしいからね。 T:(本を見ながら確認して)ブリンズリー・シュワルツは69年からあるバンドだよね。70年に例のジャーナリストを大挙飛行機にのせてアメリカでのデビュー・コンサートに連れて行ったという・・・・あの有名な話があって。それが大失敗したんだよね。それで彼らのキャリアは華々しく始まるところが一気に萎んでしまったんだけど。それで71年にエッグス・オーヴァー・イージーがロンドンに来て、71、72年が始まりで、73~74年とかが、パブでのライヴが最も盛んな時期だったんじゃないのかな。グレアム・パーカーが出てきたのが75年くらいだよね。 スクイーズも最初1年くらいは近くのパブで演奏してたって言ってたけど、最初やってたのは、やっぱりカヴァーだったってね。去年グレンに話を聞いたとき言ってたけど、もちろんグレンとクリスはソングライティング・コンビとしてやり始めてたんだけど、でも最初バンド組んだ頃のライヴはカヴァー中心だった。それで、自分たちの曲を少しずつ増やしていって、2年目になって半分ほどが自分たちの曲になった時に、気が付くとカヴァーの有名な曲と自分たちの曲に返ってくる拍手が同じくらいになっていた、と。あ、これで僕らもいけるんだなと分かったって話してたけどね。 A:スクイーズで、ザ・バンドのカヴァーとかやってますよね? MP:そうなんだ? しかしパブ・ロックの代表アーティストっていうと、コステロってイメージが、私はありますけど。 T:いや、パブ・ロックというと、ブリンズリー・シュワルツだよ。コステロはその後だからさ。 MP:私はコステロに関係ある人がパブ・ロックなのかと思ってた(←この大バカ者!)。 A:初期のコステロについては、パンク路線で売り出すっていうひとつの戦略があったでしょ、ジェイク・リヴィエラの。 T:コステロは自分でも言っているんだけど、本来はさ、ザ・バンドとか、ランディ・ニューマンとかアメリカの音楽が好きな男だったわけですよ。カントリーとかね。で、彼はデビュー前にかなりの曲数の作品を既に書いてたから、1枚目のアルバムを作る時に、その曲のストックからいわゆる尖った、怒りのこもった曲を意図的に選んだのよ。パンクの時代に合うように。だから1枚目はああいうレコードなわけですよ。で、レコードを出す度に、その音楽性は実はこんなに広いんだと、少しずつ出していったわけですよ。 MP:そっかー。もうコステロ・ファミリー=パブ・ロックかと思ってましたよ。 T:パブ・ロックの代表バンドのブリンズリー・シュワルツのメイン・ソングライターがニック・ロウだったわけ。で、ニック・ロウがブリンズリー解散後にスティッフ・レコードの契約プロデューサーになって、最初のパンクのアルバムと言われているダムドのレコードとか、そういうものをプロデュースしたわけですよ。コステロはまだブリンズリーがあった時に、ニック・ロウと知り合っているのかな。確かパブかなんかで声をかけて。で、ニック・ロウがスティッフのプロデューサーになったと聞いて、コステロが自分のデモをスティッフに持っていったんだ。そしたら電話がかかってきて・・っていう事なんだよ。 MP:そっかー、しかしコステロの日本での人気はすごいですよね。いまだにホール公演できるわけですからね。クライヴ(・グレッグソン)も、スティッフからエニイ・トラブルとか出したわけですよね? T:クライヴもマンチェスターで・・・クライヴが言ってたけど、エニイ・トラブルもパンクが来る前はリトル・フィートとかスティーリー・ダンとかそういう音楽やってたんでしょ。彼らもアメリカのああいう音楽が好きだったみたい。で、パンクがやってきて影響されて・・。もっともパンクになったわけじゃなくって、以前より速くうるさく演奏するようになったんだ、って言ってたけど。 MP:クライヴを良く知っていると、あのエニイ・トラブルのファーストは違和感ありますよね。ちまたの評価は高いけど。 T:いや〜、そりゃもう時代の影響でしょう。そりゃ、あの頃はすごかったでしょ。スティッフだったわけだしさ。 MP:なんか速いんだよな。パブで演奏してるから速いのかな、とか思ってた(笑)。 T:いや、パンクだったからでしょ。アグレッシヴな感じっていうのは、あの頃はすごく大事だった。 MP:で、エニイ・トラブルも四枚目くらいになると、ずいぶん落ち着いていい感じになってますよね。 T:ソング・ライティングの巧みさ、みたいなものが・・・元々クライヴも本当はそういう人だったわけだからさ。でも、そういうソングライティングの巧さなんて、パンクの場合は二の次だからさ。アグレッシヴさとか、そういうアティチュードを前に出すのが大事だったから。そういう時期が過ぎると、本来のものに戻るってことだろ(笑)。本来の持ち味みたいなものが出てくる。 だから、パブの存在って大きかったと思うんだよね。ただ、日本ではパブ・ロックって今でも人気があって、日本人ってパブ・ロックに幻想を抱いて、今でもロンドンはそうだと思っている人が多いよね。僕が初めてロンドンに行ったのが85年なんだ。その時、最初にリチャード(・トンプスン)ととクライヴを見たのが、ハーフ・ムーンってパブなんだ。リチャードはクライヴとクリスティーン(・コリスター)を含むバンドでトッテナム・コート・ロードのドミニオン・シアターでコンサートを控えていた。ポーグスが前座でさ。で、その前日か前々日だったかに、ウォーム・アップ・ギグって事で、ハーフ・ムーンでやったんだよ。その頃はそのパブはまだルーツ・ロックぽいものを結構やってたのね。壁のポスターを見ると、けっこう良いバンドをブッキングしてたよ。 あと、これは別のバプだったと思うけど、同じ週にデイヴ・ケリー・バンドを観たんだ。60年代にジョー・アン・ケリーというイギリスの白人女性のブルース・シンガーがいてね、その弟なんだけど、マンフレッド・マンにいたポール・ジョーンズが結成して、80年代の渋いブリティッシュ・ロックが好きな人に結構人気のあった、その名もブルーズ・バンドのギタリストだった人。デイヴ・ケリーはイタリアのアパルーザという、英米の渋い人ばかり出しているっていうレーベルから、ソロ・アルバムも出していた。それで、おっ、デイヴ・ケリーがやってる!と勇んで観に行ったら、5人くらいしか客がいないんだ。なのに、僕以外にもう一人日本人がいてさ(笑)。で、演奏が終わってから、楽屋は扉1枚の向こうだからさ、楽屋を覗いて「こんにちは、日本から来ました。レコードも持ってます」みたいな(笑)。そうしたら「いや〜、最近客が来なくてさ。来月にはここに出るの止めるかもね」みたいな事言ってた。月イチとかで、そこのパブで出てたらしいんだけどね。で、そのパブの壁を見たら、スティーブ・マリオットとかウィルコ・ジョンソンが月イチで出てたんだけど、全体のパブ・ロック・ムーヴメントみたいなものは完全に下火だったね。だいたい月イチとかでやっていると、お客も「いつでも観れるわ」ってのがあるんだろうね。どんどん人が来なくなるんだよ。何か特別なことがない限りはね。 まあ、時代が85年だったからさ、83〜84年にMTV/エレクトロ・ポップ的なものが音楽界の主流になっていたし、80年代半ばにはパブ・ロックシーンはすたれてたんだよ。僕の記憶だと、その後世の中にルーツ・ロック帰りってのがちょっとあって、少し盛り返したんだけど、その後にパブ・ロックって完全になくなった。・・・というのは、アシッド・ハウス以降のクラブ・カルチャーが、どーんと出てきてしまったから。だから今のパブはDJいれるかカラオケいれるかになっちゃってるんだよな。だから本当に店主が生バンド好きってのがない限りは無理なんだよ。DJかカラオケの方が安いからね。あとはスポーツをテレビで流して、とかね。だから、そういう意味でのパブ・ロックはもうないね。だいたいDJとか入れると若い子が来るしね。ミニスカートはいた派手なお姉ちゃんとかさ、そうするとお兄ちゃんも来るから(笑)。そういう意味ではパブらしいパブでレギュラーでバンド入れているところって、たぶんタイム・アウト誌開いても、あんまりないよ。本来は若いバンドが実力つけるのに良い場ではあったんだけどね。 あと昔ながらのパブって入ったところにバー・カウンターのある部屋があって、もう一つ奥に部屋があって、そこで演奏できたりとかできたんだけど、もうそういうパブもあまりないでしょ。 A:昔は地下室の倉庫とかを改装したりして演奏のためのスペースを作ったところもあるらしいけど。 T:そういうスペースがないんだよね。今ロンドンって景気が良いだけに、地価がすごく上がっているから。だからあんまり人が来ないと、すぐ売っちゃおうかな、みたいな。 A:パブって、ほら、勝手には出来ないでしょ。ライセンスがいるよね。それを持っている人が借りて営業する、って形をとっているからさ。 MP:そうなんだ。・・ちなみに勉強がてら1つ質問。ソフト・ボーイズってどういう位置にいたんですか? T:デビューしたのが76年で、79年にレコードを出しているんだよね。パブ・ロックじゃなくって、ニュー・ウェイヴの時代だよね。彼らはケンブリッジだからね。ケンブリッジといえば、ピンク・フロイド、そしてブー・ヒュワディーン(笑) そして、ニック・ドレイク。 MP:ケンブリッジってそういうシーンがあったんですね。 T:大学もあるしね。 A:この前、ブーとエディ(・リーダー)と一緒に来ていたピーター・ジェナーは、たしかケンブリッジ出身だよね。彼はピンク・フロイドのマネージャーを一時期やってたんだよね。たしか大学の先輩/後輩っていう間柄だったような気がする。 T:まぁ、ソフト・ボーイズはニュー・ウェイブ時代に出てきたバンドの一つ。ちょっとサイケデリックな。同時代のバンドってなんだろ。 MP:でも実際、メイン・ストリームにかぶるようなシングル・ヒットがあったバンドじゃないわけですよね? A:ソフト・ボーイズはそういう記憶って全然ない! T:インディー・チャートではアルバムとか上位にランクされたと思うけどね。あとソフト・ボーイズの場合は、R.E.M.が出てきてからの再評価ってのが大きいんだよね。 MP:ブーが言ってたけど、ソフト・ボーイズはケンブリッジでは当時ものすごい影響力があったんだって。で、R.E.M.が出てきたとき「なんだソフト・ボーイズと同じじゃん」って思った、って言ってましたけどね・・・さて、この後、話題をスクイーズにしたかったんですが、スクイーズはコステロがプロデュースしたりってのがあったわけじゃないですか? T:スクイーズの1枚目のプロデューサーはジョン・ケイルだったからね。それとレコードのデザインとか、本人たちのルックスとか、イメージとか、見かけはニュー・ウェイブ・バンドだったわけですよ。やっぱりそれは時代がそうだったから、そうさせられたんだろうし。 A:途中で、ジェイク・リヴィエラがマネージャーになるんだよね。そのヘンのからみで、「East Side Story」は、コステロとニック・ロウもやっているし、デイヴ・エドモンズとかね、本当はポール・マッカートニーにプロデュースを頼む予定だったらしいんだけど。 T:ほら、この頃(デビュー前)の写真とかは髪の毛が長くって、いかにもあの頃のロック・バンドって感じだよね。 MP:可愛いですよねー、クリスとかすっごい可愛い。 A :エルトン・ジョンだって、ミック・ジャガーだって、お化粧していたグラム・ロック時代があったわけだから(笑)。そういうもんでしょ。 T:まぁ、なぁ(笑) MP:なんかこのヘンのバンドって、ほんとレコード会社の思惑と本人との葛藤ですね。 A:そうそう。 T:ポリスだってさ、最初は可愛いブロンドの3人の男の子で売り出そうとしたわけだからさ。スティングはともかく、アンディ・サマーズとスチュワート・コープランドは既にかなりのキャリアがあったのにさ。そういやさ、ロビンが「僕は最後の偉大な60年代のアーティストだ」って言ってた話をしたわけだけど、彼が名前を挙げていたのがね、「僕はコステロよりも、スクイーズよりも、XTCよりも、60年代だ」って言ってたのね。その時、そういった名前を引き合いに出すくらいだから、彼らには同時代人という意識があるのかな。あ、やっぱりその3組の名前を出すんだなって思ったよ。確かに同世代で、今でも評価が高く、今でも活動しているとなると、そのへんかな。 A:XTCは、もうないも同然ですよ。 T:ははははははは。この中ではサイケの影響はロビンの次にあるけどな。まぁ、XTCは、アンディ・パートリッジは、近年はもう世捨て人状態だからな。でも、最初の2、3枚とか、世の中の最先端走ってたからねえ。あの頃はね。そういうのに比べると、ソフト・ボーイズは地味だったよね。一部の人に非常に人気がある、というだけで。 A:XTCは、ビデオ集とか出せるくらい人気あったけど、ソフト・ボーイズはそうなる前に解散しちゃったし。XTCはレーベルがヴァージンだったってのもあるけどね。ソフト・ボーイズはレーダーどまり。パブ・ロックとのつながりでいうと、ホープ・アンド・アンカーでライヴをやっていたってことくらい? MP:まぁ、でもバンドも終わってみて評価がわかるってのは、ありますね。時代はそれぞれあるにせよ・・しかし初期のスクイーズってパブ・ロックっていう・・・ T:いや、パブ・ロックっていうイメージはなかったよ。ニュー・ウェイヴだね。 A:完璧にニュー・ウェイヴだったよ。 T:今、聞くとビートルズの流れとか感じられるけどさ。ポップな感じとか。 MP:日本では、「East Side Story」が、一番評価高いですよね? T:あれは、やっぱり「Tempted」が入っているってことと、コステロがプロデュースしているのが大きいんじゃないかな。だいたいスクイーズの場合、日本では1枚目から飛びついて聴いてた人って非常に少ないんじゃない? A:日本盤は、「Cool For Cats」が一番最初だったんだよね。 T:「East Side Story」あたりから、日本でちゃんと紹介されたという感じかな。 A:コステロの力は、やっぱり大きかったと思う。「Sweets From A Stranger」って「甘い誘惑」ってタイトルがついてたんだよな。 T:そうそう「甘い誘惑」。 MP:なんでこのアルバムは、こんなに人気あるのかな、って思うんですけど。 A:ヒット・シングルが多かったってのは、あると思うよ。シングルの切り方とか、あの時代特有のもんだと思うけど。 T:やっぱりパンク、ニュー・ウェイヴのやったこととしてさ、シングル盤文化をもう一度盛り上げたんだよ。レコードのデザインも良かったし。ムーヴメント全体の話ね。パンク、ニュー・ウェイブになって、新しいデザインの感覚を持ち込んだり、形態自体を工夫して、凝ったパッケージを作るとか。インディ・レーベル主体のムーヴメントだったから、シングルだけのアーティストもいたわけだし。 A:シングルだけで終わっちゃうアーティストもいるしね。 T:それからラフ・トレイドのシングル・クラブだっけ、とか・・。シングルに対する意識が再び高まったのよ。60年代後半からロックはアルバム文化になって、アメリカとかは完全にアルバム主体で、もう既にシングルはラジオでの宣伝用でしかなかったわけじゃない? ラジオでかけてもらうためだけにシングル作る、みたいなさ。でもイギリスのパンクってのが、再びシングルを面白くしたんだ。 MP:若い子が買いやすい、とかいうのもあったのかなぁ。どうなんだろ。 T:コステロとかもアルバムから、たくさん(シングルを)切ったじゃん? 12inchとか出てきて、B面が違うとか、楽しみも増えたし。あと、実はシングルの種類をたくさん出すと、それを集計した枚数がヒット・チャートに反映するということがあったんだ。カップリングを変えて、いろいろ種類を出して、チャートの上位に上げようとしてたのよ。それはある時点でチャートを作る側が気づいて、これはまずいだろうってことで、1つの曲に対して何種類までしか集計しない、とか制限を加えたんだけどね。そういうチャート上での仕掛けとかもあったわけよ。 A:スティッフのシングルはみんなデザインも良かったしなー。ロゴもなんかいいしね。 T:あと、イギリスではアート・スクールとか出てる人間とかたくさんいても、あの頃のイギリスって不景気で良い仕事に就けなかった。それまでは大手の雑誌メディアとか大手の広告代理店とかでしか自分のグラフィックの才能を生かす場所がなかったからね。それがレコードのインディ・レーベルとか、そういう場所で新しい感性を発揮することができるようになったわけだよ。 MP:うーん、やっぱり文化ですね。全体の。話をスクイーズに持っていきたかったんですが、まとまりませんねー。 T:まぁ、まとめなくてもいいんじゃないか? MP:ま、いいか。でもこの前の対談も私、起こしてて気付いたんですが、最後の方、集中力がなくなってきてるの。「もう焼肉行こうよー」とか言っているし(笑) A:五十嵐さんってスクイーズはどこから聞きはじめたんですか? T:そんなに早くないよ。なんだったかな。アルファで日本盤が出始めたころくらい。 MP:荒田さんは? A:俺は「East Side Story」。これが一番最初に買ったアルバム。 T:当時の僕はアメリカの音楽がメインだったからね。イギリスの音楽にもリチャード(・トンプスン)とか大好きなものはいろいろあったけどね。とにかくグレアム・パーカーが凄く好きだったから、それでそのへんを買い出したんだよ。コステロはもちろんデビューした時から買ったけど。それで、そのうちスクイーズも買うようになったって感じかな。 A:あとルーモアが好きだった! これ(Frogs, Sprouts, Clogs And Krauts)がめちゃくちゃ好きだったんですよ。 T:うんうん、これは良いね。僕も好きだった。 A:これって、さっき言ったルーツ系のパブ・ロックとは、ちょっと違うじゃないですか? T:キーボードのボブ・アンドリューズの感性が出てるんだよな。曲の展開とか。 A:で、グラハム・パーカーの来日公演とか見に行って。 T:どこで見た? 僕は大阪で。 A:東京で。 T:僕は金沢で83年くらいから輸入盤店をしていたでしょ。自分で買う買わないは別にして、そういうものを入れて積極的に売ってたから、当然聞いてはいたね。東京に移ってきた時がちょうどCD時代になる直前くらいで、スクイーズは「Cosi Fan Tutti Frutti」くらいだったんじゃないかな。 A:(パブ・ロック本を見ながら)ドクター・フィールグッドは好きな人多いよね。僕はあんまりハマらなかったけど。 T:「Cosi Fan〜」が出たのが85か86年だろ? あれはローリー・レイサムがプロデュースしてたんだっけ。 MP:そうです! 私の好きなポール・ヤングをプロデュースした! T:だからか。「Cosi Fan〜」もフレットレス・ベースがブーンブン言ってないか? A:あれは、やっぱり80年代のあのヘンの音なんですよ、作りが。 MP:あれ、私はあんまり好きなアルバムじゃない。 A:グレンも、好きじゃないみたいだね。 MP:「Difford & Tilbrook」も、同じ意味で好きじゃないみたいですね。 A:あれは、もうトニー・ヴィスコンティだから。弦アレンジからして…。 T:荒田君はトニー・ヴィスコンティ、好きだよね。 A :そりゃー、一応T.レックスやボウイからの付き合いってことで(笑)。 MP:私はね、この「Babylon And On」が一番好き!・・ダメですか? あと「Frank」もすごい好き。今は「Ridiculous」に夢中。 T:僕も「Babylon And On」はよく聞いたよ。この頃にラジオの仕事を始めたので、番組でよく「Footprints」をかけたな。夏が終わる時期に去りゆく夏の曲を集めてかけるのが好きだったんだ。しかし、スクイーズは時代にこび過ぎることなくポップなメロディ路線を活かしながら、良い作品を作ってきたよなあ。 A:実際、このアルバム(「Babylon And On」)が一番好きっていう人、沢山いるよね。 T:好きなアルバムのベスト3に入るよねぇ。 MP:あ、じゃあ、それぞれ好きなアルバムベスト3をあげてもらいましょう。 T:難しいなぁ! 初期の方はずっと良いよね。中期以降はやっぱり「Babylon And On」と、それから「Some Fantastic Place」かなぁ。 A:確かに「Some Fantastic Place」はいいよね。92年か? 93年。 T:90年代のアルバムっていったら、やっぱり「Some Fantastic Place」でしょう。 A:まぁ、もっとも90年代のってライブやベストをのぞくと、3枚だけですけどね。 T:80年代の後半は「Babylon And On」でしょう。前半は「East Side Story」かなぁ。でも「Cool For Cats」から「Sweets From A Stranger」までは全部良いでしょう。 MP:しかしこういうのも失礼ですけど、皆さん、よく知ってらっしゃる・・ってのも失礼ですけど、ほんと・・ T:いや、違う。僕もちょっと遅れてきたファンだから。初期の方は、80年代半ばに出たベスト盤「SINGLES 45's And Under」。これをよく聴いたの。これは、ほらヒット曲全部入っているから。レコード屋時代にホントに良く売ったよ!(笑) A:ちょっとヘンなイラストのジャケットのやつね。うちにもLPがある。 MP:こういうのに入っている曲は今でもライヴでやりますもんね。 T:そういやさ、グレンの対訳やっててさ。これはさすがに書かなくても皆わかるよなぁ。ほら「G.S.O.H.Essential」の最後の歌詞「Take Me I'm Yours」って。あの引用。 A:あ〜、はいはい。 T:曲自体が、ほら、これからソロでやっていく時に、僕はやっていけるだろうのか?っていう歌でしょ。最後に初期の有名曲のタイトルを入れるなんて引用しているのが憎いよね。 MP:いや〜今回、ほんと歌詞対訳してもらってよかったな、と思って。感動しちゃいましたよ、ほんと。グレンの歌詞もなかなかいいですよね。 T:シングルだけで見ていくと・・今でも「Good Bye Girl」は必ず歌うよね。「Another Nail In My Heart」もやるよね。「Labelled With Love」は会場が大合唱になるし。実はロンドンでスクイーズ見たことあるんだよ。見たことある? A:ないですねー。 MP:どこで見たんですか? T:いつだったかなぁ。塚田と見に行ったの。近年できた東の・・。 MP:あぁ、Gabot Hallかな。ウォーター・フロントみたいな感じで、高いビルがいっぱい建っている? T:そうそう。4、5年前、もっと前かなぁ。日本に来た後だったんだよ。完全にソールド・アウトだったんだけど、会場の外で取材やっていたグレンをつかまえて、入れてもらったんだよな。 A:松岡君(Bonnie PinkやAngela Akiのアレンジャー/ギタリスト)がニューヨークでちょうど公演中だったスクイーズを見た、って言ってたな。 T:おぉ、グレン公認の東京スクイーズの一員か!(笑) A:それもスザンヌに言って、入れてもらえたって言ってたような気がする。 T:(ディスコグラフィーを見ながら)あ、「No Place Like Home」は「Cosi Fan〜」に入っているのか。すっかり忘れているなあ。 MP:あの曲かっこいいですよねー。そういや、グレンこの前のスコットランドで「The Truth」歌ってたなぁ。 A:「The Truth」なんて、今でもやってんだ。(「The Truth」が入っている)「Play」はすごくお金がかかってたんじゃないかなぁ。アメリカ録音で。 T:あぁ、そうだね、アメリカ録音だったよね、めずらしく。数年前にマジソン・スクェア・ガーデンだったのに、空っぽのスタジアムを前に演奏してたって、本に書いてあったよね。アメリカはシングル・ヒットがないとコンサートの客足に露骨に影響するからね。 MP:しかし、私もよく勉強したと思いません? ちょっと前まではこういう話題には入れませんでしたよ。なにせ全然知らなかったんだから。でもこれからロビン・ヒッチコックやることになったから、ロビンも勉強しなくっちゃ。スクイーズはポップだからいいけど。ロビンは大変かも。難しいだろうし。スクイーズは、あと本が面白かったからなぁ。 A:ははははは。そうね、実際、スクイーズはポップ・バンドって言っていいと思うよね。ロビンは違うからね。ロビン・ヒッチコックってバイオ本。なにかありましたっけ? T:ロビン本。たしかイタリアで出てるんじゃなかったかなぁ。イタリアで出てるくらいだから、カルト人気がすごいよねー。今年のSouth by South Westだけど、水木金と3日いて・・・ロビンは何回歌ったかなぁ。7、8回は歌ったんじゃないか? (笑)合計で。 A:そういうファンがいる人なんだよね。 T:で、ロビンがディラン好きなのをみんな知ってるからさ、ファンがディランの「ベイスメント・テープス」のブートレグとかをCDRに焼いてロビンに持ってきてあげてんの。 MP:ささげ物ですかね(笑) T:ロビンがそんなのが4、5枚入った袋をさげてたんだけど、それをインタビューの場所に忘れてくんだ(笑)。で、しょうがないから、夜のコンサート会場まで届けてあげたら、「おぉ」とか本人喜んでたけど、忘れていったことすら忘れてんの(笑)。 MP:いいな〜、ロビン! ホント、この対談を起こすころにはロビンがすべて決まっていればいいんだけど〜。ところで、あのー(笑)、スクイーズ、もう少しネタがほしいんですけど。 T:クリスとグレン以外のメンバーについて語るとかは?(←ナイス提案!) A:ポール・キャラックは、エースにいたじゃない。ヒットした「ハウ・ロング」っていわゆるパブ・ロック的な歌だったと思うけど? T:パブ・ロックかねぇ。あれはパブ・ロックっていうか、70年代の頭にね、ソウルっぽい歌を歌う白人の歌手、フランキー・ミラーとか結構いたでしょう。あの中のひとつって感じじゃない? A:グレンのソロでも共作しているクリス・ブレイドって「Some Fantastic Place」でちょこっと歌っているけど、当時はまだ18才とかだったんだよね。グレンは、彼が15才くらいの時に会った、って言ってたのかな。15才の時から自分で曲作ってたって。 T:彼はけっきょくデイヴ・スチュワートとやった、あの1枚だけでしょ? A:それ聴いてないんだよな。日本盤出たんでしたっけ、あれ? T:僕はシングル盤も持ってるぞ。グレンもあんなに才能があるのにレコードがなかなか出ないのは、ジョン・ブライオンとクリス・ブレイドって言ってたよな。 MP:まぁレコード出すって、自分からの意志がないと、ってのはあるんじゃないですか? T:クリスの場合はRCAかどっか・・たしかBMG系だったと思うけど。で、グレンの話によると、たしか他のレコード会社とかと話はあったんだけど、結局話がまとまらない。だからやりたい事はやりたいんだと思うよ。ただレコード会社の求めるものが違う、ってことだと思うけど・・とグレンが言っていたような記憶があるな。 A:まぁ、でも今、問題が全然ないでしょう。裏方でけっこう売れっちゃてるし。 MP:それで生活できちゃうと、自分の事やる意志が弱くなりますもんね。 T:いろんな人と共作とかしてるもんなぁ。 A:自分の出版社の名前がUntouchable(グレンとの共作シングル)っていうんだ、確か。 T:クリス・ブレイド、どうよ、MUSIC PLANTでオファー出してみたら? MP:いっやー、ぜったいに無理でしょう(笑) T:ところで、これとかどうよ、April Verch。(とCDを出す) MP:あれ、この人、(デンマークの)トゥナー・フェスティヴァルに来てませんでしたっけ? あれはタッドと一緒に行った年じゃなかったっけか? T:観た? MP:いや、観てないです。 T:このCDは2003年の作品なんだけど、この前、モザイクで来たブルース(・モルスキー)がプロデュースなんだよ。で、この子、フィドラーなんだけど、歌が可愛い声してるんだよ。そのうえ、カナダだから当然ステップ・ダンスも踊る。で、ブルースと話したときに、インディのラウンダーとはいえ、プロデューサーに対して「第2のアリソン・クラウス」をねらえといったプレッシャーはあるか?と訊いたんだ。ブルースによると、ラウンダーとしてはどうやら「第2のナタリー・マクマスター」を狙っているらしいんだな(笑)。僕は観れなかったんだけど、実は今年のSouth by South Westにも来てたらしいんだよね。こういうトラディショナル系はSXSWにはあまり来ないのに、今年はカナダがトレード・ショウにも大きなブースを出してて、そこでカードとかバイオとか作って熱心にプロモーションしてたんだわ。しかし、ブルースはもう一度単独で呼びたいよねえ。 MP:彼は本当に一流のアーティストですもんね。 T:その時にApril Verch を連れて来てくれないかなー、とか。僕一人だけか、そんなこと考えるの(笑)。カナダ大使館も音楽の紹介に協力的だし、カナダもので何かやってほしいよね。
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