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ヴェーセン Väsen

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北欧伝統音楽シーンでもっともクールでかっこいいバンド

スウェーデンの伝統楽器ニッケルハルパ、ヴィオラ、そして12弦ギターが絶妙にからみあい、1つの音の生命体となってうねるように突進していく。ヴェーセンは間違いなくヨーロッパの伝統音楽シーンで、もっともカッコいいアコースティック・アンサンブルだ。

クロノス・カルテットとの共演を経て、最近ではパンチブラザーズが彼らの楽曲をカバー、スナーキー・パピーのアルバムでベッカ・スティーヴンスとも共演を果たすなど、ジャンルの垣根を越え、世界中のトップ・ミュージシャンたちがヴェーセンこそ世界一のバンドだと賞賛の声をあげる。結成28年目を迎え、ますますその演奏に円熟味が増した。

Story

80年代、ティーンエイジャーだったウーロフ(ニッケルハルパ)とミカエル(ヴィオラ)は子供のころから伝統音楽に興味を持ち、スウェーデンのウップランド地域に住む年配の演奏家に伝統音楽を学びながら、常に一緒に演奏をしていた。
89年、ウーロフは、音楽フェスティバルのセッションでローゲル(ギター)と出会う。お互いの名前と評判は知っていた二人だったが、ぜひ一緒に演奏をしてみようとウーロフがローゲルに声をかけると、ちょうどシャワーを浴びようと思っていたローゲルはいったんウーロフのオファーを退けた。しかしシャワールームに行ってみたら、たまたま満員だったため、ローゲルはセッションのテーブルに戻り、ウーロフと二人で一緒に楽器をならし始めた。初めて音をあわせたその瞬間から、二人のセッションは熱く燃え上がり、最終的には夜明けまで一緒に演奏し続けることになる。この歴史的なハプニングに居合わせた彼らの友人は「こんなに素敵な音楽がこの世の中に存在するのだったら、僕はこれをレコーディングしてレコード会社をやってみたい」と申し出た。ここにスウェーデンの伝統音楽を、その後20年近くにわたって牽引する名門レーベルDroneが設立され、記念すべきレーベル1作目として、ウーロフのファースト・アルバムが作られることになった。



翌年ニッケルハルパの全国チャンピオンになったウーロフは、ミカエルも誘いレコーディングを開始。カバー写真になる予定のニッケルハルパのクローズアップ写真を眺めていたミカエルが、このカバーの不思議な雰囲気を捉え、タイトルを「ヴェーセン」と名付けた。スウェーデン語で「ひらめき」、「スピリット」、「ノイズ」、「エッセンス」といった意味の言葉だ。この従来の概念に捕われない自由な3人の演奏を聴いた多くのフェスティバル・オーガナイザーたちは、これをバンド名だと思い込み「ヴェーセンをブッキングしたい」と言って、メンバーに電話をかけてくるようになる。当初ウーロフのファースト・アルバムのタイトルだった名前はいつの間にか、このトリオのバンド名として機能していくことになる。

3人は瞬く間に北欧各地はもちろんのこと、ヨーロッパのフェスティバル・シーンで人気の存在となっていく。94年になるとノードマンというスウェーデンではかなり知られたロック・バンドのプロジェクトにバンドとして参加。これがスウェーデン国内での知名度を一気に高め、96年、同じプロジェクトに参加していたパーカッションのアンドレ・フェラーリが加わりヴェーセンは4人組/カルテットへと変身していった。97年「ヴァルデンス・ヴェーセン」という完成度の高いアルバムを制作し、スウェーデンのグラミー賞を受賞。同年アメリカでのCDデビューが決定し、以降ヴェーセンはコンスタントにアメリカでツアーを重ねるようになる。しかしその後、アメリカの911事件が引き金となってアンドレがツアーから引退を決意。各メンバーの結婚や子育てもあって、いったん彼らの活動は終息するかに思えたが、2003年、ヴェーセンは再びトリオに戻り新作「トリオ」とともにシーンに復活。2004年、このアルバムの日本リリースとともに初の来日ツアーを実現させた。

当時はまだ北欧の伝統音楽グループが来日すること自体が珍しかったが、ケルトやその他のヨーロッパ系の伝統音楽における単純な構造のアコースティック・アンサンブルとは一線を画す、柔軟で新しいヴェーセンの演奏に、たちまち多くのリスナーが魅了されることとなった。
2005年、2度目の来日を収録した「ライヴ・イン・ジャパン」をアメリカ,ヨーロッパ,日本でリリース。2006年、日本の無印良品のBGM8のためのレコーディングに参加。2007年にはスウェーデンの植物学者カール・リネウスにちなんだ楽曲を集めた「リネウス・ヴェーセン」のロックよりで革新的なサウンドで注目を集め、アンドレを再び加えたカルテットでの来日を実現。2009年にはバンド結成20年を記念してアメリカのブルーグラス界のマエストロ、マイク・マーシャル(マンドリン)とダロル・アンガー(フィドル)などをゲストに迎えて制作された「ヴェーセン・ストリート」をリリース。そして2013年に作られた「マインドセット」、2017年の「ブリュード」に引き続き、2019年バンド結成30周年を記念して、【3の法則】Rule of 3がリリースとなった。

現在までに11枚のオリジナル・アルバム、3枚のライヴアルバムをリリースし、向うところ敵なしのヴェーセン。日本では2004年の初来日から15年、10回の来日公演を行い日本でもっとも人気のある北欧伝統音楽のグループであることは誰もが認めるところだろう。アメリカではマルチ・グラミー受賞者のクリス・シーリ率いるパンチ・ブラザーズでヴェーセンの楽曲をカバー。また最近スナーキー・パピーのプロジェクトでベッカ・スティーヴンスとも共演している。

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ウーロフ・ヨハンソン

1990年にニッケルハルパの最初の世界チャンピオンになって以来、ウーロフの伝統音楽シーンにおける影響力は計り知れない。80年に14歳でニッケルハルパを手にとり、エリック・サンドストローム、カート・タルロートという巨匠たちに師事し、84年にマスターミュージシャンの称号を与えられ、この楽器の可能性を妥協無く追求してきた。

ヴェーセン以外のソロアルバムの制作にも積極的な他、近年ではスコットランドのハープ奏者カトリオナ・マッケイとのデュオでも人気だ。クロノス・カルテットとのレコーディングや、スウェーデンを代表するジャズグループTrikon Xのキーボード奏者とのデュオ作品も制作。後進の指導にも熱心で、ツアー以外の時間のほとんどを音楽学校での教鞭に費やす。

ミカエル・マリーン

ビートルズからシェーンベルグまでミカエルに影響を与えた音楽は非常に幅広い。ヴェーセンではウーロフが奏でる主旋律に寄り添い、時には反発するようなセカンドメロディで、誰もミカエルの次の音がどこに来るのかまったく予想が出来ない。毎回驚くようなフレーズを聞かせてくれる非常にエキサイティングなプレイヤーだ。83年にナショナル・フィドラーの称号を得てからは、レナード・バーンスタインのオーケストラで演奏するという経験もしている。

古楽のグループに熱心に参加する他、奥さんのミア・マリーンとのデュオでも精力的に活動している。ストックホルムのロイヤル・アカデミーでも教鞭をとる。趣味はキノコ狩り。

ローゲル・タルロート

ローゲルの編み出したユニークなチューニング方法(A-D-A-D-A-D)で、彼の演奏は、彼が参加したどのレコーディングにおいても強烈にその存在感を表現している。おそらくスカンジナビア半島におけるレコーディングで最も名前が多くクレジットされているギタリスト。13歳からギターを演奏しフィドルもレコーディングがあるほどの腕前だ。スウェーデン製のブズーキやオクターブ・マンドリンも演奏する。

作曲家としても有名なローゲルの作品は、アイルランドの人気伝統音楽グループで何度も来日しているダーヴィッシュや、スコットランドのフィドル奏者で現在マーク・ノップラーのバンドで活躍中のジョン・マカスカーなどによってカバーされている。幅広いジャンルのアーティストの共演も多く、ノルウェーの代表的ハダンゲル・フィドル奏者のアンビョルグ・リーエンや、メゾ・ソプラノのアンネ・ゾフィー・フォン・オッター、人気女性歌手のソフィア・カールソンとのレコーディングやツアー、またアイルランドの至宝チーフタンズの公演にも参加するなど、すべてをあげようとするときりがない。

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