with 山口 洋 of 【THE MUSIC PLANT】ポール・ブレイディ公式ページ

印刷用表示 |テキストサイズ 小 |中 |大 |


(2013年のインタビューです)

さていよいよ来週にせまったポール・ブレイディ来日公演。
今回は一緒に出演してくれる山口洋さんに、アイルランドについて、ドニゴールについて、
そしてポール・ブレイディについて、THE MUSIC PLANTの野崎がお話しをうかがいました。

MP:山口さんは96年(だったかな)のドロレス・ケーンの来日時に初めてアイルランド音楽の中で拝見したのですが、あれはプランクトンさんの提案だったのでしょうか?

山口洋(以下H):そうそう、僕はあの頃アイルランドに行った最初の日本人アーティストの部類だったんすよ。松山(晋也)さんがスタジオボイスの編集長で…。あのケルト特集の時の取材旅行、俺が運転手だったんですよ。そんなのがあって恵子(プランクトン社長)が俺のライブを見に来て、ぜひドロレスとやらないか、という話になった。

MP:スタジオボイスのケルト特集、懐かしいですね〜。
確か「シャノン空港に直接行こうといったのは山口洋だった」みたいな書き出しで始まってた…

H:ドロレスと一緒に演奏できたのは俺の人生の中でも大きな事だったっすね。

MP:そのあとはドーナル・ラニーの来日の時、クールフィンのメンバーと一緒にレコーディングした、と。

H:あとアルタン、リアム、アシュレイ・マックアイザック!!!!!!…もうよく覚えてないくらいだ(笑) でも僕が一番好きだったのは、キーラかなー。

MP:キーラは確かずっと全国ツアーでついてましたもんね。

Kila - Glanfaidh Me (Live at Vicar Street 2002)


H:ホントに楽しかったなー、あいつらー、最高だったなぁ。無茶苦茶だし、無軌道だし。
うん、僕が一番好きなのはキーラみたいな、あぁいう連中。何もしゃべらなくても何でも分かるし。でもポール・ブレイディーとかヴァン・モリソンはやっぱり彼らとは違うじゃないじゃないですか?

MP:イヤな奴という事ですかね(笑) 去年の共演は突発的で、ほぼリハーサルもなしでやりましたが…

H:リハは3分くらいだったかなー。

MP:リハはあまりやらない方がいいと思った、ってポールは後から言ってましたね。

H:いやホントにすぐれてんですよ、彼は。ソング・ライターとして、パフォーマーとして、サウンド・プロデューサーとして、ギタリストとして。伝統音楽をちゃんと理解しているし。日本では90年代半ばにAORのアーティストみたいな紹介のされ方してましたけど。でも俺が感動するのは、あれだけのポジションを築いているにもかかわらず、いまだに燃えるものがあるって事。あれはすごいと思う。

MP:確かに悠々自適の生活で、なんでステージやってんのかよく分からないですよね…

H:俺もよくわかんない(笑)。この人を動かしているのは何だろう。使命感でもないし。何かしら恐怖みたいなコンプレックスみたいなものもあるし…なんかネガティブなものをポジティブに変えているんだけど……無理があるのが見ててわかるし……。それが、とても人間的だと思うんですよ。それが魅力なんだと思う。だから近くにいる人はほんとに大変だと思うけれど、やっぱりそういうネガティブなものがあるから、表現というアウトプットに入れるものがあるんだろう。それが素晴らしい。

MP:まぁ、公演が終われば、割と落ち着くんだけど。ああいうピリピリするのは一生治らないですねー。60過ぎてるけど(笑)。なんとか私も助けてあげたいっていつも思うんだけど、その領域に入れてくれないっていうか…

H:ずっと入れないと思いますよ。

MP:そこがスタッフとしては寂しいんですよね…

H:アイルランド人の素晴らしさってのは、心のドアをあけていくとどんどん開いていくところだと思うのだけど、あの人はアイリッシュなのに3枚くらいでピシッって閉まる。そして、永遠に開かない。「ここは俺の領域だから来るな」みたいな。でもその気持ちも俺は分かるっていうか… アイリッシュだけどアイリッシュぽくないっていうか。

MP:北アイルランドだからですかねー。

H:その違いは、あの国においては大きいのかな…

MP:あのジェネレーションは特にそうかも…。先日来日してたパディ・グラッキンもそうだけど、心はドニゴール。でもポールはストラバーンで北アイルランド出身。

H:ストラバーンってギリギリなんですよ。ホントにもう共和国と北のギリギリのライン。俺が最初に北アイルランドに行った当時は、あの国境線超えたとたん、すべてが変わったんだよね。雰囲気が。空気が。身体で感じるヴァイブレーションが北の方があからさまに良くない(笑)。道とかは急に綺麗になるんだけどね! 一方共和国って道はボロボロだけど、ヴァイブがすごくいいの。これがボーダーってことの意味なのかなーって思った。ホントにアメリカとメキシコの国境と同じくらい違う。きっと今は、もう、そうでもないと思うけど。

俺は一回オマーってところで… あの爆弾テロがあったところ…(現場を)見たことがある。あの2日後くらいに。あれを見たときに、この憎しみってすごいな、と思った。無差別に来たやつを吹き飛ばすわけですよ。今まで歌では聞いていたし、国境も通過したし、そういうことはあの国にいって人と話したりもしたんだけど… 実際に目撃するとねぇ…粉々に吹き飛んでてさ…

MP:最初に行ったのは何年ごろですか?

H:92年とか? そのくらい。

MP:で、ポールの音楽との出会いは? 最初に買ったアルバムは何でしょう?

H:例の「(BMGから発売になった)ロマンティック・ダンディ(Trick or Treat)」90年くらいかな。ボズ・スギャックスみたいな人かと思ってた。

(二人で爆笑)

H:なんじゃ、この人ー。でもいい曲書くじゃん、みたいな。

Nobody Knows - Paul Brady


H:俺はニューヨークから行ってたんで…ニューヨークの友達がみんなアイルランドへ行くならシャノンから行けよって(笑) だからシャノン空港から入ってウィリー・クランシー・サマー・スクールとかも体験して…

MP:いきなりディープっすね…

H:すっごいですよー あれ! 俺がたまたまニューヨークからはじめて行った時が、ウイリー・クランシーの週で、シャノンで降りたら税関の親父が「お前はミュージシャンか?」って。「そうだ」って答えたら「今すぐミルトン・マルベイへ行けっ!」って言われて(笑)車借りて急いで行ったらものすごい事になってた。(ミルトン・マルベイは普段は田舎町なのだけどウイリークランシーの週だけお祭り騒ぎになりアイルランド中から、全世界からもミュージシャンが集結する)

そこからずっと海ぞいに旅していったら、ドニゴールにたどりついたんですよ。ドニゴールに着いた時に自分がある意味探してたものが、全部そこにあったんですね。何にもない。でも何もないから全部ある…という。ホントに何もないですよ。音楽やるか、酒飲むしかない。農業すらも(土地が痩せていて)できない。グイドアとかアルタンが出て来たあたりとか、ホントに何もない。漁業もほとんど出来ないし。あそこは音楽がなかったら、何も残らないところだ…。で、そこでみんなで自分たちの州歌みたいにうたっている歌(The Homes of Donegal)が、ポール・ブレイディだった、と。

H:ドニゴールのちっちゃ〜いCD屋で、収録されているアルバム「Back to the Centre」を買ったんですよ。これは俺、歌わなきゃ、って(笑)、そんなこと滅多に思わないのだけど。で、歌ったんですよねー。今や,俺ドニゴールに行ったら、もうあれ歌わないと帰れないですもん。行くと、ちゃんとライブが仕込まれてて(笑)お前,分かってるだろー?って感じで…

あ、そうだ、俺、あそこでも歌ったんだ。アルタンのモレートさんの最初の旦那さんであるフランキー・ケネディのウインタースクール。NO PAでおじいちゃんとかおばあちゃんがいて、エリガル山の麓でやるんですけど、人に連れて行ってもらって…。お前、ここで歌えって(笑)。

あそこはドニゴールの一番のディープな場所で、フランキー・ケネディが残したかった場所だと思う。それにしても、あの歌がこんな風になるとは思わなかった。なぜだかドニゴールの連中は、みんな知ってて…

MP:そうそう、洋が録音した「The Homes of Donegal」は、今やアイルランドでもかなり有名ですよね。私がポールに頼まれてアイルランドに送ったCDだけでも、4、5枚はあると思う。1枚はラジオ関係者に行ったらしく(笑)ラジオでそれがかかってるらしい。そういやパディ・グラッキンはドニゴールはアイルランド人にとっても「異常に遠い僻地」だったって言ってたなあ。もうメンタル的に遠いって(笑)。距離的にはコークとかより全然近いはずなのに、あそこは「ものすごく遠い」。アイルランド人ですらそう思う場所なんだ、と。

H:コネマラとかとも全然違いますね。肥沃でもなんでもない。荒漠としか言いようがない。ホントに大西洋からの風で木とか曲がってはえてるし(笑)、こんなとこに住まなくていいじゃん、って思うけど、僕は好き。

MP:この曲が入っている「Back to the Centre」は、例の「Trick or Treat」のアルバムからさかのぼって聞いたということですね?

H:そうそう、あれより前のアルバムだもんね。というか、おそらく当時は「Trick or Treat」の人と、この「The Homes of Donegal」のポールが一緒だと思ってなかったかもね。それに、あの当時アイルランドはまだ半分カセットとかだったから… 俺、車で移動するからカセットだったかもしれない。もうよく覚えてないな…。なんかあそこで「The Homes of Donegal」を聞いた時をズカーンと入ってきたんですよ。たまに、こう、入る事ってあるでしょ?

あの歌は流れ者っていうか旅人の歌なんだよね。もしかしたら悪いことした奴かもしれない。それが変な話、俺は自分とすごいダブるんだよね。そしてそこ(ドニゴール)にすっごい受け入れられる、っていう…。こんなのあり得ないだろう、と思った。そして、ポール・ブレイディが歌っているものが、他のどのヴァージョンよりも一番心象的にぐっとくるものがあった。きっとポールにもそういう「よそ者意識」があるんだろうな、と思う。アイルランドの中でも彼はどっかRoverって意味じゃないんだけど…居場所の無さっていうのを、あの歌に込めているような感じがして、それが俺にはぐっと来た。

MP:不思議な歌だね、ホントに。あの歌って、トラッドみたいに聴こえるけど、もともとは戦後のポップスだったみたいですね。なんかポールのお父さんの世代のヒット曲みたいな事言ってたね。

H:…って、ポールは言ってましたね…。オリジナル、聞いたことあるんですけど、だっさい歌だった! 全然あんないい歌じゃないですよ(笑) で、ポールのヴァージョンはライヴのとき、最後の方で必ずドニゴールの地名を言うでしょ。この前そういえばどっかでロリー・ギャラハーの名前も出してたなぁ。ロリー・ギャラハーってドニゴールの人なのかなぁ。

MP:そうかも? あれ…でもコークだと思うけど。(後で調べたら、ドニゴール州バリーシャノン生まれ、コーク育ちでした) そう、そう、地名を次々と叫ぶのがいいよね。あれって車運転しながら移動する人のイメージかな、と思った。この町を超えると次はどこの町…みたいな。

H:ドニゴール行ったことあります?

MP:電車でしか行ってないっすねぇ。いやドニゴール・タウンはいったかも… あとレターケニーとか? 私あんまり田舎に行かないんだよねー。コネマラだってこの前はじめて行ったくらいで。

H:レターケニーの先がすごいんですよ! あそこからもっと行くと何もなくなる。コネマラの、あの肥沃な感じをすべてうばいさった感じ。あの、いわゆるパッケージになってるアイルランドのイメージ……緑の、あの可愛い感じをすべてうばい取った感じ。で、曇天でドヨ〜ンとしてて…っていう。あてもなく汚い爺ちゃんとかが歩いてて… ホントすっばらしいですよ! あれはねぇ、一般的なアイルランドのイメージと全然違う。そうなんだ… ストラバーンの人なんだ…

MP:ポールはお母さんが北アイルランド、お父さんがドニゴールの人だったらしい。で、二人とも教員免許を持っていて、二人とも働くためにボーダーの町、ストラバーンに住んだみたい。

H:うわ、両親とも先生か… 実は俺もそうですよ! うわ〜共通してるもの感じるわ…。あぁ、なんか分かるなぁ。先生の息子か!! あの人、なんかぬぐえない育ちの良さはあるよね!

MP:そう、そう、いいおウチの子なんだよね。

H:でもミュージシャンなんてやってんの不良じゃないっすか。デビュー仕立ての眼鏡かけた感じとか、ものすごい違和感ある。そういう葛藤もあったのかな… 僕もロック界でインテリって言っていじめられてるんですけど(笑)しょうがないじゃないですか。自分が育った環境って。なんかこう悪くなりきれないんだよね。そういうの親近感感じるなぁ…! 

MP:ポールも一歩間違ってたら学校の先生になってた可能性もあったよね。大学に行くのにダブリンに出て来て、やっと伝統音楽と出会ったみたい。

H:そうかぁ。伝統音楽への向き合い方も、他のミュージシャンと違うもんなぁ。

MP:松山晋也さんがうまい事言っててね、「伝統音楽もコンテンポラリーも、すべてポールによるソウル・ミュージックだ」って。本人も気に入ってたけどね(笑)
あとポールがインタビューで答えてたけど、伝統音楽は自分の中にはない、って言ってた。どこか別の場所に存在しているもので、そこに行って取ってくるもんだ、って。

H:なるほどね。その距離感がいいんだろうな。しかし野崎さんの立場になって考えると、こういう分かりにくいけど、素晴らしい人をプロモートするの大変だろうーなーって(笑)
今日ラジオに出てても思ったんだけど、あの音楽さえ聞いてくれればなぁ! うーん。DJのくにまるさんも面白くって、曲がかかっている間もいろんなこと話したんだけど、面白い事言ってたよ。「クリストファークロスに似てるね」とかさ。

MP:面白い! 高音だからかな?

H:イントロが「初期のイーグルス」ってのは、番組中にも言ってたと思うけど。そういう捉え方がいいじゃないですか? ポール・ブレイディを聞いて、クリストファー・クロスとか俺たちには出ない感想だよね。

MP:うんうん、自分の中の何かを反映して聞いてくれてるんだよね。

H:だから聞いてくれさえすれば、いいと思う。聞いてくれたらきっとコンサートに来てくれると思うんだよなぁ! いい曲だしなぁ。単純に聞く機会を増やす、ってありだよね。まずはねー。彼、この前送ってもらった若い奴とジャムってる映像とかすごく良かった。音楽の一番大事なところを若い奴にも伝えてるし、若い奴からももらっているし。こう…循環している感じ。

Paul Brady - Marriage made in Hollywood (Kinine Sessions)


MP:あれ、東京でもやりたかったんだけどなぁ! 若いミュージシャンとセッション。(マネージャーにオファーしてNGにされた!)まだ諦めてないけどね。

H:あれは素晴らしかった。だから野崎さんも俺もそうだけど、諦めずに続けた人間同士が出会うように出来ていて、たまたま出て来たものを人々は聞いてつながってきたんですよ。だから情熱ですよね。彼にはそれがある。

MP:まったく。すごいあるよね、情熱。

H:うん、並みの人間の10倍くらい情熱ある。ステージでのあのパワーはすごい。横で演奏していると、すごく感じるし… 彼が何を求めているのか、身体から出てるから分かる。じゃあ、こっちはこう行っておこう、みたいな。そういうのが言葉ではなく、指し示してくれる人だから、幸せですよ、一緒にやってて。たぶん何も考えなくていいところに、二人で行っちゃえる。思惑とかじゃなくてね。それが音楽の力なんだろうけど… 普通の人はこうプロットがあって……それがないと出来ないし、彼はそれは肉体的な事もできるし、すごく精神的に考えてやってる部分もあるし、最終的には肉体で精神を突破しているところまでライブを見ていると絶対に行くので、それはすごいですよ。もしかしたらヴァン・モリソンより打率は高いかも。

MP:そう!! ヴァン・モリソンは打率低いよね!!

H:打率低いよ、もうー! 彼もほんとに奇跡を起こせる人なんだけど、ポールの方が打率は高いっすね。肉体で精神を突破して行く感じ… 自分のコンプレックスとか。すべて。それは俺が見てて、希望なんですよね。力をもらう。どんなに辛い事があっても最終的には自分の情熱で… ま、終わったあとぐったりだろうけど…

MP:もう高齢ですからね。

H:それが彼から受け取る、歪んだメッセージかなぁ!!(笑) 帰り道に考えるんですよ。あの人を突き動かしているものはなんなんだろう、って。それはやっぱり歪んでいる事もあって……でも人間ってだからいいじゃないですか。だって恵まれた感情しか持ってなければ歌う理由がないもん。

その歪みみたいなものを、なんとか… こうねじれているものをぴゅっと戻そうとする力。それがすごく俺は魅力なんだなぁ…

すごいコンテンポラリーをやらされてたのか、やってたのか分からないけど、ちょっと違和感あったね。邦題が「ロマンティック・ダンディ」じゃ、さぁ! そのあとの(低予算で作られた)「Spirits Colliding」の方がよっぽど素晴らしい。あれは素晴らしいアルバムなんですよ。すごいシニカルだし。あれが一番の落ちどころだったのかなぁ。やはり、やりたくもない事をやらされて前のアルバム作って、で、俺はこれがやりたい!って…

MP:そういや何かのインタビューで読んだんだけど、「Spirits Colliding」の前だったかん、後だったかな、もう辞めちゃおうと思ってた時期があったんだって。ロンドンのマネジメントとも手を切ってさ… でもどういう心境なんだろ。ポールなんてさ、いろんな曲いっぱい書いてお金はいっぱいあるわけだから…引退してホリディ取ってりゃいいのにね… 日本なんか、よく来るよ。ちっちゃい会場なのにさぁ。

I want you to want me - Paul Brady


H:ポールは「流れる」人なんですよ。たぶん。「流される」んじゃなくて。ポールもそうだけどお父さんとお母さんの職業って流れないじゃないですか。そこからやっぱり伝統音楽と出会って、自分のコンプレッックスとかもあって…。「流れる」ってことを能動的に意識してやっているんだと思う。じゃなきゃ、日本に来ないと思う! だって来る理由が見つからないもん!

MP:いや、まったくホント! 私も時々「このくそ爺い!」って思うんだけど、来てくれているだけで、すごい譲歩してくれてんだと思う。

H:だって「暗証番号バヒーン(ポールの大邸宅のゲイトの事を言っている)」みたいな家に住んでんのに、自分でギターかかえてマネージャーもつけないで、ブズーキ貸して、とか言いながら来てくれるんだから! 

MP:確かにもう引退してカリブでパラグライダーやってりゃいいんだから!(笑)

H:うん、でも、振り幅としては、やっぱそれも「流れている」っていう事なんじゃないすか。で、「能動的な流れ者としては、次の景色が見たい」んですよ。日本ってオリエンタルな感じは、彼にとってはすごく刺激的なんだと思う。流れ者はGive and Takeだから(笑) 彼は一生ああなんじゃないかな。もう持っているものは持っているわけだから。でも持ってないものもあるんですよ。それを求めて流れるんだと思う。手に入らないんですよ。お金じゃ買えないから。

MP:お金で買えりゃ楽なんだけどね。お金で変えないから面倒くさいんだよね。難しいし、ややこしいし。

H:永遠に野崎さんはポールを満足させることは出来ないんだろうね。

MP:うん、出来ない。いっつも怒られる。で、怒られたまま、終わるんだね…きっとね…

H:ポールは満足しちゃったら、逆にやる気になんないと思うしね。

MP:でも7年後には東京で2,000人のホールで出来るように頑張るって言ったらさー、ポールはそんなの無理だ、って言うんだよね。

H:えー、そんなことはないと思うよー。だってさ、いい音楽を聴く人は東京だったら2,000人はいるよ。絶対にいる。うまくいけば8,000人くらいまでは行けるよ。で、その4人に1人がくればいい。そこには付加価値があればいいだけだから、それを7年くらいかけて… 全然不可能じゃないよ。最初チーフタンズなんか、2、300人くらいだったんだよ。(プランクトンの)恵子(社長)もこの前いい事言うなーって思ったんだけど、恵子も途中で、もういいや、と思ってた時期もあったんだって。でもこの人たちこんなに長く続けてるんだって思った時に、やっぱり頑張ろうと思った、って。この感じは長く続けていないと分からないよね。そして確実にお客が増えて、若い奴も育っていくからね。俺も彼らがいなかったらヴァン・モリソンの「Irish Heart Beat」聞いてなかったと思うし。だからホントにそういう一個一個の積み重ねなんだよね。それも情熱でしょう。いろんな情熱のあり方が俺はあると思う。

MP:やっぱり「Irish Heart Beat」が最初のアイルランドとの出会いですか?

H:決定的にわしづかみされたってのは、あれですね。あれはロケットにのせて惑星に飛ばさないといけないアルバムだね。全部もっていかれたかな。「これはすごいなー」と。

Van Morriosn and the Chieftains - Raglan Road


MP:まぁ、チーフタンズはホントにすごいけど、続けることが勝利なんだと思わないとやってられないよね… 

H:今、俺とか野崎さんの仕事とか、めちゃくちゃ面白いじゃないですか? 失うものは何もないわけで、(音楽ビジネスの)方法論が一回死滅したわけじゃないですか? そっから先、力が試されているわけだから。組織に属さない俺らには、これは面白いと思う。「流れる」ってホントに勇気がいることだし。実際、実力もいるし。だから身体も鍛えないとね!(以下、体脂肪率を減らす説教) 

The homes of Donegal - Paul Brady and Hiroshi Yamaguchi


2013.2.28 浜松町にて









お問い合わせ
THE MUSIC PLANTホームページ


©2015 THE MUSIC PLANT
Photo of Paul by piano - Judy Totton